samahani
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2003年05月29日(木) Brian が仕事を辞めたわけ

ブライアンが、文部省から各県に派遣させている、英語のAT(アシスタント・ティーチャー)として、I県U市の公立中学校で働いていた時のことだ。

9月から働き始めて、1年近く経った8月の夏休み、彼はU市の教育委員会に出勤してくるように言われた。U市には6つの公立中学校があって、4人のATで各校を廻っていたのだけれど、その4人とも夏休み期間中ずっと市役所の中にある教育委員会に出て来なければならなかった。けれど、教育委員会に行っても日本語が少ししか話せない彼らに、できる仕事はなかった。彼らは、ひとつの部屋に集まって、4人で朝から夕方まで雑談しているだけだったそうだ。8月も給料をもらっているのだから、遊ばせている訳にはいかないという理由で。

ブライアンは、8月の給料をもらえなくてもいいから、その期間、日本語を勉強するために学校に通いたいと言ったのだけれど、規則だからと、認められなかった。

「そんなバカな話ってあると思う? 僕は8月の給料は要らないって言っているんだよ。僕の日本語が上手になれば、教えるのだって上手くできるようになるし、それは両方にとってプラスになるのに、どうしてそれができないの? 僕は、日本ってとってもよく機能した( well organized された) 国だと思っていたのに、全く正反対だったからガッカリだったよ」と言ったブライアンの気持ちは、私もよく分かった。

日本人にはあたりまえだけれど、電車が時刻通りに来るとか、小さなお店の店員さんでもてきぱきと仕事をこなし無駄がないとか、どこもかしこも「いいかげん」でまかり通ってしまうアメリカと比べたら、彼には、日本がすばらしい国にみえたのだろう。

もうひとつ、ブライアンが言っていたのは、なにかの承認をもらうために書類を書いて、上司の印鑑を押してもらうのだけれど、その印鑑の欄が右上に5つも6つも並んでいて驚いたというのだ。例えば、9月は何日出勤したとかいうような確認のための書類に、何人もの判子が必要で、ひとりひとり廻らないといけないなんてばかげている。

ATの契約期間は2年間あったのに、ブライアンはそれを待たずに1年で辞めてしまった。(ATの給料は高給だったそうだ) ずいぶん期待して日本に行ったのに、その期待を裏切るようなことになってしまったのだろうなと、返す言葉をみつけられずにいたら、ブライアンは「大丈夫、僕はまだ、日本も日本人も日本食も、いまでも大好きだよ」と慌てて付け加えた。

そういう話は、I県U市に限ったことではないのかもしれない。規則にしばられ、責任の所在が不明で、前例がないという理由で、簡単には新しいことも決められない。どこにでもありそうなことである。

多少なりともアメリカ生活を経験して、そういう面での合理性を実感したことのある私には、全く納得のいかない話だが、もし私が日本にずっと住んでいたなら、この話を聞いてどう感じたのだろうと思った。


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