見つめる日々

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2010年08月27日(金) 
この二日、連続して娘が、寝ながら九十度回転してくれる。おかげで彼女のでっかい足が、私の腰に命中するという具合で。絶対に目が覚める。布団の一番端っこに逃げて、体を丸めて何とか再び眠ろうと試みるのだが、うまくいかない。どうやったって彼女の体はもうそれなりに大きいのだ。私が多少避けたからって、何とかなるもんじゃぁない。
そんな彼女の体の大きさを思うと、よくまぁここまで無事に育ってるなぁと思う。彼女が泣きながら私の胸に寄りかかってくるとき、私は足を踏ん張らないと、後ろに倒れそうになる。健康優良児、といえばいいのか。まさしく彼女の身長と体重はそういう感じだ。でもそのおかげで、私は楽をさせてもらっているのだから、感謝しなければいけない。
彼女が熱を出す、風邪を引く、おなかがいたくなる、そういったことは、本当に数えるほどしかない。まだ乳飲み子の頃、確かに彼女はよくおなかを壊した。とんでもなく臭いうんちでそれを教えてくれた。でも、いつでも上機嫌で、ふっふと笑って転がっていたのだった。そのまんま大きくなって、私と二人暮しになってからも、彼女は寝込むということがない。子供が寝込まないということが、どれほど親にとって助かることか。そのことを強く思う。私が寝込んでも、彼女は今ではもう、作り置きの冷凍おにぎりを自分で温め、食べてくれる。
昨夜、娘に言われて思い出し、一学期末に渡された「あしあと」というプリントにコメントを書いた。夏休み中に頑張ったことを書くことになっている。私が「読書を特に頑張りました」と書き込むと、娘は嬉しそうににっこり笑った。図書館で借りたもの、じじばばに買ってもらった本、私が子供の頃読んで取っておいた本、いろんな本を彼女は読んだ。その何冊かに感想文までつけてくれた。いい思い出になる気がする。
結局、三度目、彼女に蹴られて、寝るのを諦めて私は起き上がる。空はうっすら雲がかかっているものの、きれいな水色だ。今日もまた暑くなるんだろう。天気予報を最近見たくないと思う。見るほど、暑さを思い知らされてうんざりするからだ。テレビで見るものは、私にとって唯一天気予報といっていいくらいのものだったのに、それさえ見ないとなると、私にとってテレビは、大きな大きな空箱のようなものだ。
昨日、再びHPのことで友人と会う。麦藁帽子を被った彼女は、何枚かの版画とペン画を持ってきてくれた。これを頁に適当にあしらったら、彼女の味がなおさらに出ると思う。それにしても。学校が始まってからもうじき一年。こうやって一気に開業へ向けて走る彼女と、自分との違いを思う。
ベランダにしゃがみこみ、ラヴェンダーとデージーの絡まり合った枝葉を解く。よほどそっとやらないと、デージーがもう切れてしまう。終わりを迎えたデージー。種を母にと思ってはいるものの、草類を育てるのが殆どない私にとって、こうした終わり方は何と言ったらいいんだろう、ちょっと不思議だ。枯れるべくして枯れてゆく、そうした姿を見送るのはまるで、人が自然に死んでゆくのを見守っているかのような気がする。
パスカリの、横に横に広がって行っている一本。棒を立ててやってから、少し楽になったのか、新芽がまた出始めた。花芽はないけれど、それでもあの吸血虫からも解き放たれて、元気になってくれたようだ。ほっとしながら私は、それでも念のため、葉を指で拭う。
もう一本のパスカリは、吸血虫の影響が色濃く出ていて。くっついている葉の大半が、半分茶色くなってしまった。こちらも今は、吸血虫はほとんど残っていないらしい。どういう条件で吸血虫は出てくるんだろう。私は首を傾げる。あの一時期だけ、ということはないと思うのだが、今、こうやって見渡しても、あの頃のように明らかに存在しているという気配はない。
桃色のぼんぼりのような花を咲かせる樹も、新芽を出し始めた。ベビーロマンティカと同じく、これは新芽が赤くもならないから、突然ひょいっと葉が広がっていて、あっと気づく。今回も、三枚もの葉が伸びてから、あら、新芽だ、と気づいた。気づくのが遅くなってごめんね、私は心の中、小さく詫びる。
友人から貰った枝たちは、今日も元気だ。一本は紅い新芽を出している。このままぐいぐい大きくなれよ、私は何となく声を掛ける。それにしてもかわいい。ぺろん、と艶やかな葉を広げ、ちょっとごめんよ、といった具合に伸びてくる。
ミミエデンは、吸血虫にやられた新葉を、それでも懸命に伸ばして広げて。切ないくらい一生懸命だ。こういう樹を見ていると、サバイバーである友人たちの顔がちらほら浮かぶ。何度でも幾度でも、這いずって立ち上がって、生きようとする友人たちの顔が。
ベビーロマンティカはあっちこっちから新葉を萌え出させ。蕾もふたつ。吸血虫は、ベビーロマンティカにも憑依したが、他の種類より被害は少なくて済んだようだ。新芽のひとつが歪んでいるだけにとどまっている。
マリリン・モンローは、花をふたつとも切り落としてやると、今度はひょいっと紅い新芽を出してきた。頑張ってるなぁと思う。こんな暑い強い陽射しの下、懸命に葉を広げ、伸ばし、生きようとする姿。逞しい。
ホワイトクリスマスは、蕾が綻び始めた。予想よりずっと早く綻んできた蕾を、私はまじまじと見つめる。美しい白い花弁が、ひらり、ふわり。鼻をくっつけると、私の大好きなあの、涼やかな香りが漂ってくる。
私の手元に、昨夜遅く、一冊の本が届いた。図書館で見つけ、開いてすぐ、これは手元に置かなければと思った本だ。エレン・バスとローラ・デイビスによる「生きる勇気と癒す勇気」という本。副題は「性暴力の時代を生きる女性のためのガイドブック」とある。子供の頃に性的虐待を受けた人たちに向けて書かれた本だが、内容は、私たちのような人間にもとても役に立つ。「性的虐待の被害が、人が生きる基盤として必要とすることをどんなに手ひどく奪い去るか、また人はそこから自分の力をどのように認め、どのように回復していくのかということをこの本は示している。傷ついた人が一歩を踏み出すのは大変な勇気のいることだ。自分が生きていくためだけでも、大きな勇気を必要とする。頁を捲る勇気までは出てこないときには、本を持っているだけでもいいかもしれない。本はいつでも待っていてくれる」。そんな言葉が、新装版発刊にあたって、書かれている。本当にそうだと思う。本は決して読み手を急かしたりしない。その「時」が来るまで黙って待っていてくれる。そしてこの本には、性犯罪被害者にとって必要なことが、具体的にたくさん書かれている。こんな本があったことに、私は今の今まで気づかなかった。もっと早く気づけていたら、と思うと、ちょっと悔しくなるくらいだ。でも、私にも、「時」が必要だったんだろう。今が出会う「時」だったんだろう。そう思う。

