見つめる日々

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2010年07月17日(土) 
久しぶりにきれいさっぱり眠ることができた。起き上がるのも全然苦ではない。すんなり起き上がり、窓を開け、外に出る。ぴたりと風が止んでいる。街路樹の緑もさやとも揺れず。ぴくりとも動かない街景が目の前に在った。動いているのは私だけ。そんな気がして空を見上げる。空は美しい水色。雲が点在しているだけで、これまでのように空を覆うような雲は何処にも見当たらない。あぁ、夏だ。理由もなくそう思った。
しゃがみこみ、ラヴェンダーのプランターを見やる。昨日の風で絡み合ったラヴェンダーとデージーとを、今朝も私はひとつひとつ解いてやる。そういえば、デージーの花の散るところをまだ見たことがない。花が終わるとき、デージーはどんなふうに散るのだろう。そろそろ終わりになる花もあるのだろうから、今度ゆっくり観察しようと思う。
ラヴェンダーは枝葉をあちこちに伸ばしており。枯れてしまった二本は本当に残念だったけれど。残りの四本がこうして頑張ってくれている。それだけでも、嬉しい。
パスカリの、沈黙したままの一本。今朝もあちこち見回してみるのだけれども、やはり彼女は沈黙を続けており。立ち枯れてしまったのかと思うほどの長い沈黙だ。少し心配になる。大丈夫だろうか。でもそれを言うと、マリリン・モンローとホワイトクリスマスも沈黙が長い。私は改めて、彼らを凝視する。何処にも新芽の気配はなく。こちらもどうしたのだろう。何か足りないのか。でも何が足りないんだろう。水も遣っている、液肥も施した。あと何が。分からない。
パスカリの、花芽をつけている方は。細い枝の先に花芽をくっつけて、その花芽は徐々に徐々にだけれど、確実に大きく膨らんでいっている。今朝見ると、だいぶ白い花弁の色が、見えるほどになってきた。このまま膨らんで、或る日突然ぽっと咲く。その日が楽しみだ。
ベビーロマンティカは新芽をあちこちから吹き出させており。さわさわとおしゃべりをしているようなその樹。私は耳を澄ます。澄ましていると、本当にあれやこれや、おしゃべりしている声が聴こえてきそうな気がする。
ミミエデンも、二箇所だけでなく三箇所、四箇所から、新芽を芽吹かせ始めた。赤い赤い新芽。嬉しい新芽。見ているだけでどきどきする。このまま無事に開いてくれるといい。病気に冒されることもなく。
挿し木だけを集めたプランターの中。あちこちから新芽が湧き出ている。でも、一本、角っこの方に挿してある枝が、新芽をちょこっと覗かせただけで、そのまま止まっている。嫌な予感がする。このまま立ち枯れてしまうんじゃないか。そんな予感。いやだ、もうちょっと開いてほしい。葉を広げて欲しい、ここまで頑張ったのだから。私は祈るように思う。
部屋に戻り、お湯を沸かし、お茶を入れる。生姜茶の香りがふわんと、私の鼻腔をくすぐる。そのお茶を入れたマグカップを持って机へ。開け放した窓の横、椅子に座り、煙草に一本火をつける。
昨日は授業の日だった。親しくしている友人が、なかなか来ない。いつもなら、私の次には教室に入ってくるのに。どうしたのだろう。もしかしたら。嫌な予感がした。そして彼女は時間ぎりぎりに、俯いてやって来た。
午前中の授業が終わって、私は彼女に小さく声を掛ける。するとやっぱり、思ったとおり、彼女は午後の授業に出席するかどうかで悩んでいるところだった。
喫茶店で二人で隣り合って座る。そして、私は彼女の言葉に耳を傾ける。朝、どうしても行きたくない気持ちが沸きあがって来てしまって、どうしようもなかったの。あなたにメールを打とうかとも思ったんだけど、送信できなくて、そのままになってしまった。何だか思うの、私はまだこの勉強をする時期じゃなかったのかもしれないって。防衛機制をこの前やったでしょう? あれをやって、ますます、自分はここに在るべきじゃないんじゃないかって思えてしまって。どうしていいか分からなくなってしまった。
