見つめる日々

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2010年09月05日(日) 
娘がいない夜。唐突に下腹部が痛くなる。どうしようもない痛みで、でもこの痛みは今までにも在る痛みで。どう体の向きを変えようと、下腹部を枕で押さえようと、痛みは痛みのままそこに在り。約一時間、ばったんばったんと床の上で暴れる。いつも痛みが去った後思うのが、何でこんなに痛くて、でも去るときは突然で、と、調整がきかないんだろうということ。刺すような痛みであっても、ある程度のところまでなら我慢できるというのに。
ぐちゃぐちゃになった床を、もう一度直して横になる。目を閉じて、しばらくすると眠りが訪れてくれた。その眠りに落ちる間、父から掛かってきた電話の内容が、淡々と繰り返しBGMのように私の脳裏に流れていた。
起き上がり、窓を開けると、一面灰色の雲が広がっている。あらまぁと思いながら、じっとその空を見上げる。雲も時間が経てば消えゆくものと知ってはいるけれど、朝一番に見る空が、こんな灰色だとちょっと物悲しい。
ふと見ると、デージーがまた黄色い花を幾つか咲かせている。もしかしたらこれが最後の花かもしれないと、私はしゃがみこんでじっと見入る。何処にも染みのない、まっさらな黄色い小さい花びらたち。ぴんと伸びて、天を向いて咲いている。かわいい花だ。私はその花を傷つけないよう、ラヴェンダーとデージーの絡まり合った枝葉を解きにかかる。でも、全部はもう解かない。酷いところだけ、ちょちょっと解く。あとはもう、放っておくことにする。
吸血虫にすっかりやられたパスカリから出てきた新芽。今朝もまた新しいものがにゅっと伸びてきた。嬉しい。吸血虫にやられた姿はもうすっかり痩せ細った姿で、痛々しくて。だから、早く葉が茂ってくれるといい。そう思う。
桃色の、ぼんぼりのような花を咲かせる樹。よく見ると、新葉の間から小さな蕾を出している。ほんの三ミリほどの小さな小さな蕾。でもそれは確かに蕾で。またあの桃色の小さなかわいい花が見られるのかと思うと、なんだか嬉しい。
友人から頂いたものを挿し木したそれは、一本は沈黙しているが、もう一本が今朝もまたぐいっと紅い新葉を出してきている。こちらはまだ花を咲かせていないから、一体何色が根付いてくれたのか分からないが。さて、何色の樹なんだろう。花がつくのが楽しみだ。
横に広がって伸びているパスカリの、蕾がまたひとまわり大きくなった。ぱつん、と張った姿。目を凝らすと、緑色の向こうに白い花弁が見えるような錯覚を起こす。他のところから新芽の気配はないけれど。今は蕾に集中しているのかもしれない。頑張れ、私は心の中、声を掛ける。
ミミエデン、二つの蕾がよりくっきりはっきりとしてきた。そして下の枝の方からも、新芽の気配。よかった、これで、吸血虫にやられた古い葉と新しい葉が全部入れ替わる。あの痛々しい姿が甦る。そう思うと、嬉しくて仕方がない。
ベビーロマンティカの蕾はそれぞれ昨日よりひとまわり大きくなってきたようで。一番大きいものは、僅かに、あの明るい煉瓦色の花弁を見せ始めた。ちょうど表からは影になっているところだから、陽は当たりづらいだろう。それでもこうして咲いてくれようとしている。
マリリン・モンローは、予想以上に新葉を広げ始め。そしてひとつの蕾を大事に抱えている。そしてその隣、ホワイトクリスマスにも新芽の気配が。白緑色の芽がぐいっと、枝の中間あたりから出てきている。あぁよかった。こちらもちゃんと生きている。
アメリカンブルーは今朝二つの花をつけてくれた。相変わらずきれいな青色をしているな、と、花びらの縁を指でなぞる。そして空を見上げると、雲が徐々に徐々に西に流れ始めているところで。南の方、水色の空が顔を出した。
私は部屋に戻り、お湯を沸かす。そしてふくぎ茶を今朝もポットいっぱいに作る。濃い目に入れたお茶に氷を三つ落として、そのカップを持って机に。椅子に座り、PCの電源を入れる。
メールチェックすると、入稿した原稿に一箇所、ミスが見つかったとの知らせ。慌てて訂正し、そのデータを再入稿する。とりあえずこれで完了。あとはまた向こうから知らせがくるまで待機だ。
煙草に火をつける。ついでに杉のお線香にも。しばらくするとふわんと杉の香りが漂ってくる。さぁ、朝の仕事をさっさと終わらせてしまおう。私は座り直し、作業にかかる。

