見つめる日々

DiaryINDEXpastwill HOME


2010年10月02日(土) 
起き上がり、窓を開ける。夜明け前。まだまだ空は闇色。見上げると、空には薄く雲がかかっている。でも今日は晴れると天気予報は言っていた。じきにこの雲も何処かに消えてなくなるのかもしれない。
PCの電源を入れて、音楽を流す。最初に流れてきたのはSecret GardenのSona。それを聴きながら台所に立つ。娘が目玉焼きを食べたいと言っていた。せっかく目玉焼きを作るなら、小さなサラダも添えてやろう。そう思い、冷蔵庫を覗く。野菜が高いせいで、野菜室はがら空き。昨日買ったキャベツを千切りにし、茹でておいたブロッコリーとミニトマトを添える。あとは目玉焼きを作るだけ、というところで娘に声を掛ける。ママが起きたら私のこともたたき起こして、と昨日言っていた。
なかなか布団から出てこない娘を放っておいて、私はベランダに出る。櫛で髪を梳かし、後ろひとつに結わく。大きく伸びをしてから、プランターの脇にしゃがみこむ。空は徐々に徐々に、紺色が薄らぎ始めた。
デージーは、まだまだ私は咲いているんだから、という勢い。なんだかここまでくると健気だ。私が早々に、もう終わりだと思ってしまったことが申し訳なくなってくる。でも、デージーとラヴェンダーを一緒にプランターに植えたのは、やっぱり失敗だったんだなと昨日思った。デージーの勢いにすっかり負けているラヴェンダーが、デージーの茂みの下で、細く細く伸びているのを見つけた。あぁ、この茂みですっかり日陰になってしまっていたのだな、と改めて思う。
弱っているパスカリの、新葉が、ちょろり、開いてきた。本当にこの葉はちょろり、という言い方が似合っている。パスカリには申し訳ないが、ちょっと笑ってしまう。
桃色の、ぼんぼりのような花を咲かせる樹。根元の方からぐいっと伸ばしてきた枝二本が、元気いっぱい葉っぱも広げてきた。きれいな黄緑色。
友人から貰った枝、二本。最初に咲いた枝がまたつけてくれた蕾が、今徐々に徐々に膨らんできている。といっても、この二本の蕾は細身だ。そういう種類なんだろう。すらりとしている。
横に広がって伸びているパスカリ。もう限界です、といったふうに、蕾のついた枝が撓っている。どうしよう。二本の支え棒で、挟んでみることにする。何とかなるかもしれない。でも、これで支えると、蕾がくるり、窓の方を向いてしまうのだが。まぁ、蕾はきっと、日の光を探してちゃんと上を向いてくれるようになるだろう。それを祈る。
ミミエデン、ふたつの蕾が徐々に徐々に膨らんできた。新葉もだいぶ出揃って、ミニバラなりに茂っている感じ。よかった。
ベビーロマンティカの、中央でぷっくりぽっこり膨らんでいる蕾、まだ開かない。もういい加減開いてきてもいい頃合なのだが。私は首を傾げる。他の蕾たちも順調に膨らんできている。そして、まさに茂みになった樹の姿を、私は改めて眺める。本当に君は元気がいいのね、と小さく声を掛けてみる。
マリリン・モンローは、蕾をふたつ、小さな蕾をふたつくっつけて、立っている。まるで隣のホワイトクリスマスには負けないといったふうな勢い。そんな競争しなくたっていいのに、と私はちょっと笑ってしまう。でも、反面、嬉しい。そうやって大きく育ってくれる姿は、いつ見ても、私を嬉しくさせる。
ホワイトクリスマスは、そんなマリリン・モンローに、すうっと横を向いている感じがする。別に競争しているつもりはないのよ、という感じ。そうしてすっくと天を向いて伸びてきている。
アメリカンブルーは今朝、六つの花を開かせた。青い青い、真っ青な花。そうして空を見上げると、夜明けが近づいてきたせいだろう、空が白み始めている。美しい濃い水色の空。あぁやっぱり今日は晴れるんだ。私は立ち上がって、部屋に入る。
ようやく起きてきた娘に、ちゃっちゃか目玉焼きを作って、サラダと一緒に渡す。おにぎりと目玉焼きとサラダ。まぁこんなもんか。私はお湯を沸かして、生姜茶を濃い目に作る。娘は、昨日録画しておいたんだという歌番組を早速つけて見ている。好きな歌手が出ているのだという。
私はマグカップを持って、机に座る。明るくなってきた空。途端に部屋の中も明るくなってきた。太陽が顔を出すということがどれほど世界にとって大きなことなのかを、改めて感じる。
娘に頼まれたものをプリントアウトし終え、私は朝の作業にかかる。

