見つめる日々

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2010年08月22日(日) 
午前三時にぱっちりと目が覚める。一瞬迷うが、そのまま起き上がることにする。まだ外の暗い時間。娘も留守だ、折角だからDVDでも観ようと珍しく思う。短めのもので、さっくり観れるものは何だろう、と思っている間に手が伸びた。そのままそのDVDをプレイヤーにセットする。懐かしい、私が好きな俳優ばかりが出ている映画。しかも撮影されたのは自分の地元といってもいいような場所。ここも、そこも、見覚えのある場所。
そういえば、こうやって自分からDVDを観ようなんて思ったのはどのくらいぶりだろう。いつも娘のセットしたDVDを脇で何となしに眺めながら過ごしていた。というより、テレビという代物は、もはや娘の持ち物のようなもので。私はいつもぼんやり眺めるばかりだった気がする。
ひとしきりDVDを観終えた後、ベランダに出る。風もない、でもそれほど暑さももはや感じない朝。昨夜干した洗濯物が、じっと佇んでいるベランダ。
明るくなり始めた空は、すっと澄んでおり。水色の涼やかな色が広がっている。でも、きっと今日もまた暑くなるに違いない。思いながら、私はしゃがみこむ。ラヴェンダーとデージーの絡まり合った枝葉を解く。昨日からデージーはぐんと葉が黄色く色づいてきた。色づいてきた、というより、もう終わりなのだ。枯れてゆく準備を、始めているのだと気づく。見れば、ついこの間まで盛りだった花たちが、こぞってみんな、茶色く染まり始めている。あぁ、種の準備か。そうだ、この草は種をつけるのだった。さて、種になったらどうしよう。母に譲ろうか。私は、種から育てるというのが正直あまり慣れていない。母の引き出しの中には、あれやこれや、私など名前さえ知らない種がいっぱい入っている。そうやって毎年種を摘み、次の季節、また植える。母はそうやって庭を営んでいる。
パスカリの花が一輪咲いた。小さな花だけれども、美しい白だ。目が覚めるような白。昨日のうちに開いてくれたのだろう。私は、少し迷った挙句、今のうちに切り花にすることに決める。鋏を持ってきて、ぱつん、と切ってやる。ついでに、桃色のぼんぼりのような花も、それから紅い花も、みんな切り花にする。
不思議なことに、紅い花をつけていた枝は、吸血鬼に憑依されていないようで。いくら指で葉を拭っても、何もつかない。よかった、これだけでも無事でいてくれて。私はほっとする。
その隣のパスカリの葉を、指で拭う。まだ何となく、指に纏わりついてくるものが在る。だから私は、すべての、手の届く葉を、指で拭ってやる。
ミミエデンから、新芽の気配が。二箇所、いや、三箇所。真っ赤な先端が見てとれる。祈るように思う、ここにどうか虫がつきませんように。お願いだからつきませんように、と。
ベビーロマンティカからも、新芽が出ている。一箇所は虫に憑依され、葉がすっかり歪んでしまった。いくら拭っても、もう遅いらしい。残りの数箇所の葉を、大事に育てていくしかない。
マリリン・モンローが、ひとつの蕾を綻ばせ始めた。予想よりだいぶ早い。これは思ったより小さめの花なのかもしれない。もうひとつの蕾は、まだまだ固く閉じている。
その向こう、ホワイトクリスマスが、新たな蕾をつけた。根元からぐいと伸びてきた枝葉の先端、蕾がくっついている。それにしてもずいぶん太い枝だ。逞しい。
そしてアメリカンブルー。今朝は二つの花を咲かせてくれている。風もないから、揺れることもなく、しんしんとそこに在る。
改めてベランダの手すりに掴まり、周囲を見やる。街路樹は、昨日の夜の風を受けたままの形で止まっている。葉が裏返り、西に西に、傾いている。あれはどうやって元に戻るんだろう。また逆向きの風が吹いて戻るんだろうか。どうなんだろう。ちょっと不思議。
お湯を沸かし、ポットいっぱいにふくぎ茶を作る。昨日久しぶりに訪れた父母の家に、ふくぎ茶を持っていき入れたのだが、なんだかさっぱりしすぎていてお茶っぽい感じがしない、と言われてしまった。だから、私はハーブティーみたいでおいしいでしょ、と言い返したが、俺はハーブティーはあまり好みじゃない、とやられた。私は密かに苦笑しながら、残りのふくぎ茶を飲み干した。
そう、久しぶりに実家を訪れた。娘が塾に行っている合間に、ひょい、と。バス停から家まで歩く。バスが通って本当によかった。私がいた頃はまだバスもなく。この環状線も通っていなかった。この道路が通って、この辺りはがらりと変わった。
でも、大通りから一本内側へ入ってしまえば、昔と何ら変わりなく。でも、この辺りもずいぶん二世帯住宅が増えた。土地があるからできることかもしれないが。結構大きな家が多い。
公園をすり抜けて、坂道を下り、つきあたりのすぐ横が実家だ。呼び鈴を一応押して、問戸を開けて中に入る。母の庭ではラヴェンダーがこれでもかというほど咲いており。ピンク、白、赤、紫。まさに色とりどり。ブルーベリーの樹には、こんもり、実がくっついている。毎朝ヨーグルトに入れて食べているというブルーベリー。私もひとつ頂く。甘酸っぱい味が、ふわっと口の中、広がってゆく。
あぁ、来たの。母の声がする。うん、と返事をして中に入る。お父さんは? いるわよ。今日は父に用事があって来たのだ。海外赴任を何度もしたことのある父は、英語が得意というか、もはや当たり前に話す。だから、私が今抱えている文章の翻訳も、さらりとやってのけてしまうに違いない。そう思った。しかし。
問題がひとつあった。その文章は、「あの場所から」の紹介の文章で。つまり、この翻訳を読んで確認してもらう、ということは、私が「あの場所から」という活動をしていることを父が嫌でも知るということであり。
父は一体何と反応するんだろう。無言で席を立ってしまうかもしれない。怒鳴られるかもしれない。私は事前に、どうあってもいいように、あれこれ想像をめぐらしてきていた。しかし。
父は何も言わず。翻訳を読み、二箇所を指し示して、ここに訂正を入れてもらうように、と私に言った。私は心の中、酷く驚いていた。父はこの文章を読んでも、何も思わないんだろうか。本当に大丈夫なんだろうか。私がこんな活動をしていることを、父は反対しないんだろうか。今までの父なら、間違いなく反対し、それどころか、私からカメラさえ取り上げてしまいかねない人であったのに。
半ば呆然としながら、でもそれを表情に出してはいけないと、私はちょっと緊張していた。でも父は、そんな私に関係なく、お茶を啜っている。いや、本当は、もしかしたら、心中穏やかではないのかもしれない。私が帰った後、母が責められるかもしれない。でも今は、今は間違いなく、父は私のやっていることを、黙認している。
ほっとしていいのか、どうしていいのか、分からないまま、私は父母の話す話に耳を傾ける。それはこの盆休み、山小屋へ行ったときの話しで。弟夫婦や私の娘のことを、あれこれ話している。多分私に聴かせようとして話してくれているに違いない。私はじっと、ただじっと、耳を傾け、時折笑ったり、相槌を打ったりしている。
こういう穏やかな時間が、我が家には本当になかった。いつでもびくびく緊張した子供たちと、いらいらと肩を怒らせた両親と。食卓に揃っても、みなが、どこか、強張っていた。
時間が、経ったんだな、と思った。それだけの時間が、経ったのだな、と。
一旦家に戻ったものの、何だか落ち着かず、結局外に出る。行きつけの喫茶店へ行き、しばし過ごす。父母の今日の横顔が、ありありと浮かんだ。そうだ、次にお給料が出たら、母にウェブカメラとマイクのセットをプレゼントしよう。そうすれば、お嬢と気軽にテレビ電話することができる。私にとって安い買い物ではないけれど、母とお嬢がそうして楽しく会話することができるなら、それに越したことはない。父だってまんざらじゃぁないかもしれないし。私は、メモ帳に、ウェブカメセット、と大きく書き込む。
夜道を自転車で走るなんて、久しぶりだ。娘と一緒の時にはあり得ない。見上げれば、月がぽっくり浮かんでいる。私はその月を追いかけて、走る。

