見つめる日々

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2010年07月23日(金) 
寝苦しくて目が覚める真夜中。隣の娘を見ると、娘もさすがに暑いらしく、シャツをいつの間にか脱いでしまっている。薬を飲み始めてすぐ、彼女の手足の赤い腫れは引いていった。塗り薬も毎朝毎夜薄く塗るのだが、もうそれが必要ないんじゃないかと思うくらいになった。薬というのは何て強力なんだろう、と改めて思う。その薬を何錠も、十年以上に渡って飲み続けている私の体は、一体どうなっているんだろう、と思ったりする。
どうにか再び眠れないかと寝床の上頑張ってみたのだが、こう暑くては再び寝入るのは無理らしい。諦めて起き上がる。丑三つ時。さて、何をしよう、と、手元の、プリントアウトしてある友たちの手記を読み返す。ここから二、三行ずつ、抜き出さなければいけない。そういう作業が必要になってきていることを思い出し、早速取り掛かる。
DVに苦しんだ被害者、近親相姦に長年晒された被害者、強姦という被害に遭って記憶を半分失った被害者、幼児期に性的悪戯を受けて悩み続けた被害者。彼女らの声がここに在る。私はそれらを、一行ずつ、いや、一文字一文字、追ってゆく。
被害に遭って、どれほどの地獄を味わっただろう、彼女らは。それを思うと胸が苦しくなる。喉が焼けるように痛くなる。それでも、彼女らは、生きようとしている。これまでもそうであったように、ここからさらに、生き続けようとしている。その必死な叫びに、思わず文字から目を逸らしたくなる瞬間もある。でも、逸らしてはならないと思う。この、彼女らの声がどれほどの思いで紡がれたのかを思えば、一瞬たりとも目を逸らしてはならないのだと思う。
作業をしていると、あっという間に時間が過ぎてゆく。目の奥が痺れてきているのに気づいて目を上げれば、空はもうすでにうっすらと明るくなってきている。
私は開け放してあった窓からベランダに出、空を見上げる。まだ空の色は定かには分からないが、今日もきっと暑くなるのだろう。毎日毎日、熱中症で病院に運ばれる人が大勢出ているとニュースが言っていた。今のところ私も娘も、そして実家の母も無事。それは幸運なことなのかもしれない。
ラヴェンダーのプランターの脇にしゃがみこもうとして、アメリカンブルーが咲いていることに気づく。真っ青な花。青い青い花。毎日一輪ずつ咲いていくのは、この花の習慣なんだろうか。それともこのうちにある株がたまたまそうだというだけなんだろうか。不思議だ。
しゃがみこみ、ラヴェンダーとデージー、絡まりあった枝葉を解いてゆく。昨日はそんなに風が強くなかったから、絡み合っている部分も少しだけで済んだ。それにしても。今デージーは花盛りのようで。次から次に蕾を出してはぽんぽん、ぽんぽん咲いてゆく。次から次に目の覚めるような黄色い花びらが開いてゆく。
パスカリの新たな花芽。一段と首をくいと持ち上げて、空を向いて立っている。ふと見ると、一番根元のところから、新たな茎がにょきっと出ている。こんな下から出てきたんじゃ、枝葉を広げるのが大変だろうに、とちょっと私は心配になる。でも、そんな私の心配などどうってことないというように、きっと枝は伸び、やがて葉も茂るんだろう。そんな気がする。
桃色の、ぼんぼりのような花を咲かせる樹の蕾。三つのうち二つが、色濃く桃色に染まってきた。もうじきだ。もうじき花が咲く。
マリリン・モンローとホワイトクリスマスは、揃って新芽の気配を湛え出した。白緑色の、固い固い塊。まだまさに塊としかいいようのない姿だけれど、これがやがて綻んで、葉になってゆくのだ。
ベビーロマンティカは、もういいよとこちらが思うほど、葉を次々萌え出させ、茂ってきている。そして花芽も三つ。生まれてきているのに気づく。この樹は本当に、なんて元気なんだろう。私は小さく溜息をつく。そんなに生き急がなくてもいいよ、と思わず樹に声を掛けてしまう。そういえば、私も昔、その言葉を散々友人たちから掛けられたなぁと思い出す。思い出して、何だかちょっと笑ってしまう。私はやっぱり、生き急いでいたんだろうか。当時は、そうでもしなければ私は生きていけないんだ、と心の中、言い返していたものだった。今となっては、ちょっと滑稽だなと思う。そんなに焦って急いで、私は結局何をしてこれただろう。何を残してこれただろう。それを思うと、生き急ぎすぎて、転んで躓いて倒れて、自分の体がぼろぼろになっただけのような気がしないでもない。まぁ、それも今思うから、なんだろう。当時は必死だったのだから。
ミミエデンも、紅い紅い新葉を次々広げてくれており。それが嬉しい。最初に開いた新葉の色が、少しずつ、少しずつ紅色が薄れてきている。これがやがて黄緑に近い緑色になってゆくのだと思うと、どきどきする。
