samahani
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一年と数ヶ月前、私はとても落ち込んでいた。
駐在員だった夫が、日本での勤務先を辞めて、派遣先(数年ごとの契約)だったアメリカの勤務先に(半永久)就職することを決めたからだ。それは、同僚や他の日本人から「おめでとう、就職が決まってよかったね」と言われるできごとだったし、なにより、本人(夫)にとって一番嬉しいことだったけれど、私には到底受け入れられなかった。最初は2年で帰ると言っていたのに、2回も契約延長して、結局最後は帰らないと決めてしまうなんて話が違う、私が日本に帰りたいと言っているのを知っているのに。そんな気持でいっぱいになると、そればかりがぐるぐると頭の中を巡り、私は「ないもの」ばかり数えていた。
美味しい食べ物も、字幕のついた映画も、日本語の図書館や講演会やカルチャースクールも、くつろげる温泉も、ごろりとできる畳の部屋も、すべて無いものばかり。
精神的な落胆があまりに大きすぎて、私は体調を崩した。耳鳴りがしたり、体のあちこちが締め付けられるような痛みに襲われたり、だるくなったり、とにかく何もしたくなくなった。誰にも会いたくないし、何もしたくない。引き篭もり。パソコンで遊んでいるか、ゴロゴロと寝ているか。掃除は勿論、炊事も洗濯もしない母と、子どもたちの関係は最悪だった。夫は2ヶ月も出張に行ったきり、私と話をすることもなかった。もっとも、言いたいことは既に言い尽くしているから、夫は私の愚痴を聞くだけの会話は避けたかったに違いない。
決して投げやりではなく、「そんなに帰りたいなら、しばらく日本に帰ればいい」と夫は言った。帰るつもりになっていたけれど、当時の私には、引越し荷物をまとめるなどという億劫な仕事もできなかった。子どもも連れて日本の学校に転校できたら、私も夫を単身赴任にして日本に帰っていたかもしれないが、子どもはアメリカに残ると言うのに、いくらなんでも母親だけが日本に帰るという選択はできないと、やっぱり思っていた。
それから、しばらくして夏休みになり、子どもたちと一緒に2ヶ月近くを実家で過したら、気持の持ちようが随分と変わった。私はものすごく小さな世界で思い悩んでいたのだと思えるようになった。
あれから、1年。
外に出ることから初めて、やっぱりもっと英語が上手になることが大事なんだと学校にも通い、すこしずつ自分を適応させることができるようになってきた。
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