
戯 言ノ源
―― 連ねた意味も、持てない小鳥。
氷室火 生来
回帰
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| 2008年03月31日(月) ■ |
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| 哀しいくらいに、いい事がありました。其処には。 |
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記憶に止まらないものの方が多い夢で最近記憶に鮮烈に残ったものは、それでももう消えかけているけれど、なんだかなぁ、微妙な気持ち。
何処かの学校の制服を着て、何処かの学校の教室の前に立っていて、転校生として紹介されていた。それ自体は一度は経験のある事なのだけれど、程無くして場面転換するともう馴染んでいたから、やっぱり其処は夢の世界だ。 色が付いて声が聞こえて表情が分かるのは自分だけで、他にもいるクラスメイトはシナリオに書かれたモブのように乱雑な棒人間に肉付けされた程度の。 そんな情景描写も相俟ってか、そこには人がいない。学校という空間には、人なんていない。あるのはシステムと軍人と兵隊だけで、物事なんでも言い換えてしまえばそうで、本来人があるところで実際に人がいるのに人を感じない事は間々ある。そう、間々あるんだ。
あそこにも、人がいなかった。いつもいたのに、色も声も姿もきちんとあるのに、いたのは人じゃない。誰一人として其処には関心が無く、其処に魂が無ければ、そんなもの人じゃない。寄り集まって生きているけど、必ずそこに帰ってくるけど、与えられた場所なだけで、誰も必要とはしていなかった。
場所を求めていなければその場に立っていても人ではないのだろうか? それならば学校という空間が希薄に彩られるのも頷けるが、何故ならそれを認知すべき夢を見ている自分がそうだからで、でもだとしたら何故自分だけはこんなにもくっきりと、明瞭に映り込んでいるのだろう? 望みの形なのだろうか。それは、事実かも知れない。 偶像の世界には度々学び舎とそこで築かれる絆が画かれていて、確かに羨みはする。だけど羨むのはそれが無いと知っているからだ。少なくとも、自分には無かったし、これからも無い。単純に機会をロストしているだけではない、多分望んでいないんだ。 望んでいるからこそ羨むのに、羨むという事は望んでいない。メビウスの輪にもなりはしない。
今とは違うロングヘアーの自分は、確かに学校に通っていた頃は殆どを長髪で過ごしていたから、矢張り多少過去からの流用があるのだろう。それにしても顔貌の造作は今そのものだから、年老いたおばさんのコスプレ的羞恥心が上る。 尤も望むのなら年齢も性別もお構い無しに好きな服を好きなように着ればいいと思うのだけれど、その自分を見ている生徒達は一般的が大すきな人が居並んでいたから、そうした衆目の視線に曝されて己がある以上、恥に思うのも無理は無いのかもしれない。他人の目にしか己がいないとは思わないが、確実に一部は存在していると感じる。 そうして取り囲んだ奴らは嘲りながら、半月系に歪んだ口から甲高い笑い声を上げながら、ラフ画の時よりは扱いがいいと呼ぶべきか真っ黒な群体になっていて、大小のでこぼこがなんとなし個体を象徴してみたりもする。嗚呼でもこれ、人間というものの性質を素晴らしく表しているような気がして、味のある線画より好ましかった。
でも嘲笑しているのはコスプレ状態の自分にじゃない。それは判る。でも何についてなのかは、ちょっと理解らない。深層心理的に人に笑われたい事でもあったかな。 悩んで蹲っているのは恐怖に竦んでいるのではなく、それが正しい振る舞いだと認識したからで、演者の気分に近い。そうしてかもめかもめ染みた事をしているといつの間にか闇色の生徒達が文字通り影も形も無くなる。 チャイムの音が響いていて、又自分は教室のドアの前に立っていて、授業だから消えたらしい。妙に礼儀正しい連中だ。 黒板消しが引っ掛かっていない事を確認してドアを引くと、もう目の前にあるのは教室じゃなかった。だけど何処かで知っていた気がして、だけど考えも付かなかったかのように自分は驚いていたから、二面性って凄いな。
だけど繋がっている場所も、人がいるのにいない場所だ。誰かが横たわって、見慣れた布団。但し部屋は小奇麗で、そういえば最近大掃除をした後を見て感動した覚えがある。 臥せっているのは、今のか過去のか判らない人。顔に濃い影が乗っかっていて見えないのに、図体だけでその人以外に誰がいるものかと認識出来る。 いつの間にか自分の手にはトレイと食器と、出来たての料理が乗っかっている。確かに一度くらいそんな真似をした事があったなぁと過去の引用を認めるけれど、一度くらいだ。後は無理矢理叩き起こしてリビングに連れて行っていた筈。では何故そうしたかったのだっけ? 嗚呼、せめて自分だけは其処にいるのだと訴えたかったのだろうか。 所詮今から振り返ってみてのこじ付けに過ぎないけれど、そう遠いようにも思えない。なんと言ったって自分が自分の事をそう考えているのだという過信と、今夢の中とはいえそうしている自分がふと思ったのだから。 後方の学校の廊下も、前方の家の寝床も、どちらにも人はいない。実際後ろにはそりゃ人っ子一人いなかったが、仮に一旦戻ってもう一度ドアを開け直したらもうそこにはいる気がする。 ただその為にはお盆を引っくり返さなくてはいけなくて、バラエティとは言っても食べものを粗末にされるとちょっとばかし不機嫌になってしまう自分には出来る筈が無い。そっと置くという選択肢ははなから無い。 まだ着たままの、恐らくセーラー服、スカートを皺にならないよう気を付けながら正座して、温かい食事を差し出すと、寝込んでいた人は上体を起こして受け取ったけれど。 確かに動いている目の前にさえ、やっぱり人なんていない。
というところで幕切れました。なんだか書き表していると軽くホラーチックに思えるんですが、悪夢よりはいい方向の夢に思えたおれの神経どうしてるんだ!
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