朝、娘に電話をすると、こそこそした声で、尋ねてくる。ハムたちどう? 元気だよ。そう、ならいいんだ。餌もちゃんとやったし。抱っこはしてないけどね。ママには無理だねー。そう、ママはあなたみたいな遊び方はできないからね。帰ってきたら遊んであげてね。うん、もちろん。
電話を切り、玄関を出、階段を駆け下りる。自転車に跨り、坂道を下り信号を渡って公園の前へ。ふと思う。こんなふうにこの辺りを走っていられるのは、あとどのくらいだろう。早く公団への引越しが決まればいい。引越しができれば、ずいぶん生活も楽になる。
昨日ちょうどこの通りで、盆踊りをやっていた。色とりどりの提灯がぶら下げられ、狭い通りだというのに、これでもかというほどの人が集い。思い思いに踊っていた。
夏ももう、終わりなんだな、と改めて思う。
大通りを渡り、高架下を潜って埋立地へ。銀杏並木がまっすぐに立ち並ぶ通りを通って、モミジフウの横をさらに通り過ぎ、海へ。
濃紺と深緑色を混ぜたような色の海。私はこんな色合いの海が好きだ。優しい色に見える。何もかもを取り込んで、抱いてくれるような、そんな色に。
何処かで汽笛が鳴った。
さぁ、今日も一日が始まる。私は来た道を再び、走り出す。


遠藤みちる HOMEMAIL

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