金曜日。電話番の日。時間前に家に戻り、適当に部屋を片付ける。そこにやってきた友人と、軽い昼食を取りながら、ぼそぼそ話す。
最近活字がまた駄目になっちゃったみたい、という友人に、じゃぁ写真集とかなら見ることができるんじゃない?と、何冊かの写真集を並べてみる。最初に彼女が手にしたのは、植田正治の写真集。彼女にとっては初めて見る写真ばかりらしく、こんな昔に、こんな写真を撮る人がいたんだ、と驚嘆の声を上げている。まるで日本人じゃないみたい。でも、彼は日本人で在ることを否定しているわけでもなくて。独り言のようなことを言いながら、彼女はじっと写真を見つめている。
次に彼女が手にしたのは、古屋誠二の写真集で。私がその写真集を最初に見たとき、本屋で立ち読みをしたにも関わらず、涙が出てきたことを覚えている。なんて緊迫した愛の形なんだろう、と、そう思ったのだった。彼女は今何を感じているんだろう。じっと黙って、何度も何度も頁を行きつ戻りつしながら、見つめている。こんなになってまで向き合う愛の形があるんだね、彼女がぽつり、言う。そうだね、と、私も一言だけ、応える。
他にも数冊、彼女は写真集を眺め。私はお茶を飲みながら、煙草を吸ったり、彼女の言葉に相槌を打ったりして時間を過ごす。
一時、電話番を彼女にお願いし、私は知人に円枠描画法を伝えるために席を立つ。一時間かけて知人が描いてくれた絵を挟んで、いろいろ話をする。
あっという間に日は暮れて、友人が帰ってゆく。私はその後ひとりで電話番。数度電話が鳴る。

去年撮影した写真群にテキストを添えたいということで、友人にちょっと手記を書いてくれるようにお願いした。DV被害に焦点を当てて書いて欲しいと彼女に依頼するのは、これが初めてだ。写真は、彼女の部屋で撮ったもの。できあがった写真を彼女にはまだ見せていない。彼女と室内で撮影するのはこの時が初めてだった。普段どうやって過ごしているの?ということで、普段彼女がこの部屋で過ごしているまま時間を過ごしてもらった。今の彼女にとって、大切なものたちばかりが集められた部屋。大事なものばかりで包まれた部屋。数年前まで、彼女にはその「居場所」がなかった。今この「居場所」が在ることは、どれほど彼女にとって大きいことだろう。
居場所。私にとってもそうだ。幼い頃から居場所を探していた。ずっとずっと探し続けて。今ようやく、この場所が、自分の居場所なんだと思える。

じゃぁね、それじゃぁね。手を振って別れる。娘はバス停へ、私は自転車へ。
漕ぎ出そうと思ったところで、バス停から声が飛んでくる。バイバイ! 私は応える。じゃぁね、バイバイ! また日曜日ね!
小学校の校門には、たくさんのお父さん方が並んでいる。今日小学校の校庭では幼稚園の運動会があるらしい。その場所取りなんだろう。ついこの間自分もやったな、と思い出し、ちょっと笑う。
坂を下り、信号を渡って公園へ。池の端に立つと、燦々と降り注ぐ陽光で水面はきらきら輝いている。見上げると、水色というより白く発光した空が見える。
大通りを渡り、高架下を潜って埋立地へ。銀杏並木の緑が、徐々に徐々に黄緑色に変化していっている。これがあの黄金色に染まるのは、いつ頃なんだろう。
ちょうど青になった横断歩道を渡って左折。そうして真っ直ぐ走る。私とは逆方向から何人か自転車に乗った人が走ってくる。みんなヘッドフォンを耳にしているのがなんだかちょっと笑える。そういう自分もヘッドフォンを耳につっこんでいるのだが。
駐輪場でおはようございますと声を掛けると、おじさんがひょいっと出てきてくれる。今日は天気がいいみたいでよかったねぇ。本当にそうですねぇ。そんなことを言い交わしながら、駐輪の札を貼ってもらい、自転車を停める。
歩き出しながら、私は海の方向を見つめる。風車が光を受けて、輝きながらゆっくり回っているのが見える。
さぁ、今日も一日が始まる。しかと歩いていかねば。


遠藤みちる HOMEMAIL

My追加