金魚と目が合って、私はそういえば昨日餌をやっていなかったことを思い出し、慌てて餌を振り入れる。一度潜ってすいっと浮かび上がってきて、そうして餌を突付く金魚たち。大きな尾鰭が、ゆらり、ゆらり、揺れている。
行きつけの喫茶店で知り合った外国人の女性。再会し、あれこれ話をする。今日は大阪から友人が来てくれるので品川に行くのです、と彼女が言う。そして、お土産は何がいいと思いますか、と問われ、私は慌てる。シュウマイ以外のものがいいという彼女に、そういえばこの辺りのお土産って何があったんだろう、と。いつもこの街を徘徊しているというのに、お土産と問われて思い浮かばない自分。情けない。あれこれ話しているうち、赤い靴クッキーに興味を示す彼女。そしてまた、私が先日名前を挙げた作家の本を、早速彼女は本屋に探しに行ってくれたのだという。ブックオフで探すのと、図書券で買うのとどちらがいいでしょう、と問われる。ブックオフのことまでもうすでに知っている彼女に、私は面食らう。私が外国に行ったときには、彼女のような貪欲さがあっただろうか。確かに私は目的のものに関しては必死に調べた記憶があるが、それ以外のことに関して、はっきりいって無知のまま帰国してしまった。今思うと、もったいないことをした、とつくづく思う。結局その日、メイドカフェについてまで二人で調べて、そうして別れた。
ママ、私ね、お別れ会の実行委員になった! へぇ、そうなんだ。どんなことするの? お別れ会をどうやってやるかとか考えたりするの。引越しちゃうの? うん、そう。埼玉の方に引っ越しちゃうんだって。もう会えなくなるね。そうだね、ちょっと遠いね。でも、住所とか聴いておけば、お手紙のやりとりはできるよ。あ、そっか! じゃぁ新しい住所、聴いておかなくちゃ。うん、それがいいよ。ママは手紙とか子供の頃書いた? いっぱい書いたよぉ。文通相手とかいたし。ブンツウ? そう、文通。手紙でやりとりすること。そういうお友達が、実はママにはいっぱいいた。切手貼って出す手紙のこと? うん、そう。そういうお友達、どうやって探すの? あぁ、ママの頃はね、引っ越ししていった友達とか、それから、雑誌とかに「文通して下さい」っていうふうに載っててね、それでたくさん友達ができた。今もその手紙って残ってる? どうだったかな、少しは残ってると思うよ。へぇっ、じゃぁ私、Mちゃんと文通する! そうだね、してごらん、楽しいよ。手紙ってさ、書く言葉でしょ。うん。声に出していえないことでも、文字にすると打ち明けられたりしてね、楽しいんだよ。へぇぇ。それに、今日はどんな便箋で書こうかな、とか、どんなシール貼ろうかな、とか考えるのも楽しい。ママ、便箋買ってくれる? もちろん。わー、楽しみぃ。
そう、今も一部、残っている。本当に一部しか残っていないけれど。子供の頃文通していた相手が何人かいた。全く顔も知らないところから始まって、手紙を交換し、写真を交換し。そうやって、少しずつ相手のことを知っていって。お互いに、直接に知らないからこそ打ち明けられるものもあった。近くにいないからこそ、打ち明けられるものがあった。拙い書き言葉を連ね、それを伝え合った。今そういえば、「文通してください」なんて言い合う人はいるんだろうか。すべてがメールや電話やら、そういったもので済んでしまっている気がする。なんだかちょっともったいない。
手紙の類も、あの被害を受けた後、殆どを焼いてしまった。壊れてゆく自分と、離れてゆく友人たちの姿をまざまざと見せつけられて、人との繋がりが怖くなった、その時、殆どを焼いてしまった。もったいないことをしたな、と今なら思う。住所録も何も、その時一緒に棄てたんだった。文集の類も。今残っているものなんて、本当に一欠けらだ。
でも。
今も残っていてくれる人たち。確かに在る。数は少ないかもしれないけれども、確かな緒だ。私をいつも支えていてくれている。大事にしよう、そう改めて思う。

じゃぁね、それじゃぁね、今日ママ勉強? うん。お互い頑張ろうね。うん。手を振って別れる。
いつもバスで行くところを、試しに自転車で行ってみる。自転車置き場までとにかく走り、そこからは歩き。
海と川とが繋がる場所。もう人通りがずいぶん多くなった。N車のビルができて、この辺りはぐんと変わった。私はひとり、橋の袂で立ち止まり、水辺を眺める。強い陽射しがかんかんと降り注ぐ。目を細めながら、水面を見つめる。
もうあと二、三回で授業も終わる。そこからはもう、ひとりでやっていかなければならない。私にできることは何だろう。改めてそのことを思う。
さぁ、今日も一日が始まる。しっかり歩いていかなければ。


遠藤みちる HOMEMAIL

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