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―― 連ねた意味も、持てない小鳥。
氷室火 生来
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2005年04月08日(金)
熱いアスファルト思い切り踏みしめて。


今朝のニュース特集では、英語に深入りした学校の話をしてました(深入りって)。
最近は兎角英語に関わっていればなんでも評価が高いようですね。
何歳児がもうぺらぺら、なんて謳い文句は正直もう飽きましたなぁ。

何故に皆、そんなに英語を特別視してるんでしょうか。
はなからずっと英語を教え続けていればそれは普通に覚えていくのは当たり前でしょう。
幼子が卓越したものなら兎も角拙い若しくはそこそこの日本語を話したからって、
正直みんなそこまで驚かんでしょう。親類は兎も角。
途中から妙な覚え方をさせるよりは、始めからちゃんと英語を覚えさせたい気持ちも
判らなくもないですが、それはその分日本語を覚える領域が使われ狭くなっているという事。

日本語に精通している人なんて、きっと本当は一握り。日本に限らず、母国語とも。
全てを言葉、用途例、諺の類いなんて入れても、まさか知る人は居らないでしょう。
いやだから、いたとしても少数で。
日本語も英語も中途半端でどちらも極めず、それなりに使えるというのもいいかもしれませんが、
どっちつかずより一本を極めるというのも、素敵だと思うのだけれど。

誤解無きよう言っておきますが、翻訳家はとても大変な仕事だと思っていますよ。
どちらの意味も損なう事無く共通のものを差す言葉を探し出すのは、中々に至難の業。
それらの道に進ませるなら兎も角、ただ便利だからと言ってやらせるのはどうかと思う、それだけで。
だって言葉が覚えていれば便利なんてのは、まるで当たり前の話。
他国の言葉を全く知らずにいれば、日本にある店名さえ判らなくなるでしょう。
ものによって、日本語より他国語のが伝え易い事も多々あります。
生きる上で、ちょっとというか齧る程度は、最早必要な知識なんでしょうけれど。
その分消える日本語や、新たに入る筈だった日本語の椅子が埋まった事を、思うべきだと。

そして徐々に、薄れていくものはなんだろう。
やがて消えゆく日本語を、後で憂いても仕方が無いだろうに。


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