U22の日韓戦の日、高校野球、ワタシの母校が敗れました。 無名校のわりには毎年いいところまで行っていたんだけど、今年は3回戦敗退です。 弱くなったもんだなー・・・。 確かに受験とか、アンチ坊主とかで運動部率が減っているという現実もあって、 ワタシの在学中でさえ、 「勉強できるヤツは、部活やってたってできるんだ!(だからやれ!)」 みたいなことを散々言われた気もしますが。 そりゃごもっとも。愛する宮本がまさにお手本です。 そんなアタシは勉強もできなくて体育もできないです。(いつもここから・大好きなフレーズ)
ま、うちの地区って超激戦なので 在学中にベスト8まで上ったことが奇跡だったのかねぇ。 今思うと、あの頃がピークで、わたしのいた3年間はベスト8とか16とかでした。 間違っても3回戦で帰ってくるようなことはなかったし、 終業式には毎年野球部はいないものでした。
そう、ベスト8まで行った年は忘れもしません。 現・某球団の某選手に打ちのめされたんです。 当時から彼は注目の的で、そりゃもう女子ファンもいっぱい。 他校にまでファンを広げる人気ぶり。 相手はバス何台もチャーターして来るような学校なんです。 そりゃもう応援もすばらしい。 学ランとかじゃないからね、洗練されたさわやかな衣装で。 マスゲームのようで。(どこの学校かバレた?) 地区予選であんなに人が来るもんなのかーって嫉妬しました。 うちの学校といえば、ごくごく普通の学校で、 それでもベスト8まで行ったその年はバス3台で乗り込んだんです(少な!)。 即席の学ラン応援団が、氣志團以上にかっこよかったです。 応援団は学ランに限る。 (応援団はなぜか軽音の人間ばかりで、長ランや短ランを衣装として着こなしていました。) だいたいヤツの学園自体がサッカーも野球も県代表の常連で うちの学校なんかが太刀打ちできるわけもなく、 なめられた我校は、2軍相手に戦うこととなったのです。 ムカつくでしょー!? そりゃそっちは野球部だけで何百人もいるよーな推薦で全国から集まって来るよーな学校だけど、 高校生のうちからそんな戦い方を身につけると、歪んだ人間になっちゃうんだから! しかし、思ったよりうちの学校が互角に戦っていたので(相手は2軍だったが) 5回から奴ら1軍が出て来たのです。 ま、たとえて言うならば、こないだのコンフェデ・フランス戦みたいな。 アンリ出しちゃうぞ、みたいな。 そして、某選手の登場の瞬間を鮮明に覚えております。 キャーーーーーーーーッッッッッ! あんな黄色い声を聞いたことがあっただろうか。まだ高校生だよ? ・・・5対3で負けましたよ。 あの学校相手によく戦ったよ、誉めるのはうちの選手だと思う。 その年、どこが甲子園に行ったんだか忘れちゃったけど 高校野球の季節が来ると熱かった日を思い出します。
裏・高校野球としては、応援団の引退式。 野球部が負けると同時に、野球部のための即席応援団も引退なのです。 その涙涙の引退式がねぇ・・・応援団は仁義組織なので 上下の結びつきはヤクザレベルです。 そう、負けたグランドの片隅で、3年生の前に1、2年が整列し、 団長が次期団長を指命します。 後輩に託す言葉をかけ、引退する3年生は、なぜか、水をかぶります。 「失礼しますッ!」と後輩団員がバケツを持って、それぞれ3年生の左脇に立ち、 「オス!」のかけ声でバシャッと頭から水をかけます、学ランはびしょびしょです。 で、最後、号泣。みたいな。 ・・・かっこいーーーー。 「青い春」のあの野球部少年のヤクザ入りのシーンを彷彿させます。 BGMはミッシェルのブギーでよろしく。 アタシはこの公でない儀式を影から覗くのが楽しみで楽しみで なにが楽しみかって、やっぱ当時好きだったHくんが応援団だったので 3年間見守りました。 ってかなんちゅーヤクザ高校だよ?って思いますかやっぱ。 いえ、至って普通の学校でしたよ、不良とか一人しかいなかったし。(居たのか、一人。)
高校野球・・・いいよね。タッチだよね。 夏になるとタッチの再放送が始まり、半端なところで夏休み終了ってパターンだよね。 プロと違ってさ、守り終わったら「走って」戻ってくるとか、そういうの大事。 例の某選手だってさ高校生の頃は必死ズムだったはずなのに。 結局女子アナなどと噂になるようにできているんですな。
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