samahani
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2002年11月18日(月) |
調子のいい言葉(悪気はないと分かっていても) |
せっかく日本語教師になれると思って研修を受けたのに、その後、何も連絡がなかったので、ここ何日か、塞ぎ込みがちだった。
研修の終わりの日に、一度実際の授業を見てみたいということと、労働許可証のために必要な書類を書いて欲しいことを告げ、了解の返事をもらって帰った。それが木曜日だったので、遅くとも月曜日には連絡があると思っていた。
こちらから、電話すればいいのだとか、それがアメリカ式なのだとか、分かっているのに、電話をかけることができなかった。
以前、日本企業の特許申請を手続き代行する「特許事務所」に採用面接に行った時もそうだった。面接では、途中まで上手くいっていたけれど、「いままでしてきた仕事は何ですか?」という質問になって、上手く答えられずしどろもどろになってしまい、たぶん不採用だろうと決め込んでしまった。
何も連絡がないけれど、どうなっていますかと、こちらから自分をプッシュしアピールする電話をかける気にはなれなかった。あとで、既にそこに採用されていた日本人に話を聞くと、「あそこの所長は誰に対してもそうで、こちらからしつこいくらいに連絡を入れなければ返事をしないで放って置かれる。不採用と決まった訳ではないのだから、電話くらいすればよかったのに」と言われた。
けれど、そういう積極性は、自分に自信がある人でなければ出てこないものだ。
サナ(イエメンの首都)のホテルに電話した。夫は、電話の向こうで、わたしを励ましながら「忙しくて、後回しになっているだけだよ」と言った。けれどわたしは「でも、もういい、仕事なんてしなくてもいいんだから」と、後ろ向きな気持ちにしかなれなかった。
次の日、これぞ英語の先生の鑑だというような明瞭な発音のメッセージが、留守番電話に入っていた。わたしのために、その学校で日本語教師として働いている人とのミーティングをセットしたから来てくださいという内容だった。
ホッとしたのもつかのま、夫が、あの電話の後ですぐにメールを打ったから連絡が来たのだと分かり、とても複雑な気持ちになった。むしろ、そこまでしてもらわなければ何も出来ない半人前の自分のことをかなしいと思った。
きょう、学校に行って、10年以上も日本語教師をしているという、ふみこさんと会った。話しているうちに分かったことは、わたしが不採用だった訳ではなく、もともと日本語を学びたいという生徒がほとんどいないから、仕事が回ってこないということだった。
その場ではすごく調子のいいことを言って、後できっちりフォローしないということは、アメリカではよくある話だ。明るくフレンドリーで大げさな態度に、何もかも上手くっていると慣れない日本人は勘違いしてしまう。研修も採用も「次に日本語の生徒が入ったときにはあなたにお願いするから」という話だったことが分かった時には、なんだか間の抜けた話だなあと、泣いていいのか笑っていいのか分からなかった。
ふみこさんはわたしとのミーティングで、通常の仕事と同じ時給がもらえるそうで、いままでの研修とは違い、どれだけ必要ということも無かったこの話し合いに、学校がわざわざそこまでしてくれたことを、申し訳なく思った。仕事が無いことに変わりはないけれど、学校側の誠意は伝わってきたので、いまは、それ以上は仕方がないという気持ちになった。
追記:ふみこさんが言ってました。日本の景気がよかったときには日本語を勉強したいという人がたくさん居て、クラスもできるくらいだったと。わたしも、いまどき日本語を学びたいなどという人は、なんてものずき奇特な人なんだろうと思っていたけれど、ここまで少ないとは思いませんでした。(3校あわせて3〜4人) ああ、日本の不況がこんな所にも影を落としていたなんて・・・
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