samahani
index|past|will
2002年09月20日(金) |
無名国 日本 (Bostonの思い出) |
わたし達家族4人が、ボストンに暮らし始めたのは、いまからちょうど10年前です。なおき5才、こうすけ1才、夫とわたし31才。
初めての海外生活は、英語が伝わらなかったり、パーキングメーターのしくみさえ分からなかったり、外に出るだけでぐったり疲れてしまったけれど、その一方で、何を見ても好奇心をくすぐられ、新しい発見の連続で、それがとてもおもしろく毎日が充実していました。
地元の公立小学校の幼稚園組に通い始めたなおきは、学校でただひとりの日本人でした。ある日、なおきが 「ボク 学校に行くの嫌だ」 と言うので、理由を聞いてみると 「ボク 日本人なのに、Chinese って言われるんだよ」 と言います。
すぐ学校に出かけて、担任の先生と話をしました。すると子どもたちは、なおきをイジメてそう言っているのではなく、ただ単に日本という国を知らなかったので中国人だと言っていたのだと分かりました。先生が、 「中国という国の近くに日本という国があって、なおきはそこから来た日本人だよ」 とみんなに説明して、この問題はすぐに解決しました。
でもわたしには、そのことが少なからずショックでした。あの頃、日本はバブルがはじけていて勢いがあり、ニューヨークの象徴ロックフェラーセンターを買い取ったり、ハリウッドの映画会社を買収したりしていました。だから、当然誰もが日本のことを知っていると思っていたのです。
ボストンには、ハーバードやMITなどの有名な大学の他にも、BUやタフツなど16もの大学があって、アメリカで一番、大学密度、学生人口の高い場所だといわれています。ボストンには(ダウンタウンではなく大学街の方)マクドナルドやデニーズなどのファーストフードの店が一軒もないのですが、それは、そこに住む人がインテリで彼らのプライドがジャンクフードを食べることを許さないからなのだとも聞いたことがあります。
30才を過ぎて結婚しているけれど、キャリアアップのため、お金を溜めてから大学院へ再入学する人も多いし、そこで研究職についている人も多いのです。
そんな街、ケンブリッジ(大学街の地名)の真中にある公立学校の幼稚園児が、日本を知らない!?
いまでこそ 日本食はアメリカでも有名になって、テリヤキ、すし、てんぷらなどが英語として通じるけれど、あの頃は、巷に中華料理屋はたくさんあっても日本食の店はそう多くはありませんでした。そのうえ、日本料理屋は高いので、幼稚園児が連れて行ってもらうこともなかったのでしょう。
日本って無名国(たかが幼稚園児とは言っても)。ちょっとガツンと頭を殴られたような衝撃を受けたわたしでありました。
|