2010年08月15日(日) |
ずっと夢を見続けていた気がする。魘されて起きるほど酷い夢でもなく、かといって心地いい夢というわけでもなく。中途半端に漂わされて、何処にも行きようがない、そんなどっちつかずの夢を見ていた。 起き上がり、窓を開ける。風がひゅるりと吹いている。水色の空はまだはっきりとは見えないけれど、多分今日も晴れるんだろう。そんな気がする。部屋の中からがらがらと大きな回し車を回す音が聴こえる。私が戻って覗き込むと、ミルクがちょこねんと回し車の中央に立って、こちらを見上げている。おはようミルク。私は声を掛ける。声を掛けた途端、彼女はたたたと駆け寄ってきて、出してくれ出してくれとせがむ。こわごわ私が手のひらを差し出すと、たっと乗ってくる。お願いだから噛まないでね。私は一応頼んでみる。落ち着きなく私の手のひらから膝の上へ飛び乗り、今度は膝から太腿の辺りを行ったり来たりしている。今日お嬢が帰ってくるよ。私は声を掛ける。帰ってきたらいっぱい遊んでもらいなね。ミルクはそれが聴こえているのかいないのか、ひっきりなしに私の体の上、行ったり来たりしている。 それを嗅ぎつけたのか、ココアも扉のところにやってきて、がしがし噛み付いている。私はミルクを籠に戻し、今度はココアの相手をする。ココアは放っておいてもじきに肩に乗ってくるので、私は彼女がするままにさせておく。彼女が肩に乗ったところで、昨日洗い残したお茶の瓶を洗いにかかる。私の左肩から右肩へ、右肩から左肩へ、行ったり来たりするココア。ココアにも、今日お嬢が帰ってくるから、そうしたらいっぱい遊んでもらいなね、と声を掛ける。 さて、ゴロは。見ると、ゴロは小屋から顔を出して、じっとこちらの様子を窺っている。私が苦笑しながら手のひらを出すと、しばらくじっとしていて、それからごそごそ小屋から出てくる。いいんですか、とお伺いをたてるような目線でこちらを見上げてくるので、いいんだよ、と、私はじっと待っている。ようやくてこてこと乗ってきたゴロ。本当におまえは遠慮深い。そんなんだから私はお前が好きなんだよなぁと思う。ゴロのこうした仕草は、昔飼っていた猫の、モモとの出会いの頃を思い出させてくれる。もう空の星になったモモのことを。 ひとしきり三人と戯れた後、私は再びベランダに出る。櫛で髪を梳き、後ろ一つに結わく。そうしてぐるぐる丸めて、簪でひょいと留める。空はさっきよりはっきりと色を現わしだしており。薄い雲の向こうに、水色の空が広がっているのが分かる。 私はしゃがみこんで、ラヴェンダーとデージーの絡まり合った枝葉を解く。時折漂ってくるラヴェンダーの香りを胸に吸い込みながら、ふんふんと鼻歌をうたいつつ解いてゆく。デージーの花は、一体いつ終わりになるんだろう。次から次に咲いて、今のところ終わりが見えない。黄色い小さな小さな花。でも、この鮮やかな黄色が、私を元気にさせてくれる。 アメリカンブルーは今朝五つの花を咲かせており。風にゆらゆら揺れる枝葉。その青はいつ見てもきれいな青で。私は指先でそっと、花弁に触れてみる。柔らかな薄い薄い花弁が、私の指先を小さくくすぐる。 パスカリの蕾が徐々に徐々にだけれども膨らんできている。まだ固く閉じているけれど、きれいな蕾。念のため、葉の裏を拭ってみる。今のところ虫はついていないようだ。よかった。 桃色の、ぼんぼりのような花を咲かせる樹。ひとつの蕾をつけて、今、一生懸命膨らませようと頑張ってくれている。新たに萌え出た新芽は、明るい黄緑色をしており。こちらも葉を撫でてみるが、今のところ大丈夫なようだ。 友人からもらった薔薇を挿し木したそれ。蕾をぴんと立たせ、元気いっぱいに空に向かっている。まだ何色が咲くのか分からない。さて、どんな色が咲くんだろう。どきどきする。 ミミエデンをじっと見つめると、やはりまだ虫がいるようだ。私は指先で葉を拭う。と、茶色い染みが私の指につく。私はやけになって、すべての葉を拭ってみる。指先がすっかり茶色くなってしまった。気持ちが悪くて私はさっさと指先を水で洗い流す。どうしてこうもミミエデンにばかり虫がつくんだろう。隣のベビーロマンティカは元気いっぱいだというのに。明日も葉を拭ってやらないと。私は心に小さくメモをする。 ベビーロマンティカは、新たにまた蕾をつけた。今ある蕾はふたつ。そしてあちこちからまた新しい葉を出している。今朝は、風に乗って高らかに謳っているかのように見える。明るいソプラノの声が、何処からか聴こえてきそうな気がする。 