友人と別れ帰宅し、ひとしきりプリント作業。できあがったのを改めて見て、ちょっと濃く焼きすぎたかなと思う。でも、もうこれ以上やり直ししても、どうしようもないような気もして。迷う。一枚だけは、再度やり直そうと決めたものの、後はこのままでいくかもしれない。
それに継いで、テキストも一枚、プリントする。会場に私がいられないときに、これを読んでいただければ意図が伝わるよう。いつも用意するテキスト。版画用紙に刷り出して、とりあえず間違いがないことをチェックする。
そうしてもうひとつ、配布するプリントも。次々プリンターを動かしてプリントアウトし、私はホチキスで留めてゆく。どれだけの人が、このプリントを持って帰って読んでくれるだろう。会場で読んで、「痛いから」と言って戻して帰られるお客様もいる。そういう姿を見ると、正直切なくなる。痛いかもしれないけれど、痛いかもしれないけれどでも、それが現実なんですよ、と言いたくなることがある。もちろん実際には何も言わずにいるけれども。
今回モデルになってくれたAが言うように、これまで一緒に撮ってきた中で、多分一番私たちが一体化した写真になったと思う。それは川の流れのように自然で、互いの中に互いが入ってきた、そういう感覚だった。
一人でも多くの人に見てもらえたら。心底そう思う。そして、写真を見ながらこの彼女が書いてくれた手記を読んでくれたら。そう願わずにはいられない。
そろそろDMの宛名書きも始めなければ。思いながら、もうその日は手いっぱいで。また後日にしよう、と横になった。

「逃げ出さないで、葬り去ろうとしないで。何かに没頭したり、食べ物をほおばることで、感情を麻痺させたり、現実を作り変えようとしないで。とにかく記憶を見据えること。手首を切ったりしないで。生きている限り何度でも巡ってくる気持ちなのだから。とても辛いことだけど、やり続けるしかない。これも人生の一部なのだ」
「この十年か十五年生き抜いてきたのと同じくらいの真剣さで、癒しに取り組めばいい」
「怒りよりも、哀しみよりも、恐怖よりも強いもの、それは希望。」
(生きる勇気と癒す力より引用)

昔観た映画監督が、その映画に寄せて、こんなことを書いていた。「絶望の先にこそ真の希望が在る」と。
その時は、いい言葉だな、と思って日記帳にメモをした。しばらく経ってその言葉は、とてつもなく大きくなって、私の中にどんと居座ることになる。
絶望を知ってこそ、手に入るのが真の希望だというのなら。私たちのような人間にも、希望は在るのかもしれない、と。今は絶望の真っ只中だけれど、ここを越えたらもしかしたら、希望の光が見えてくるのかもしれない、と。
それを支えに越えた、幾夜が在った。ただそれを支えにして、越えた時間が在った。
今改めて思う。この言葉は、私の一つの指針だ、と。「絶望の先にこそ真の希望が在る」。決して忘れることは、ない。

ママ、明日早く迎えに来てよ。いいけど、勉強終わるの? …終わんない。ありゃまぁ、じゃぁどうする? …いつもの時間でいいよ。もうっ。ははは、まぁ終わったらいつでも電話よこしなよ。ね? ん、分かったぁ。
娘のいない夕飯、面倒くさくて、おにぎりとところてんだけで済ます。まったく、一人だといい加減なもんだ、と苦笑しつつ。

玄関を出ると、ちょうど校庭ではスプリンクラーが回っており。水しぶきの向こう、小さな虹が出来ている。七色の、小さな小さな細い虹。
階段を駆け下り、自転車に跨る。坂道を下り、信号を渡って公園へ。ミンミンゼミが、多分私の近くで懸命に啼いている。その声に木霊するように、あちこちでミンミン、ミンミン、と啼く。気のせいか、その後ろで、ツクツクボウシの声が一瞬したような。私は再度耳を澄ます。いや、いる、何処かにいる、きっといる。
猫は池の向こう岸、今朝も居り。でーんと腹を見せて寝っ転がっている。私は彼を起こさぬよう、そおっと池の周りを歩き、立ち止まり、空を見上げる。眩しい空。私は一瞬にして目を瞑る。
公園を出て大通りを渡り、高架下を潜って埋立地へ。聳える銀杏並木を見上げながら走り、さらに通りを渡る。真っ直ぐ走って、走って走って、そうして海へ。
濃紺と灰色とを混ぜたらこんな色になるのかな、という具合の海の色。打ち寄せる波が白く砕ける。
自分の人生の行き先が分からないとき、不安になる。不安になるけれど。先が見えないのなんて、誰でも同じこと。そう思って、私は仕切りなおす。きっとどうにかなるよ、と自分に言い聞かせる。
さぁ今日も一日が始まる。私はくるりと向きを変え、再び走り出す。


遠藤みちる HOMEMAIL

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