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―― 連ねた意味も、持てない小鳥。
氷室火 生来
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2005年02月23日(水)
僕が僕に出来る事。

基本概念として確立しているものは、そうは無いと思っているのですが。
今まで生きてきた中で、思想や考え方が出来てきたように、無ではない。
というか、もしかしたらそういった拘りが、多かったりするのかもしれない。

神の存在も幽霊の存在もUFOの存在も肯定しなければ否定もしない。
どちらもそれを証明する材料なんてないから。あってもいい。なくてもいい。
宗教や理念がどうあっても個人のもの。人に危害を及ぼしても。
他の動物のが劣っているという考えこそが人というものらしく浅はかで、
人間なんてちっぽけで知れる事なんて微々たるもので一番莫迦かもしれなくて。
本当は自然語なり世界語なり、という言い方も人間臭いのだろうけど。
それが人間にだけ分からないのかも知れないとか。
つまり、そういった物事の考え方や捉え方が多いと。
総ては仮定の話。所詮は架空の問題で。
空想の世界もすきだけれど、しかしそれが絶対に現実に起こらないと、確証なんて何処にも無くて。
拘り無いように見えて拘りだらけの不自由さ。
身動き取れない程に鎖を付けられて。
しかし考えの幅としては広く自由でもある。
かと思えば絶対的に無理な存在もある。
如何にそう考えられても、虫が苦手。
理論的に語ってみても、そんな理由が本当に通ずる?
それはどちらかと言えば人や他の動物が苦手な理由で。
生理的に苦手なのだとしたら、何故そうなのだろうそうなったのだろう。
総ての者がそれをきらいな訳ではなく愛好者もまたいるのに、認められない存在。
結局、逃げ道として都合のいい個人的な生理的嫌悪だって実証なんて出来ない。説明なんて出来ない。
矢張り人ととは、浅はかか。それとも知恵の足りない個人的問題。

その考え方はきらいではなくて、今後もそうなのだろうとは思うのだけれど。
矢張りまた、相容れない事柄は出てくる。
けれどこの物の見方が否定されたのならそれは即ち私そのものと相容れないと云っている訳で。
生きてきて培った、それを駄目だと云われている訳なのだから。
差異を認める事は多く、それは当たり前。
違いの認知ではなく、否定だったのなら、それはもうそこに壁があると思うしか無い。
結論から云えば、十人十色v という事なんですけど。
くだらなく、べらべらと話すって、いけないものだろうか。


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