samahani
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2002年09月07日(土) 夏の思い出 番外編 「せつない話」

宇多田ヒカルが自分の結婚のことを「嫁ぐ」と表現したそうですね。

ある人の日記で、「宇多田ヒカルといえば、言葉を紡ぐプロなのに、そういう言葉を選ぶなんてガッカリ」と書かれていて、はじめは全然ピンと来ませんでした。

どうして? 結婚しても「稼ぐ」って言ってるんでしょ、いいことじゃないの と思ったのです。 半分くらい読んだところで、 あれっ? これって「とつぐ」なの? 「かせぐ」じゃなかったのと気がついて、へえぇ・・っと感心してしまいました。

わたしの頭には、「嫁ぐ」などという単語はインプットされていないらしい・・と。

同じ日、「切れない電話」というタイトルを「切ない電話」と読み間違え、おお、もしかして、わたしって、切ない想いなんてものを抱えちゃっているのかしら? そうよ、こういう時に潜在意識として現れるのよね・・なぁんてことも思ったりして・・ ええ、分かってます。 勝手に言ってろ!ですね。


きょうの日記は、番外編、昨日の日記の続きです。他人に無愛想に接する日本人、誰にでもフレンドリーなこちらの人。 実際、ここに住んでいると、初めて会った人に、よく話し掛けられます。 路上だったり、スーパーのレジだったり、レストランでたまたま隣の席に座った人だったり。 だからわたしも他人に話し掛けることに ためらいが少なくなっているようです。

先日、夕食をとっていたインド料理の店に、少し場違いな女性がひとりでやってきて隣の席に案内されました。彼女は、肩にある刺青が少し見えているようなシャツを着て、左手だけに、二の腕まである黒のロング手袋をしていました。 「うーん、これはファッションなんだろうか?」と、気になって、訊いてみようと思ったのですが、

ファッションって日本語だよなあ。じゃあ、別の言い方で「これは、あなたが好きでやってるんですか?」って訊くのかなあ。「でも、そんなこと言ったら、それって変ですねっていってるように聞こえないか?」とか、夫が横から口をだして、もごもご・・・

それに気付いた彼女は、言い訳がましく「いま、ラスベガスから飛んで戻ってきたばかりで、おなかがペコペコなのよ。疲れたわー ・・なんちゃらかちゃら・・・」と、いろいろ話しはじめました。


別の日、タイ料理やさんで、夫と日本語でぺちゃくちゃ喋っていたら、ウエイターさんが「あなたたちは日本人ですか?」と訊いてきました。 「わかりますか?」とこたえると、 「日本語が少し分かります。ぼくのおかあさんはタイ人だけど、ぼくのおとうさんは日本人でしたから」と彼は言いました。 「えっ?」と夫と顔を見合わせていると、 「でも、日本に帰っていってしまいました」と、付け加えました。 笑顔のままなのに、寂しそうに言ったのが分かり、わたしはとても切ない気持ちになりました。どんな言葉を返したらいいのか分かりませんでした。

彼の父の国である日本は、彼の中にどんなふうに映っているのだろう、半分は郷愁にも似た気持ちで、半分は・・

わたしは、日本人として恥ずかしく感じられて、彼の目を、真っ直ぐに見られないような気持ちになりました。 


他人を見たら泥棒と思えというような対応をされる日本より、気軽に他人に話し掛けられるアメリカの方がわたしは好きです。 けれど、そのせいで、時として、「切ない想い」に不意打ちを食らわせられることもあるのです。


さとこ |mail

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