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戯 言ノ源
―― 連ねた意味も、持てない小鳥。
氷室火 生来
回帰
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2008年10月24日(金) ■ |
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これまでと同じよう、僕が君を待っていよう、これから。 |
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「ALL ABOUT 渚カヲル A CHILD OF EVANGELION」
「ALL ABOUT 渚カヲル A CHILD OF EVANGELION」
大事な事なので二回言いました。大真面目。基本的に本家とみくちの日記は違う内容を書いているんですが大事なカヲル君の事なので重複させてみました。あれしつこい? 因みに普通のイラスト集を思い描いていたんですが、そうした想像より普通に冊子の趣きです。 個人的には有名どころのインタビューなんざいらねとか思ってしまう性質なんですが、特に最後のなんだあのブチ抜き具合どうせだったらしょこたんにしる! いやいやちょっと取り乱しましたが、別にしょこたん信者でもないんですが、まぁカヲル君を探っていく本文中で、読む内読む内胸がぎゅっと苦しいので、矢張りカヲル君は永遠です。 そのカヲル君本を見た影響でつい24話が見たくなったのでケータイに保存してあるのを流してみました。といっても、現在使っているやつは動画の全画面化も出来ないわ、途切れ途切れでたまにいらっとくるわ、正味ゆーつべとかで探した方がいいんですがね。まぁね。いいんだよそこは、用事しながら聞きたかったんだ。 ただ、シンジがドグマへ降りていくカヲル君に向かって叫ぶ「カヲル君!」のところで上手い具合に切れてカヲルと呼び捨てにしているのはなんだかにまにましてしまいます。うわちょっきもい人いるよ。 もう結構な回数見ている筈なのにまた新たな疑問が浮かんだのでちょっと覚書。
・何故カヲル君は弐号機を止めておいて欲しかったのだろう。 曰く「彼女と生き続けただろうからね。」との事ですが、閉鎖しているアスカとがいけなかったのか、アスカ自体がいけなかったのか、なんにせよあの時点ではカヲル君はサードインパクトを起こす選択肢も視野に入れていたのだからして(後述しますが完全に扼殺される道を選んだのはまだこの時点では無いのかも知れない可能性が)、……或いはまさか最期にシンジが彼女のその手を取る可能性まで理解していたのだろうか?
・アダムで無かった時点で存在意義の消えてしまったカヲル 先の、何処でカヲル君は自殺ルートを確定したのか。いや、シンジとお泊りしたところからというならそれでもいいんですが、この、アダムではなくリリスであった、というところ。 正直、アダムとリリスの事を考えるとその内頭が痛くなるんですが、アダムに帰るべき使徒がアダムに触れるからサードインパクトが起こるんであって、巨人なら誰でもいいって訳じゃないのかなと。 つまり、あそこにいるのがリリスであった時点悲願である帰還が達成出来ない以上サードインパクトも遂げる事は出来ず、事実上シンジに殺される道しか残ってはいなかったのではないか、と。この辺は冒頭でお伝えした大事な事を読みながら。 ですがゼーレがリリスである事を知らなかった訳はないと思うんですよね。ので、若しその仮定が成立するのだとしたら、結局カヲル君も始めからただの殲滅対象に過ぎず、初号機によりサードインパクトを引き起こす為の最後の使徒というものでしかなかった、と。 うーん、どうなんだろう。なんだったらカヲル君ならばゼーレの人々さえ手玉にとりつつ生き延びてゆけそうな気がするので、正直選択肢の無さ(死だけが絶対の自由)というのはやや懐疑的だったりもする。ただ、生き残りと進化を考えた場合にシンジへの可能性から譲っただけで。
・難解過ぎて、確かにとても素敵だが理解らない遺言。 カヲル君本にはアニメと漫画の比較、比較っていうんでもないんだろうが、まぁカヲル君のあらすじが両方載っているんですよ。 それで眺めていると、端整で悟った賢者である庵カヲルは、無邪気で子供っぽい純真さを持つ貞カヲルに比べて、やっぱりというか、遠回しな言い方が板についていて、その分、一聴しただけではあまりに判り辛い。その含まれた謎を理解しようと言葉を反芻させる事により僅かの登場ながら非常に印象に残る、鮮烈なる存在感となった、というように見えて。 貞カヲルはその分、アタックの仕方やプロセスは違えど、非常に判り易く明快に綴っているように見える。この二人のカヲル君の意思や思想が必ずしも一致している訳ではないと思うのだけれど、それはいわば人の側面と言うか多面性に通じているものにも思えて。 自分はどちらのカヲル君もすきなんですが、確かに何処かで別人の気がしないでもなかったんですよ。描く人が違えばキャラクターも変わりますし、受け手が違えば又全然違う性格のキャラクターになるのは二次創作を見れば一目瞭然で。 でも「ALL ABOUT 渚カヲル A CHILD OF EVANGELION」を見て、カヲル君はカヲル君なのかも知れないな、と、改めたような、再認識のような。
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