見つめる日々

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2010年08月19日(木) 
起き上がり、窓を開ける。どんよりと曇った空。久しぶりだ、こんな空は。そう思いながら見上げる。照りつける陽射しに慣れてしまった目に、この曇天がやさしく映る。風も流れていて、なんだか救われた思いがする。
しゃがみこみ、ラヴェンダーとデージーの、絡まり合った枝葉を解く。デージーは全体的に黄色味を帯びてきた。そろそろ終わりなのかもしれない。夥しいほどの花をつけながら、黄色くなってゆく姿からは、最後まで必死に生きようとする草の、小さい悲鳴が聴こえてくるかのようだ。もう少し、もうしばらく、と、そう言っているかのよう。私はだから、大事に大事に、一欠片も葉を傷つけぬよう、そおっとそおっと、解いてゆく。
ステレオからCoccoの十三夜がひたすら繰り返し流れている。多分私はしばらくこの曲を聴いて通すのだろう。そんな気がする。
アメリカンブルーは五つの花を咲かせており。ゆらゆらと風に揺れている。本当はこのアメリカンブルーを、吊り下げて飾ってやりたいのだが。うちのベランダではそれができない。ちょっと寂しい。
薔薇たちにとりついた目に見えないほど小さい虫たちは、まるで吸血鬼のようだ。少しずつ少しずつ葉の水分を吸ってゆき、やがて吸い尽くして、枯らしてしまう。これは一体何という虫なのだろう。知りたいようで知りたくもない。私はパスカリの葉を撫でながら、唇を噛む。私が撫でても撫でても、追いつかない気がする。それでも、諦めたら終わりだから、私はひたすら葉を撫でる。
桃色のぼんぼりのようは花を咲かせる樹。ひとつの蕾を開かせた。ぽっとそこに、桃色の小さな小さな灯りが点ったようだ。私はしばし、それに見入る。かわいらしい花。
友人から頂いたものを挿し木したそれは、赤い、いや、紅い花びらをどんどん見せ始め。でもまだ、花開いてはいない。もうしばらくかかるんだろう。花束では、確か小ぶりの花だった。どのくらいの花がここでは咲いてくれるだろう。
もう一本のパスカリ。こちらでも私は葉を撫でてゆく。指先につく、小さな小さな茶色い染み。赦せないという思いがふつふつと沸きあがる。ちょっと私が気を抜いていた間に、こんなにも被害は広がってしまった。赦せないのは、多分、私自身。
ミミエデンの被害は一段落ついたらしく。でもしばらく、新芽は望めそうにない。私は葉を撫でながら、ごめんね、と心の中、ひとりごちる。
ベビーロマンティカの、二つの蕾。ひとつはもう開きかけているのだが。開きかけたところで止まっている。どうしたのだろう。何を躊躇っているのだろう。私は首を傾げる。それにしても。このベビーロマンティカにまで吸血鬼が憑依するとは。私は、とにかく撫でられる葉すべてを撫でてゆく。拭ってゆく。拭うほどに、指に付着する小さな小さな異物。私の指先を染めてゆく、茶色い小さな染みたち。
マリリン・モンローはふたつの蕾をまだ腕に抱いている。少しずつ少しずつ、確実に膨らんでゆくその蕾。その力強さに私はようやくほっと一息つく。でもこのマリリン・モンローにも、吸血鬼の気配はあって。だから私は、棘が指に刺さるのも構わず、とにかく葉を拭ってゆく。
唯一今、被害から遠いのがホワイトクリスマスだ。それでも、念のため、私はホワイトクリスマスの葉を拭う。ようやく花を咲かせ終えたばかりで疲れているのだろうに、ここに吸血鬼になど来られたらたまったものじゃない。
もう一度空を見上げる。この天気は夕方まで変わらないのだろうか。だとしたら、今水を遣ってもいいかもしれない。ほんのちょっとだけ。ちょっとだけでも、水で洗ってやりたい。私は如雨露にたんまり水を汲んでくる。そして、順々に、わざと上から水をかけ、そうしてもう一度、丹念に葉を拭う。
いつもより倍以上時間がかかった。ベランダから戻って、お湯を沸かす。昨日ようやく届いたふくぎ茶を入れる。涼やかな香りがふわんと私の鼻腔をくすぐる。嬉しくなって、一口、一口、私は茶を啜る。
机に座り、煙草に火をつける。まだ私の中に、見なければよかったものの残骸が、残って、燻っている。多分しばらく、燻り続けるんだろう。私はその煙を、手で避けて、後ろを向く。そうしたって煙は、たちまち私を取り囲んでしまうということは分かっていても。
昨日会った友人が、ぽろぽろと零した言葉。私はゲームをしかけてるんだと思う。本当に構って欲しい人に構ってもらえないから、カモになってくれそうな人を見つけて、ゲームを仕掛けて、構ってもらって自分の中の穴を埋めようとしてるんだと思う、と。
彼女はそのことで、自分を責めていた。でも。私は聴きながら、責めることはないんじゃないか、という思いを持った。そういうことも、在る、と。そう思うから。
ゲームを仕掛ける人がいるなら、ゲームを受ける人間もいる。仕掛ける方、受ける方、両方に責任があって。どちらかにだけ責任があるわけじゃない。そもそも、ゲームを仕掛けなければならない原因は外にあって。
別に、そういう時期もあっていいんじゃないの、と私が言うと、彼女はきょとんとした。驚かないの? 何に驚くの? 私がこんなことしてるっていうこと。別に、驚くことはないでしょ。そうなの? そうだよ。
彼女は、この話をしたら私が彼女を軽蔑すると思っていたらしい。私は小さく苦笑した。生きているとさ、思ってもみないことが次々起きて、自分じゃどうしようもないこともあって。そういうものなんじゃないの? …そういうもんなのかな。そういうもんだよ。
あなたが昔受けた被害も、私が受けた被害も、予想してた? してない。予想なんてしないことが、そうやって平然と起こるんだよ。誰も予想なんてしてないことが、さ。だから、ふつう、なんてものは、何処にもないと、私は思ってる。そっか…。
彼女が病気を抱えるようになったのも、私が病気を抱えるようになったのも、別に私たちが望んだわけでもなければ、誰が望んだわけでもないはず。いろんなことが遭って、それが重なって、折り重なって、こうなった、ということであって。それ以上でもそれ以下でも、ない、多分。
とある人が、あなたの作っている作品や扱っているテーマに関心を持っています、と手紙をくれた。それを読み、幾度か読み返して、私は一度、それを閉じる。私は。
私は、それがドキュメンタリーだろうとアートだろうと、そんなのどちらでもいいと思っている。それよりも、私たちに必要だから、私たちの回復の過程に必要だから、私たちの声を届けるのに必要だから、だから作品を作っている。それだけ、といっていい。それがドキュメンタリーにくくられるのか、アートにくくられるのか、そんなこと、正直どうでもいいのだ。私の伝えたいことが、伝わるのであれば、そんなこと。
小難しい話は、正直よく分からない。フォトジャーナリストだとかドキュメンタリストだとか、そういうカタカナ用語は、使いたい人が使えばいいと思う。私はそんなの、どっちだっていい。
私はただ、伝えたいのだ。こんな現実があるよ、と、ここに生き証人がいるよ、と、それでも彼女らは笑って必死に笑って生きているんだよ、と、それをこそ伝えたいのだ。
それだけ、だ。

