ことば探し
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2010年04月27日(火) ■重い十字架を背負わされた時に、そこから何も学び取らなければ…

苦しみを味わわなくても、自分を伸ばすことはできる。
だが、どうしようもない運命の力によって、
重い十字架を背負わされた時に、
そこから何も学び取らないとすれば、
人生はそれこそ無意味なものになってしまう。


……どうしようもない運命をどう受け入れるか。
それしだいで、人生の意味を深められる。
どう対応するかは、私たちひとりひとりにかかっている。
(※この本に引用されている
 ヴィクトール・フランクル博士のことば)


出典元 「希望の見つけかた」
おすすめ度 4.5
著者名 アレックス・パタコス


この本に、ヴィクトール・フランクル博士の
こんな話が書かれています。

「ナチス・ドイツの手で死の収容所に送られたフランクルは
 そこで、いくつもの棟を訪れて他の収容者を励ます人たちの
 姿を目にします。彼らは、パンの最後のひとかけらまで
 仲間に分け与えていました。

 「あのような人たちは、ごくわずかだったかもしれない。
  しかし彼らは、人間は他のすべてを失ったとしても、
  自由だけは最後まで奪われないのだと、身をもって
  示していた。
  私たちはどのような身の上にあっても、自分の心の持ち方を
  決められる。自分なりのやり方を選べるのだ」」


今の自分の環境、状況、運命をどうとらえるか、
何を学び、どう受け入れるか、どう意味を見いだしていくか、
そして、どう生きていくか…
これは、ひとりひとりに与えられた使命であり、課題だと思う。

今、こうして、この場、この時代に生きていること…
このことに、かならず、なにか意味があると私は信じる。
それは、大きな意味ではないかもしれない。
人に自慢できるような意味ではないかもしれない。
本当に、ささやかな意味であるかもしれない。
しかし…その人、ひとりひとりにかならず、
生きる意味が与えられていて、それを見つけていくのは、
この自分しかないのだと思う。

こんなことを言いつつも…私も、まだ、
生きる意味をつかみきれてはいないし、もしかしたら、
一生、その意味を見つける旅をしていくのかもしれない。
そして、いつか、「ああ、こんな意味があったんだ」
と思えたら、嬉しいと思う。




■「ぼちぼち、お散歩日記」↓
「「Live image10」すばらしいです!」

本当に、素晴らしかったです。
まだ、これからもやるようですから、ぜひ、どうぞ。

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