見つめる日々

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2010年08月23日(月) 
このところ、起き上がってから欠伸の攻撃に遭って参っている。眠い、というわけではない。眠り足りないわけではない。ただ、欠伸がやたらに出る。しかも大欠伸。おかげで折角顔を洗ったにも関わらず、涙が頬を伝ってばかりで困る。なんでこんなに欠伸ばかり出るのだろう。
窓を開け、ベランダに出る。風はぴたりと止んでおり。そのせいで、蒸した空気がべっとり私の肌に纏わりつくかのようだ。空は灰色と水色を混ぜたような色が今広がっている。時間が経てば煌々と光輝き始めるに違いない。
ラヴェンダーとデージーの、絡まり合った枝葉を解く。この習慣も、デージーが枯れたら終わりなんだと思うと、何だかちょっと寂しい。枯れ始めたデージー。もうじき終わりになる。この種が無事に摘めたら、半分は母に贈ろうと思う。
アメリカンブルー、今朝は一輪だけ咲いている。真っ青な花びら。溶け出したらきっと涼しいんだろうな、なんて思う。今冷蔵庫の中に入りたい気分。
横に横に広がり続けるパスカリ。ここまで伸びると、窓に当たってしまってかわいそう。どうしよう、切ろうか、それとも鉢をまた前に出すか。切って挿し木にするのもいいかもしれない。しばらく迷って考えよう。
ミミエデン、新芽をちらほら出し始めている。紅い紅い新芽。虫のせいだろう、微妙に歪んだ形も中にはあって。申し訳なくなる。私がもっと手入れをちゃんとしてやっていたら、こんなことにはならなかっただろうに。
ベビーロマンティカ。また新たな蕾を芽吹かせた。そして、よく見ると、奥の方、あちこちから新芽が吹き出している。中にはやっぱり、あの吸血鬼のような虫の影響を受けて、歪んだ葉がちらほら。
マリリン・モンローのひとつの蕾が、綻び始めた。これは小ぶりな花だな、と思う。鼻を近づけると、もうそこにはちゃんとあの香りがあって。芳醇な、それでいて心地よい香り。もうひとつの蕾は、まだまだ固く閉じている。
ホワイトクリスマス、ひとつの蕾をくいっと空に向けて、凛と立っている。じっと見つめていたら、ちょうど東から陽光が伸びてきて。私の目を射る。途端に空の色も、街景の色合いもくわんと変化する。空は明るい水色へ、街は煌々と照らし出されて、輪郭を露わにし。あぁ、朝の儀式だ。
私は部屋に戻り、お湯を沸かす。ポットいっぱいにふくぎ茶を作る。三袋買ったふくぎ茶だが、もうすでに二袋目、半分を過ぎてしまった。どうしよう、また近いうちに購入しないと全く足りていないかもしれない。このあまりの暑さで、私のお茶の消費量は半端じゃない。
昨日届いた、友人からのテキストを、改めて読み直す。この秋から展覧会を催す、その前期に飾る写真の、モデルになってくれた友人だ。性犯罪被害者、そしてDV被害者でもある。その彼女にとって、私に写真を撮られるということはどういうことなのか、といったことを、綴ってもらった。
そのテキストを受け取って、改めて、私と撮られる者との関係性の重要さを思う。この関係性がなければ、私はシャッターを切ることはできないということを、彼女のテキストを読みながら、つくづく思う。
そんな時、ちょうど別の方からメールが届く。「ドキュメンタリーとジャーナリズムはやはり違うものだと思ってます」とその方は書き始めている。そして、「そこに人や動物や植物や自然や水や森羅万象のものに興味を持って近づいていくのがドキュメンタリーだと思ってます」「ドキュメンタリーはいつまでも撮る人間がいるかぎり続いていくものなのではないかと思うんです」「写真を撮ってる人が自分のしてる行為をしっかりと認識してないのがいけないんだと思います・・・カメラは凶器であり向けられた人にとっては異物でしかありません。そのことを写真を撮ってる人が分かってるのかどうか」。書かれた文字をじっと辿りながら、私は、自分にとっても同じだ、と強く感じる。そして何より、その方の「人と人との関係性を保ちながら長い間撮るのがドキュメンタリーではないでしょうか」という言葉に、私は頷く。
ちょうどいいタイミングに、友人からの寄文とこのメールが届いたな、と私は噛み締める。
そして、思う。言葉と同じく、カメラは凶器だ、と。私が携えているカメラは、使い方によってとてつもない凶器になり得るのだ、と。だからこそ、使い方を間違えてはいけない、と。そしてまた、「あの場所から」を撮り続ける限り、私は彼女らとの関係性を第一に、そこに重きをおいて、いかなければいけない、と。
吐き出した煙草の煙が、ゆらゆらと窓の外に流れてゆく。その向こうには、光り輝く空。煌々と。

