
戯 言ノ源
―― 連ねた意味も、持てない小鳥。
氷室火 生来
回帰
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| 2008年04月19日(土) ■ |
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| ほんの少しの間が本音を伝える。 |
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フルバを書かれていた高屋先生が最近執筆されている『星は歌う』。ちょっとネタバレなのでお気になさる方はスルー推奨です。 最近の話で、こんな言葉がありました。「宇宙人みたい。」 冷遇されていた環境の中に必死で溶け込もうとする主人公のサクは、認めて欲しい人にそう言われて、さみしかったと。本当に宇宙人と呼ばれる人がいるなら失礼だけど、でも自分は地球に生まれたから、みんなと同じ輪の中に入りたかった。地球人として、見て欲しかったと。 語っていたのですが、汲み取れる一方で、自分は人類皆全て宇宙人だと捉えているので、理解出来ないという意味でも宇宙に浮かぶ星に生きるという意味でも、共感はあまり持たなかったんです。 しかし最近、知人が近所の諍いでそう呼ばれ、心做しか寂しげにしていたのを見ると、基本的には宇宙人という言葉は拒絶や、知る事への拒否に見えて、辛くなるのだろうか。 先述の自論をあっさり述べれば、一日中悩んでいたのが馬鹿みたいとその人は言って、まるで感謝のように、言っていたけれど、それは本音かな。 なんでもかんでも共感しなくちゃいけないなんて事は無いし、共感しなくちゃ言葉を送っちゃいけないなんてのも無くて、だけど全く理解する気の無いそれは、慰めになるか突き放しになるか、捉える人の自由で、そんな事まで気を回すなら会話なんてそう成り立たないけれど、物事って全て容易くなんて無い。 解放の福音にもなれるだろう。だけどより疎外感を与えたら、傷つける意図だったのか兎も角実際に傷ついた宇宙人って言葉と、大差無いんじゃないか。 そんなにも、さみしいだろうか。宇宙人。自分なんかは喜んで受け入れる。所謂他と違うねと言われて喜びを得るようなものじゃなくて、逆に自分もちゃんと、宇宙に生きる人だと、知って貰えてるような気がするから。
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