
戯 言ノ源
―― 連ねた意味も、持てない小鳥。
氷室火 生来
回帰
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| 2005年02月22日(火) ■ |
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| 魚群が来ないのが悪いんだ。 |
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一応告げよう事はある。 口にする事はこんなにも容易くて。 だからこそ伴わない心の隠れやすさ。 そんな本日は兄上様のバースデイ。
プレゼントなんて金欠には出来ません。 いいんです、あれもくれなかったし。 普段あれ扱いです。父君様もその分類。 同義語として これとかそれとか あいつとかこいつとか 大食らいとかゲーム好きとか まぁそんなんばっかりです。 普通に名称や職名でも呼びますが。 互いに互いな、そんな関係。 気に留める事すら、出来ないような。
そもそも、そのイベント性に浮かれる人や その雰囲気に興味があるのであって、 またそれに乗ずる事で演じているのであって、 そこに祝いの念があるのかと聞かれれば 斯くも複雑怪奇な事なりて。 要するに、中身を理解している訳ではないのです。 正直なところ何がめでたいんだろうとか 思わない訳でもなかったり(おい)。 飲み食いするのに口実は幾つあってもいいもんです。
形式的、建前、取り敢えず、場の雰囲気。 手を変え品を変えそれを云う理由なんて幾らでも。 付けられるけれど、本来伴うべきは姿さえ現さず。 多分、無いからでしょう。 あるべき筈、あってしかるべき思いが。 装うのは簡単で、日常をこなせばいいだけで。 それが常なのだから恥じらいも無くて、 罪悪の念なんてこれっぽっちも。 それでいいのかと聞かれれば、 それでいいのだと答えられてしまうような。
容易い、嗚呼なんと容易い事か。 だからこそ平然と偽装出来てしまう。 それに気付いているのが一体何処まで何までいつまで誰まで。 知る由も無い。どちらでもどうでもいいのだから。 結局は、興味の範疇外。 演じては、はいそれで終わりと、カーテンを降ろせてしまうから。 終わってゆく時に馳せる思いは、ちっぽけな自画自賛。 保つ為の便利アイテム。そしてそれは平常の中へ。 それでも、ふとした時に思いは寄せる。 こうする事が己にとって普通ではあっても。 こうする事が、正しいのかどうか、だなんて。
取り敢えず、DISC2に行ってからは。 噂にたがわず過去の記憶とたがわず モノローグ続きでやらせろよおい! ツッコミたくなるあれの終わりも、 もう近いのだろうという事。
それは終わりの鐘の音で。 面倒くさい事の終了で。 舞台の千秋楽とおんなじで。 繋がりが消えてゆく為の合図。 おべんちゃらの機会が減る証。 どうでもいい事が途絶える瞬間。 相も変わらず平常は平常のまま。
…………チョコレートが食べたい…… え、脈絡無さ過ぎですか。 あるにはあって。 無い事は無い。 だが、無いのも事実で。 あるのも事実。 面倒くさい、そういう事。 煙草の残量が残り一箱なのも、 欲望を高まらせる切欠ですかな。
ギブミーチョコレート!! …と煙草。 結局そこに行き着いてしまう性。
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