samahani
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2002年09月09日(月) |
夏の思い出 4 「涙がとまらない」 |
昨日、ウチにお客さんが集まって夕食をともにした。夫の上司であるヨルダン人の夫婦、出張でこちらに来ているイエメン人、夫の同僚のフランス人(30代半ばの独身女性)の4人を招待した。
いろいろな話をするなか、アメリカ人が居ない所で、アメリカのことが語られると、こんなふうになるのかという体験が出来て興味深かった。
例えば、ヨルダン人の奥さんがこんなことを言った。「アメリカ人は、親切で優しいけれど、ものを知らなさ過ぎる。“ジョーダン”を知っているかと訊くと、マイケル・ジョーダンなら知っていると答えるのには、がっかりする」 (ヨルダンは、英語では Jordan と綴り、ジョーダンと発音する)
それから、アメリカの正義や好戦性(愛国心が戦争に向かうこと)についても話題が及んだ。
この夏、わたしは夫や子どもたちと一緒に広島に行った。原爆ドーム、資料館を巡り、涙が止まらなくなった。千羽鶴の横に展示されていた子どもの詩を読んでは泣き、資料館に展示されていた、ご飯が入ったままのひしゃげたお弁当箱を見ては泣き、館内で、説明ボランティアさんの話を聞いては泣き、3時間くらい涙が乾く間もなかった。
こんなふうに、その当時の広島の人々に、感情移入できる自分が不思議でもあった。6月3日に友人ふたりと一緒にホロコーストミュージアムに行ったのだが、そのときは、ひとかけらの涙も出ないどころか、罪もなく殺された人たちに同情する気持ちさえも湧いてこなかったから。
展示が、英語だったのか日本語かという違いよりも、戦争の犠牲となったのが、ユダヤ人なのか日本人だったのかという違いが大きいのだと思う。
夏の終わりに、日本で「トータル・フィアーズ」という映画を観た。ベン・アフレックはかっこいいし、ハラハラドキドキさせられるし、映画としては面白かったのだが、映画での核爆弾に対する認識や扱われ方があまりにもずさんでガッカリさせられた。
主人公、ジャック・ライアン役のベンが、爆発の数時間後に、爆弾がロシアからアメリカに持ち込まれたと思われる場所に単身、乗り込んで行くシーンでは、「おいおい、それはないだろう、そんなことしたら残留放射能で死んでしまうよ」と思い、かろうじて生き残った大統領が、被害の様子を聞いたときに、半径1マイル以内は全滅ですと報告されたときには、「うそだあ、そんなに少ないワケないだろっ」と、広島に行ったばかりのわたしは、ため息が出た。
原爆が過小に扱われていて、あれでは、映画を見た人は、原爆はあんな程度のもので、たいしたことなかったのだと思い間違いをしてしまう。 (原爆の惨劇を描写するのに死人を出さないのも、戦争の悲惨さを伝えるのを避けているともいえる)
その映画の話をわたしがすると、
ニューヨークのWTCが崩壊した場所を、グランド・ゼロと呼ぶのも、もともとは、グランド・ゼロ=爆心地という意味で、あれが広島の被爆した場所と同じ規模のものであったとの誤解を受ける、広島と同じだと思われてはたまらない という意見(新聞の投書)もあることや、
数年前、スミソニアン博物館で、広島の原爆に関する資料展示をしようとしたのだが、アメリカの軍関係者や退役軍人関係から圧力がかかり、実現しなかったことなどの話も出て、(夫が言ったのだけど)
どの国でも情報操作はあるのだろうけど、アメリカの好戦的な部分については否定できないと皆が認め、ここも危ないから、やっぱりどこかに避難したほうがいいのだろうかという話になったのだった。
↑「お客さんが来るときっていっつも同じメニューだね」だって(笑)
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