| 2005年02月24日(木) |
心配は怖れから生まれ、怖れは攻撃の思いから生まれる。 |
心配は怖れから生まれ、怖れは攻撃の思いから生まれる。
心配はつねに「いやなことが起きるかもしれないよ」と ささやきます。 だれかのことを心配するときは、 その人やそうした状況をまったく信頼していません。
そこでは心の力を否定的に使って、 その人に自信を失くさせ、 その状況に怖ろしい要素が入り込むことを 許してしまうのです。
「傷つくならば、それは「愛」ではない」より チャック・スペザーノ著 VOICE
適度な心配なら、嬉しいが、 過度に心配されると、どうにも気になってしまう。 心配されるあまり、身動き取れなくなったりする。 自分でも心配のあまり、身動き取れなくなることもあるし。 過度の心配=その人や(自分のことも)信じてないこと、 だと思った方がいいのかもしれない。
自分がそう感じるので、 できるだけ過度な心配はしないようにしているが、 年老いた両親のことは過度に心配してしまう。
そして、転んだりすると危険だから、何かをする時は、 人の手を借りろ、無理するな…と言いたくなる。 いや、実際言っていた…。 余計な程の「気をつけろ」と、 いつも「心配している」を、押しつけていた。 そうして、親思いのふりをして、自分を安心させていた。
しかし、それが、こちらの身勝手な心配で 両親を決して幸せにしないことに、気がついた。 両親はしたいことする自由があるのだし、 自ら何かをすることが生きがいになっているのだ。 そういう自由を私は「心配」という名のもとに 奪っていたと気がついた。
私は、両親を信頼せねばならない。 きっと、大丈夫だと、信頼せねばならない。
もしも、何か不慮の事故が起こったら、 そのときに対処しようと決めて、 過度な心配はしないことにした。
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