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―― 連ねた意味も、持てない小鳥。
氷室火 生来
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2007年10月31日(水)
最先端の自己完結。


先ず行なって欲しいのは、優先順位というものを弁え、出来る事と出来ない事を見極め、なすべきはそうそうにすべきだと理解する事であるとか。
その上でどうしてもの必要があっても、最早培われた不信感、逆に言えば信頼関係を築いてこなかったが為手を貸して貰えないのだとしても、それは日頃の行いと言うやつなのでしょう。か。
自分の事であれば完結型にしておきますが、一応は客観的に見たつもりの他人の話なのでやや疑問形にしておきます。
仮に宛が出来たのだとして、先ず第一に恩義を返すべきは存在し、更にその後ろにも用立てて貰った事実を認識し、同時進行で自らの生活を賄わねばならず、例えば必要最低生存費、友好にも積み立ては必要でしょう。それらの後ろに位置付けされていても構いません。
問題は、そこに到達出来るのか、算段はあるのか、見込みも無しに突き進んでいるのではないかと言う点、ただ一点のみです。そして自覚無く甘えに移行しているからこそ問題点は問題のままであり。
某ヒーローが顔を食べさせたら、美味しいと言ってくれるでしょう。それは当たり前の前提であり、乗っかるべき行程です。受け入れられ、賞賛され当然だと、風潮が決めているのです。
慢心が無いのだとしても、千切らせなければならない程に陥った状態を発見してくれた安堵にほっとし、僖びと共に迎え入れてくれると、思い込んでいるのです。
例え餡子がすきではなくとも、例え目や鼻が付いていたとしても、例え内部構造が知りたいが為の嘘八百でも、真意を知らなければ害される事は無く、逆に純粋で率直なアンチを口にすれば、もっと言えばクリームのがよかったとでも顔に出してしまえば、たちどころにそこの関係はギクシャクし出します。
社交辞令が必要なのが傷付き易いからでもあるとして、円滑に事が進むならばお世辞にでも頭を下げればいいんです。要は気持ちだけでもと言うやつでしょうか。
見え透いたそれに辟易したとしても、露骨に表せば今度は感付いてしまった方にも過失が問われ、何かをしてあげたとでも優越感に浸る自己陶酔を戒めねばなりません。
恩を作っていないので、通してくれなくても構いません。持ち合わせていない正義を振り翳す気は毛頭無いのです。おべんちゃらで救われるというのならなんてあまりに安い仕組みですが、従って当然と言う態度に顔を顰められたならどうも有難う下僕様とでも言ってやれば満足するんじゃないですか。

きっと慈善事業は向いていません。向いていないんです。人に優しくするなら見返りがなくちゃ、それが害であるリスクばかり考えて立ってもいられません。但し優しいと言うものを理解している訳ではなく、真似事をして安泰したいのでもなく、それすらもまた、日々を生き抜く為の処世術に過ぎなかった。
貸した何かを返してくれなくてもいいから、これ以上貪ろうとしなければそれで。これ以上、利用しないで。
アンパンマンにはなれません。なれないんです。


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