見つめる日々

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2010年09月04日(土) 
眠りが酷く浅かった。何故かずっと天井が見えていて、ずきんずきんとする頭痛を感じながら、暑い、暑い、と思っていた。隣に眠っている娘の腕が飛んできて、思わず振り払いそうになって、すんでで止めた。
結局どのくらいちゃんと眠ったのか分からないまま、起き上がる。友人がすでに起きていて、おはようと声を掛ける。ベランダに出て、大きく伸びをする。空は雲ひとつなく。すっきりと澄んだ水色で。私の目にはちょっとそれは鮮やか過ぎて、思わず目を瞑る。
ラヴェンダーとデージーの絡まり合った枝を解こうかと思ったが、もうデージーも終わり。しばらくこのままそっとしておくことにする。花の終わったデージーは、小さく丸い塊になって、枝葉の間に点々としている。これが種になっていくのかと思うとちょっと不思議。いや、それが当たり前の営みなのだと思うのだけれど、でも。
アメリカンブルーは今朝は二輪だけ咲いている。ちょっと花の形がひしゃげている。くっついて咲きすぎているせいなのかもしれない。でも、この花の色はいつも、私を励ましてくれる。大好きな色。
吸血虫にすっかりやられたパスカリの、ようやく出てきた新芽たちが、少しずつ開いてきた。萌黄色のきれいな葉の形に、私はしばしうっとりする。よかった、新芽たちまで吸血虫の痕跡を残していなくて。
桃色の、ぼんぼりのような花を咲かせる樹。こちらもまた新芽を開かせて。細長いその形。薔薇の葉の形とは思えないけれど。でもこれも薔薇のひとつ。
友人から頂いたものを挿し木した二本。花を咲かせた方はしばしの沈黙なのだろう。新芽の気配は見られないが、片方からはぐいぐい新芽が出ている。紅色の、まさに赤子といった感じの新芽たち。大きくなれよ、と声を掛ける。
横に広がってきているパスカリの蕾が、予想以上に大きくなってきている。もっと小さいまま開いてしまうかと思っていたのに。今私の小指の先くらい。どこまで大きくなるだろう。
ミミエデン。新葉が出揃ったのか、今、紅色から緑色へ変化している最中。不思議なグラデーション。でも、不自然じゃないところが、自然の偉大なところ。
ベビーロマンティカは、もうもこもこするほど新葉を開かせており。その間、あちこちから、蕾を覗かせている。その中のひとつ、一番樹の後ろ側にあたるところの蕾が、ぱつんと丸くなってきた。じきにあの明るい煉瓦色の花弁の色も見え始めるんだろう。
マリリン・モンローは、新葉の間にひとつだけ、蕾をつけて。その蕾が、首を少し伸ばしてきた。ここから見ると、ちょうど空に向かって蕾が伸びている姿が見られる。それは向こうから伸びてくる光のおかげで影になって私の目に映る。美しいその輪郭。
ホワイトクリスマスはまだ沈黙の時間らしい。ぐるりと樹の周りを見回すが、新芽の気配は見られない。でも、その葉は艶々していて、美しく開いている。
部屋に戻り、お湯を沸かす。ちょうどなくなったポットの分だけ、ふくぎ茶を作る。そういえばもともとふくぎ茶をくれたのは今部屋にいる友人で。その友人に、冷たいふくぎ茶を勧めると、あぁ、私、冷たいのの方が好きかも、と言う。冷たくすると、その分ふくぎ茶のハーブの香りや味がぎゅっとお茶の中に凝縮されるような、そんなところがあって。結構いい感じ。
昨日は、電話番の日だった。スタッフの一人であるYさんも来てくれて、あれこれ話す。私の友人とYさんと私と、たまたま共通のトラウマを持っていた。でも、この三人を見ただけでも、トラウマから派生する症状は、本当に人それぞれだということを思う。同じ被害を受けたとしても、現れる症状は本当に違う、人それぞれ。決して同じじゃぁない。
途中、娘が学校から帰宅し、狭い部屋の中、四人がぎゅうぎゅうづめになる。娘は、初めて会うYさんに、早速ハムスターたちを披露し、じゃれあっている。友人は友人で、海外の友人とスカイプをしており。私たちはみんなそれぞれに時間を過ごす。そうしている間に娘が塾へ出かけ、Yさんが帰宅し。部屋には私と友人のみ。急に広くなったように感じられる部屋。外は夕暮れ。
娘が帰ってきて、三人で具沢山の冷やし中華を食べる。胃の悪い友人が、それでもしっかり平らげてくれたことに私はほっとする。
それにしても。振り返るとなんて長閑な一日。平凡な一日。でも、そういう日が一日でも多くあれよと思う。そういう一日一日が積み重なって、私たちを作ってゆく。