娘宛に郵便物が届く。差出人の名前を見て、思わず勝手に開けたい衝動に駆られたのだが、ぐっと我慢。娘が帰ってきて、娘が自分で開けることに意味が在る。
帰って来た娘は、机の上の、自分宛の郵便物にまず狂喜する。いつもいつも、郵便ポストにはママ宛のものしか入っていない、と文句を言っている娘。それが、大きな郵便物が自分宛に届いたのだ。そりゃ嬉しいだろう。
開けて、あれ、本しか入ってない、と言い、本をぺらっと捲ったらそこに、封をされた手紙が挟まっていた。ママ、これ、どうやって開けるの? 鋏でそっと切ればいいよ。分かった。なんだか娘は神妙である。
M社のNさんが、娘の書いた感想文に、わざわざお返事を下さったのだ。娘は一度読み終え、再び読み返し、じっと固まっている。
どうしたの? 大人の男の人から手紙を貰うのって初めてだ。あぁ、そうか、そうだね、よかったじゃない。…。娘はじっと、手紙に見入っている。
そして、この本は明日大事に読む、と、机の上にそっと乗せた。M社から出版された、一冊の絵本。
さて、この本を彼女はどう読むのか。ちょっと楽しみだ。私は、本当は、手紙になんて書いてあったの?と訊いてみたかったのだが、あまりに神妙な顔をしている娘に圧倒されて、とうとう訊けなかった。いつか、改めて尋ねてみよう。

私が大好きな場所のすぐ隣に、ビルが建設され始めた。今、地ならしをしている。大勢の人、たくさんのトラック。とうとうこの場所も埋まってゆくのか。そう思ったら、寂しくて寂しくて仕方がない。
思い返してみれば。私が中学の頃、この辺りはまだ、ただの更地だった。埋め立てられただけの、ただの更地だった。S町駅も、三角屋根の、小さな小さなかわいい駅舎だった。それが、あっという間に変わってゆき。駅舎は建て替えられ、周囲にはこれでもかというほどビルが建ち並び。今ではここは、MMという名前でもって知られている。
中学校の教室、社会科の時間、先生がちょっと自慢げに声を上げた、あの時のことを今も覚えている。MMってものが作られるんだ、先生もちょっと関わったんだぞ。そんなことを先生は言い、黒板に、あれやこれや説明を書いてくれた。私はそれを眺めながら、そんなこと言われたって、全然実感ないや、今あそこはただの土じゃん、なんて、思っていた。暢気な学生だったんだな、と自分を省みて思う。
私はあの、更地だった、がらんどうのような景色が結構好きだった。そのまま海に続いてゆく、そんな景色が好きだった。
私の好きな景色がまたひとつ、またひとつ、失われて。ここはいつのまにか、賑やかな、人の集う場所に変わっていって。
今また、せめてこの場所だけでもと思っていたところも、失われてゆく。
この土地に生きる者として、それは避けようのないことなのだと分かっていても。寂しい。

ママぁ、私友達に置いていかれた。ん? どういうこと? 明日一緒に帰ろうって約束してたのに、その子、さっさと自分だけ帰っちゃった。あらまぁ、どうしたんだろうねぇ。急いでたんじゃないの? でもさ、それならさ、一言言ってくれればいいじゃん。何で突然、約束破るんだろう。あぁ、実はママも最近、約束を放られたってこと、あったよ。え? そうなの? うん、なんかその人、ママの何かが気に喰わなくなったらしくて、一方的に離れていったよ。んー、ママにもそういうことあるのかぁ。ママも、もうどうしていいか分からないから、放置して、見守ることにした。そうなんだぁ。なんか嫌だよね、された方はさ、意味わかんないし。そうだね、意味わからないまんまで待つって、結構しんどいよね。うん、しんどい。ママもねぇ、しんどいなぁと思いながら、傍観してるんだよ。その人、なんで突然ママのこと嫌になったんだろう。わかんない。突然だったからね。でもまぁきっと、ママが何かしたんだろう、と思う。ママが気づかないところで。その人を傷つけたんだろうね。んー。そういうこと、あるよ。ママにはその気がなくても、相手がそう受け取ったら、もうそうなんだよ、ね。こっちの言い分も聞いてくれればいいのにねぇ。ははは、そうだね。そうしてもらえたら楽なんだけどねぇ。それさえさせてもらえないって、苦しいよね。うん、すんごいやだ。私だったら、とっちめたくなる。ははは。でもさ、とっちめても、何も生まれないじゃん。生まれないって? 何のいいことも生まれないってこと。んー。だったらじっと黙って、見つめているのがいいかなぁ、と。ママはそう思うんだ。ママって損な性格だね! はっはっは、そうかもね。

じゃぁね、じゃぁまた後でね。うん、それじゃぁね。手を振って別れる。
自転車に跨り、坂道を下る。信号を渡って公園の前へ。公園の前で耳を澄ます。蝉の声もだいぶ、弱ってきたように感じられる。今朝玄関前には、三匹の蝉が、ひっくり返っていた。まだ生きている蝉たち。でも、疲れ果てたのか、自らは動こうとしない。だから私は、こわごわ彼らを摘み上げ、塀の上に持ち上げた。その途端、飛んでゆく蝉たち。彼らはあれから何処へ飛んでいったのだろう。人の足に踏まれないようなところで休んでいてくれるのならいいのだけれども。
大通りを渡り、高架下を潜って埋立地へ。銀杏並木の緑が、光を受けて輝いている。その脇をさっと走り、左手へ曲がる。信号がちょうど青になって、私はさらに、駅の方へ向かって走る。
大勢の通勤の人たちが、私とすれ違って行く。新しく建ったビルに、彼らは吸い込まれるように消えてゆく。
あと五年もしたら、きっと、この辺りは私の知らない街になってしまっているんだろうな、なんてことをふと思う。多分きっと。
さぁ、今日も一日が始まる。私はペダルを漕ぐ足に、さらに力を込める。


遠藤みちる HOMEMAIL

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