2010年06月03日(木) |
■〈この人とはとても話しあえそうにない〉と思う人とは… |
〈この人は話しあえる人だ〉という安心感は、 いわば直感が働くというか、文句なしにそんな気がするというか、 とにかくそれを思う人自身の感覚だ、という気がする。
つまり〈この人なら話しあえるだろう〉という安心感は、 どうもこれを言い換えると、 〈この人ならなにかあっても私を恕(ゆる)してくれるだろうし、 私もこの人を恕すことができそうだ〉 という安堵の思いなのではないかと思うのである。
だから逆に〈この人とはとても話しあえそうにない〉という 不信や拒否の思いは、 〈この人はもし私になにかあったら直ちに咎めてくるだろう。 自分の足りないところは棚に上げておいて。 だから咎められる前に、私の方がこのひとのことを 咎めなければこっちの気持ちが到底持たないような気がする〉 と、緊張して構えてかかるということなのだろう、 と、思うわけである。
出典元 「話しあえない親子たち」 おすすめ度 4 著者名 伊藤 友宣
〈この人なら話しあえるだろう〉 と思う人って、どんな人だろう。
そういう人は、たいてい、ちゃんとこちらの話に 耳を傾けてくれ、聞いてくれる人で、仮に否定するにしても、 考えが違っても、こちらの立場を理解してくれ、 解決策や互いの妥協点をともにさぐれる人でもあると思う。 また、これを話しても大丈夫、というような 信頼感や安心感を持てる人ではないかと思う。
逆に、〈この人とはとても話しあえそうにない〉 と思う人って、どんな人だろう。
そういう人は、たいてい、こちらの話には ほとんど興味を示さず、聞かず、平気で途中で話を遮り、 自分の考えばかりを語り、自分の考えが一番正しい、 それ以外は認めないとばかりに、自分の考えを押しつけ、 こちらの立場はほとんど考慮しないような人だと思う。 「この人には、何を言っても無駄だな」と思えてきて、 話し合う前に、気持ちがすっかりなえてくる。 そしてこの感覚は、瞬時に感じるもので、 いったんそう感じてしまうと、なかなかその感覚を 消し去ることが出来ず、話し合うことがむずかしくなる…
〈この人なら話しあえるだろう〉と 思ってもらえるような人間でありたいと思う。
■「ぼちぼち、お散歩日記」↓ 「アロエ日和!って思ってしまった日」
だって、こんなアロエにいっぱい出合ったから。 アロエ…っていっぱい道端にあるんですね〜
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