ホワイトクリスマスの蕾。もうだいぶ膨らんできた。白い、ちょっとクリームがかった花弁が風を受けながらしかと立っている。滑らかな花弁。私は指先でちょっと突付いてみる。冷たくて柔らかな、陶器のような感触が指に伝わってくる。 マリリン・モンローはふたつの蕾をくっつけて、空を向いて立っている。まだこちらはホワイトクリスマスの蕾に比べてずっと小さいけれど。ここからどのくらい膨らむんだろう。大きな大きな花になるといい。 私は部屋に戻り、お湯を沸かす。ふくぎ茶を入れる。友人に頂いたお茶だが、涼やかな味がして、夏にとても似合っている。昨日通販しているところを見つけて、早速注文してみた。注文するところで気づいたのだが、ふくぎ茶にも二種類あるようで。ピンク色に煮出されるものと、私が今飲んでいるオリジナルブレンドと。ピンク色のはどんな味がするんだろう。気になったが、今回はオリジナルブレンドだけを注文。届くのが楽しみだ。 机に座り、改めて空を見やる。窓から見える空は、薄い雲がかかっているせいだろうか、少し低く見える。私は空を見ながら、あれやこれや心のメモをひっくり返す。 遠く西の町に住む友人から突然電話が来た。今江ノ島にいるのだという。吃驚して尋ねると、パートナーが急に休みを取ることができたらしく、ここまで遠出してきたのだという。今から会おうと約束し、しばらく待っていると、髪の毛を短く切った友人がパートナーと現れた。 数年前会った時の彼女は、小さく震える小鳥のようで。ここは安全な場所だよと言ったとしても震え続ける小鳥のようで。でも今目の前に現れた彼女は、その雰囲気を拭い去っていた。いろんなことが立て続けに在った。それでも、それらを乗り越えてここまでやってきた、そのことが彼女の自信に繋がっているのではなかろうか。そんな気がした。確かに大変で、辛くて、しんどくて、泣いた夜もあったけれど。それらを越えてきたことが、確かに彼女の足場を強くした、そんなふうに見えた。 何より、きれいになった。これはひとえにパートナーのおかげなのかもしれない。私の前で机に突っ伏して仮眠をとっている彼女のパートナーに、私は心の中、ありがとうと言った。 これからも様々なことがあるのだろうけれど。それは私も彼女も彼女のパートナーもみんな同じだ。いろんなことがあるだろうけれど、それでも、私たちは生きていくんだろう。泣いたり笑ったりしながら、それでも。 以前見送ったときは、心配が募ったけれど、今回彼女らを見送る私の心には、あたたかい風が吹いていた。また会える。そう思った。
夜、娘に電話を掛ける。今お風呂に入ってたところだよーと、元気な声が返ってくる。明日何時頃帰ってくるの? おやつの頃だって。ハムスター隠しておかなきゃね。うん、見つかったら大変だからね。私たちは電話を挟んで笑い合う。 数えて約一週間か。彼女が留守だった時間。長いようで短かった。振り返ればそういうものなんだろう。さて、帰ってきたらまた、彼女の塾のお弁当作りが始まる。いつもの習慣を取り戻さないと。そう思うと、怠けていたこの一週間が、ちょっと恋しい。
いつもより早めに家を出る。階段を駆け下り、自転車に跨る。坂道を下り、信号を渡って公園へ。蝉の声が響き渡る池の端。目を閉じて立っていると、全身蝉の声に覆われてしまうほど。私は悪戯に、池に小石を放る。ぽちゃんという音と共に生まれる波紋。美しい弧を描いて、やがて何処へともなく消えてゆく。向こう岸にいるのはトラ猫。大きな欠伸をひとつして、躑躅の茂みの中へ消えてゆく。 大通りを渡り、高架下を潜って埋立地へ。風が大きく通りを渡ってゆく。銀杏並木を通り過ぎ、モミジフウも通り過ぎ、一時期お世話になった病院も通り過ぎて海の公園へ。 濃紺と鼠色と緑色を混ぜ合わせたような色の海。ざん、ざんっと、打ち付ける波が砕けて白く弾ける様を、しばらく眺めている。 落ち込んでいたって仕方がないのだ。気持ちを切り替えて、前へ進まなければ。そう思う。私にあの時できることはすべてやった。あれ以上のことは私にはできなかった。 大きく伸びをして、私は立ち上がる。ふと、公園の中央にある鐘をついてみたくなった。近寄って、そっと打ち鳴らしてみる。 再び自転車に跨り、私は道を往く。 さぁ、もう一日は始まっている。ペダルを漕ぐ足に力を込め、私はただ、走る。 |
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