2004年05月01日(土) |
どういうわけか、私たちのなかには、憎しみや怒りや苦痛にしがみついたままでも、 |
どういうわけか、私たちのなかには、 憎しみや怒りや苦痛にしがみついたままでも、 安らぎを得られると思い込んでいる自分がいます。
自分を守らなければならないと考え、 いつまでも憎しみ続け、復讐しようとしながらも 幸せや安らぎを感じたがる自分です。
「ゆるすということ」 ジェラルド・ジャンポルスキー著 大内 博訳
山菜採りに実家に来てみて、相変わらずの母と父の関係に驚く。 お互いに、憎しみと怒りと苦痛を持ちながら(にしか見えない) 暮らしているから、安らぎなど得られないだろうなぁと思う。 お互いに譲り合うこともできなくなっているし、 話しを聞く耳も持たないくせに、お互いに干渉しあっている。 これでは、安らぎどころではないだろうなぁ。
私はこの両親をずぅっと見てきて、 こういうふうな夫婦になるのだけはよそうと心に誓ってきた。 違う意味で隣人も、自分の両親のようにはなるまいと、 思って生きてきている。
今、私と隣人がどうなのか、そうなっていないのか、 違う形を歩んでいるのかよくはわからないが、 もしも、互いに、憎しみと怒りを持つようになったら、 その時には、立ち止まってちゃんと考えようと思う。
私は歳を重ねて行く毎に、安らぎを得られる関係でありたいと思う。 また、そうあるように努力もしたい…
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