あなたはこのことに気づいていますか。見落としていませんか。あなたにも今まさにこの時、降りかかるかもしれない現実が、あるんです。それが降りかかってから叫び声を上げようと思ったって、声なんて出ないかもしれません。ただのた打ち回るしかできないかもしれません。そんな現実が、あなたのすぐ隣に、あるんです。
だから気づいて。だから知って。せめてこの現実があるということを受け容れて。私たちはここに在る。

二本目の煙草に火をつける。私の中でぶすぶすと燻るものが、にたっと笑う。私は見たくないから目をそむける。見たら、怒号を発せずにはいられない気がするから。首を絞めて、殺してしまいたいと思ってしまうかもしれないから。でも誰を?!
私は加害者を、加害者たちを殺したいわけじゃない。そんなの、どうだっていい。いや、せめて、彼らがその犯した罪をちゃんと背負っていってくれるなら、もうそれで十分。十分と思うのに。それさえしないで笑って逃げてゆく背中。平然と生きる姿。それが、たまらない。
でも私は、自分で決着をつけるしかないのだ、この思いには。誰も助けてくれない。誰の手も届かない。そういうところに、これは、在る。

じゃぁね、それじゃぁね。手を振って別れる。
私はバスに乗り、駅へ向かう。港の方を見やれば、くぐもった空が、どんよりと続いており。どこもかしこも今朝は、灰色。
さぁ、もう気持ちを切り替えて、歩き始めなければ。
もう一日は、始まっている。


遠藤みちる HOMEMAIL

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