愛より淡く
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2002年11月19日(火) 孤独が微笑んでいる

昨日の日記に記したような、やけにドラマ仕立ての夢をたまに見る。

自分の夢の中のどこにも自分は登場しない。

自分の夢の中で、まるで自分は透明人間のような存在だ。

自分は、自分の夢の中で、完全に傍観者なのだ。夢の中の人々は誰ひとり

私に気づかない。

そんな奇妙な夢をたまに見るけれど、他の人もこういう夢を
見ることがあるのでしょうか?

そいでもって、いいとこで、終わってしまう。

昨日だって、あの母子は、いったいどうなるのだろうか?

彼女とピアニストとの愛の行方は?

などなど、いささか気になっている。でも、つづきが見れる可能性は、ほとんどない。

全然といっていいくらい、ない。

見たいのに見られないという欲求不満が増えてゆくばかり。

欲求不満といえば、

私の欲求不満もすっかり慢性化してしまったような気がする。

今さらあがいたって、なんか、あがくのに費やすエネルギーがもったいない気さえする。

あきませーーん。

これが私の運命ならば、ありのままを受け入れるしかないのだろう。


色恋沙汰以外で何かこうのめりこめるものが欲しい今日このごろ。

仕事にもう少しのめりこめればよいのだろうけれど。

なんかいまいち気が進まない。やっとこさ消化しているという感じ。

ゆえに仕事が終わった時の解放感は格別なものがある。

そうそう、昨日、保留電話のお待ちミュージックに、今井美樹のなつかしい曲がかかった。「瞳が微笑んでいる」たしかそんな題名の曲だったように思うけれど、もうかなり昔のことなので、全然違うかもしれない。

よく思い出せない。さわやかな朝をイメージできる曲だった。

おとといから、「山の音」を再読している。川端氏の最高傑作だけであらず戦後の日本文学の最高峰に位するものである、と解説に書いてあって、若い頃興味を持って読んだのだけど、あの頃は、いまひとつようわからんかった。

でも、改めて、今読み返すと、随所随所に胸に響いてくる表現に出会い、ぞくぞくっとさせられ、初めて読んだ時よりも、はるかに新鮮な感じを受けていることに驚いている。

夜中、主人公が、横で眠る妻のいびきがうるさくて、なかなか眠れないので、妻の鼻をつまんでやる、というようなくだりでの、

はっきりと妻の体に触れるのは、もういびきを止める時くらいかと、信悟は思うと、底の抜けたようなあわれみを感じた。

という一節が、妙に心に残った。

手持ち無沙汰なさみしい夜に、ひとり、コタツにこもって読むのに、かなり適している小説かもしれない。







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テキスト庵さん