ママは何で本読むの? なんでって、読みたいから読むんだよ。だから何で読みたいの? うーん、そうだなぁ、ママが考えてもみなかったことや、ママが思ってもみなかったことがいっぱい詰まってるから、かな。そういうこと、その本と出会わなければ、ママは知らないまま生きていることになったかもしれない。そう思うと、もっと本読みたい、って思うんだよ。それとね、単純に、活字が好きなのかもしれないな。活字? うん、書き言葉のこと。書かれた文字を辿るっていう作業が、ママは単純に好きなんだと思う。あなたはどうして本を読むの? 面白いから。どういうところが面白いの? うーん、自分がしたい恋愛とか、いいなあって思うこととか書いてあったりして、感動したりもするから。そかそか、それと殆ど同じだよ、ママが本を読むのって。そうなの? ママは勉強のために本読んでるのかと思ってた。ははは、もちろんそういう時もあるよ。勉強のために本を読む。でも気がつけば、本に夢中になってて、勉強することなんて忘れてることも、ある。ふぅーん。変なの。そう? うん。
ねぇねぇママ、どうしてNさんは、お返事くれたんだろう。本もくれたよ。そうだねぇ、それは、あなたが一生懸命感想文書いて、Nさんに届けて、それがNさんの心に通じたからだと思うよ。大人の男の人って、そういうんじゃないと思ってた。どういうのだと思ってたの? うーん、大人の男の人って、もっとつんけんしてて、冷たいのかと思ってた。あら、あなたの周りにいる、HさんやKちゃんは、どう? いっぱい遊んでくれるお友達。あの人たちだって一応大人の男の人だよ。いや、違う。HさんやKちゃんはお友達なんだよ。ははは。そうか。そういう区分けをしてるんだね、あなたは。でも、あなたが誠心誠意尽くしたものを、拒絶するオトナがいるとしたら、それは、大人失格だとママは思うよ。そうなの? 子供が悪いんじゃないの? なんで子供が悪いと思うの? うーん、オトナはエライと思うから。えーーー、オトナは全然偉くなんかないよ。ちっとも偉くない。単に、長く生きてる分だけ、多少、物事を多く体験してるってだけだよ。だってさー、大人の男の人って、電車の中でも、こう、難しい顔して、不機嫌な顔して、ぎゅうぎゅう押してきたりして、感じ悪い人多いもん。ははははは。そういう人たちばっかりじゃないってことだよ。ちゃんとした「オトナ」も、いるんだよ。そうなんだぁ。ふぅーん。

じゃぁね、学校、遅れないようにね。うん、ママも頑張ってね。そっちもね。手を振って別れる。玄関前には、蝉が一匹、ひっくり返っている。私はそっと指で持ち上げ、手すりに蝉を置いておく。これなら間違って足で潰されずに済むだろう。
階段を駆け下り、自転車に跨る。坂を下り、信号を渡って公園の前へ。公園の蝉の声は、徐々に徐々に、小さくなってきている。掠れてきている、とでもいうべきなんだろうか。蝉たちに、最期の時が来ているのだな、と、強く感じさせられる。
大通りを渡り、高架下を潜って埋立地へ。銀杏並木を走って、さらに大通りを渡り、左へ曲がる。ちらほらと人の姿が。誰もが朝から汗を拭っている。
ふと空を見ると、さっきまで水色だった空に、薄く雲がかかっている。あぁ、だから焼け付くような暑さがなくて済んでいるのか、私は改めて気づく。
そのまま真っ直ぐ走り、Y駅方向へ。駐輪場のおじさんたちとはもう顔見知りになっている。おはようございます、おお、おはよう。その声に押されるように、私は自転車を止め、そこから早足で歩き出す。
さぁ、今日も一日が始まる。


遠藤みちる HOMEMAIL

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