朝一番にとりあえず仕事。注文を受けていたDMを印刷に回す作業。データをアップロードしながら、私は一本煙草を吸う。娘は隣で友人とゲームに興じている。
今日もまた暑くなる。窓の外を見ながら思う。時間が経つにつれ濃くなってゆく水色の空を見上げながら、私はもうすでに背中に汗をかいている。

この一年の、あの勉強が私にもたらしてくれたもの。父と母との、新たなる関係。自分自身の立ち位置の確認。この二つが一番大きなものかもしれない。
父母との関係は。本当に激変した。今までだったらぶつかり合っていた、或いは私が泣き出していただろう場面でも、私たちは普通に話をすることができるようになった。普通に、そう、穏やかに、言葉を交わす。そのことの大切さを、今、私はゆっくりと噛み締めている。父も母も七十を越える年になり。あと何年生きられるか分からない。二人とも体に爆弾を抱えている。そんな父母と、今ようやっと穏やかに会話できるようになって、向き合うことができるようになって、本当によかった。彼女たちが死んでしまってからいくら後悔したって、それは取り戻すことはできないことだったろう。
そして私の立ち位置。私はこうしか生きられないじゃなく、こうも生きられるし、ああも生きられる、ということを、改めて知る。被害に遭ったからもうだめなのではなく、被害に遭ったからこそ得られるものがあることを知る。私の立っていた場所は決して砂漠などではなく、実はいつのまにか肥沃な土になっていたんじゃなかろうか、と、そうとさえ思える。
肥沃な地に変えてくれたのは。きっと、私の周囲にいてくれた人たちのおかげだろう。私をじっと見守っていてくれた友人たちの、涙や嘆きが肥やしになって、そうしてこんな土になったんだ。そう思う。
人は人によって木っ端微塵にされるけれど、同時に、人は人によってこそ救われる。そのことを、私は強く思う。

三人でぺちゃくちゃしゃべっている最中に、私が突然、がたがたと崩れ落ちた。私にとってはよくある発作のようなものだったのだが、それを見るのは初めてのYさんや友人にとっては、何が起きたんだ、という具合で。
私にとっても、この発作は困り者なのだ。突如起きる。本当に突如起きる。しかも、がくんがくんと体が大きく揺れ、倒れるしか術がない。痙攣の大きなもの、みたいに想像してもらえばいいのだろうか。うまい表現が見つからないが。起きる直前、肩甲骨の辺りからぐわっと血がのぼり、同時に頭の上からそれをぐっと押さえつけられる、そんな具合で、それが起きると、体ががくんがくんとなってしまう。
こういうのは、一体何病院に行けば、対処してもらえるのだろう。皆目見当がつかない。心療内科の先生に何度も訴えてはいるのだが、眩暈か立ち眩みね、と言われるだけで、それ以上話が進まない。でも、眩暈や立ち眩みじゃぁなくて。
やっぱり、近いうち、別の病院で一度診てもらおう。今私が大病なんてしたら、娘に迷惑をかけるだけだ。対処方法があるなら、今のうちに知っておくべきだとも思う。早めに何処かで診てもらおう。私は心に小さくメモをする。

じゃぁね、それじゃぁね。自分だけじじばばの家に行かなければならないということにむくれている娘が、そっけなくバスを降りてゆく。私はその後姿を、消えるまで見送る。
友人の歩くテンポに合わせてゆっくり歩きながら、K川を渡る。陽射しが強烈に私たちを射る。日陰を選んで歩くのだが、それでも陽射しは私たちを追って来る。
さぁ、今日も一日が始まる。しっかり歩いていかなければ。


遠藤みちる HOMEMAIL

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