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―― 連ねた意味も、持てない小鳥。
氷室火 生来
回帰

2008年04月06日(日)
遅過ぎたって、知っているんだ、もう。


フルバを兄上様が読み返していたので一緒になって、というより途中から強奪してみるテスト。
フルバは綺麗に、というかきちんと全てを纏めて終わってしまったのである意味残念です。
こう、挟み込む余地が無いと言うか、あーなんだよあそこはどうなったんだよー、とか文句を言えないのが。なんて傲慢な!
それと、学校とか、他人がいる場所に、行きたくなる。何もそれは、魅力的な登場人物達に唆されて現実に生きる人が全員誰も彼も優しいとか錯覚しての事ではなくて、試してみたく、なるんだ。
会話とか、行動とかで、どんな風に自分は生き、そして他人が生きているのかを、確かめ合いたい。些細な授業風景や、昼休みの廊下、放課後の下駄箱とか、味わいたくなる。何せ記憶保持率の低い時代しか行かなかったので。

でも、知ってるんだ。優しくなれなくちゃ、他人からも優しくなんてして貰えない。先ず話し掛けてみなければ、接点も生まれては来ないままで、繰り返すのは、浮き彫りになる奇人一人。自虐に陥るのではなく、それこそこれまで逃げ回ってきたつけのような。
こわくて、たまらないんだ。何を話し、何処を見ていいかわからなくなる。人を不快にさせる要素なら脳内を埋め尽くすくらい思い付くのに、気に入られたり、好感度上げたり、は偽る以外の方法が見当たらない。
知らないからこそ他人に憧れを求めている気もする。傷ついてもいいから現実を知りたいとも思う。
学校というのはまぁお金の掛かるところで、それも簡単には抜け出せない場所で、そんな試すなんて理由で触れるには勇気どころじゃ無い色々が必要で、だからこそ憧れ止まり。そしてだからこそ有象無象集まる誰彼と、奇跡の確立で出逢える偶然。

けれど、自分の中では他人と線引きしつつも所謂世間一般では他人に該当しない存在でさえ、上手く向き合う事は出来なかった。何が上手いのかさえ言っておきながら掴めてはいないのだけれど、互いに牽制し合い、互いに化かし合い、互いに慰め合って、だけど信頼関係は築こうともしなかった。
己の力量不足もあるし、相手の力量不足もある。相互に問題が多過ぎたのは、言い訳と真理の一つ。
どうしたら、泣きたい程の激情は生まれてくるんだろう? どんな風に、知らず知らず涙は零れるんだろう。バラエティーを見て笑うんじゃなくて、小さな世界で培うくだらない独占欲に腹を立てるのではなく、人とぶつかり合うからこそ見えてくるっていう、本当の自分は、まだ出逢っていないような、だけどそう思う自分だってどうしようもなく自分なら、認識出来ないくらいちっぽけなこれが、自分なんだろうか。
全部を置き去りの過去として呼べる。美化も脚色もせず事実だけを淡々と、感情を込めずに。逃げでも抑えているのでもなく、そうとしかならない自分は、冷めていると指摘もたまにあるけど、壊れているのが正しいんじゃないか。
なんて口にする奴程存外熱血漢だったりする事も間々あり、それならそれでもいいと、寧ろ楽しそうと思うけど。
冷たいのがいやとかじゃないんだ。それはもう本分だと受け止める以外に無いから。だけどそうじゃない、若しかしたら何処かに眠っているのかもしれないって、思える未開拓の部分が、本当にあるなら、根こそぎ自分を見つめてみたい。
自分と向き合わなくちゃ自分を変える事は出来ないし、自分と向き合うには、他人と対峙する自分が必要なんだ。

取り敢えず最近流行りのように軽口で叩かれる鬱気味だとか、或いは世間様が認めてくれるムードだからなのか実は鬱でしたとかいうのが受け入れられない時点で、未成熟で未発達なのが窺える。
昔からお涙頂戴系のドキュメンタリーは愛せないけど、大家族系も何が楽しいのかとか思ってしまうんですが、それからはじめてのおつかいも性質の悪いいじめとしか受け取れないのだけど、共通しているのは、何か判っているから。
嘘臭いと鼻で嗤う、それは実際そう感じるからというのも大いにあるけれど、信じる事なんか、出来るかよ。誰がそんな風に、誰かを真剣に思えるって言うのか。何かを大切って抱きしめられるんだ。
世界に置いてけぼりにされたような、疎外感とかじゃない。そこまで夢見られる場所でさえもう、無いのだから。


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