健常者とそうじゃない人とって、そんなにくっきり分けられるものなのかしら? みんなは健常者で、病気を患ったことのある私なんかはじゃぁ、健常者じゃないのかしら? でも何故? どこで区分けされるの? 私から見たら、確かに私は心の病気を患ったことがあるけれど、それは心が風邪を引いたようなもので。そういうもので。だから、何も、何々病だから、って区分けされるような、特別なものじゃなくて。でも、クラスのみんなから見ると、やっぱりそれは特別な、区分けするようなもので。何だかそういうこと考えていったら、何が何だか分からなくなって来てしまったの。
そんな、区分けをするような人に、私は診てもらいたくないって。そういう気持ちが湧き出てきてしまって。でも、そういう人たちがテストに受かって、カウンセラーになって、働くようになっていくわけで。その現実に、どんどんついていけなくなる自分がいて。
そうしたら、傾聴の授業にも、本当に出たくなくなってきて。でも私、今まで、何かを始めたら途中で投げ出すってしたことがなくて。だから、途中で投げ出そうとしている自分が許せなくて。たまらなくて。一体自分は、どうしたいのか、全然分からなくなってきてしまって。
私の旦那とか、実家の家族とかはね、私がこの心理カウンセラーの勉強をすることに、多分、反対なの。理由はよく分からないけれど、よく思っていないの。他のことには、協力的なんだけれど、この勉強に関してだけは。別なの。
私、どんどん、自分が外れていくように思えて。でももし今日も出席しなかったら、もうこのクラスに出席すること、無理になっちゃうんじゃないかとも思うの。どんどんどんどん萎縮していって、だめになっていく。そんな気がする。でも、どうしたらいいのか、分からないの。もうみんなに会いたくない、囲まれたくない、いっそ全然別の人たちの間でならできるかも、ってことさえ思うの。別にみんなが嫌いなわけじゃなくて。そうじゃなくて。ついていけないの。みんなのテンポに。みんなのあの、方向性に。
私は彼女の言葉を聴きながら、時折相槌を打ったり、短い言葉を挟んだりしていた。私が言えることなど、殆ど何もない気がした。何故なら、私も、似通った思いを抱いているからだ。私も、場合によっては、今の彼女のような気持ちに、陥っていたんじゃないかと思えるからだ。
ねぇ、なんで朝、メール、送信しなかったの? だって、先週、出ようねって約束したのに、自分から約束したのに、出たくないだなんて言えなくて。だから送信できなかった。そういう時こそ、メールくれたらいいのに。出たくない自分がいるんだよーって言ってくれたらいいんだよ。そうなのかな。うん、そうだよ。私、何か言える立場なんかじゃないけれど、でもね、無理して出席することもないし、それに、あなたは自分をもっと許してあげていいと思うよ、何も、ひとつのことを途中で投げ出すことになったって、一度それから離れることも、ひとつの勇気だと私は思う。そう、なのかな。どっちにしてもね、ひとつの勇気だと思うよ。
私、殆ど知らない人の間なら、やれるかな。もしそう思うなら、他の時間帯に振り替えて受けてみたっていいじゃない。そうか。それならやれるかな。でも、なんかそれすると、自分が負けたみたいにやっぱり思えちゃう。ははは。負けてなんかないよ。選択する権利は、自由は、自分にあるのだから、負けなんかじゃないよ。
…私、今日、出てみようかな。ん? そうだよね、あなたもいるし、出てみたら何とかなるかもしれないし。だめでもともとだもんね、出てみようかな。そうする? うん。じゃぁ一緒に行こう。
そうして私たちは、午後の授業に一緒に出席した。授業を終えて、立ち上がった時、彼女の頬は少し、紅潮していた。やり遂げた、という気持ちの現れだったんだろうと思う。私はそんな彼女を、誇らしく見つめた。

ねぇママ、ココアの目、これでよくなってるのかなぁ。悪くはなってないと思うよ。寝起きがね、やっぱりまだ、目の大きさがずいぶん違うけれど。目が覚めてくると、だいぶ目の大きさが揃ってきたし。あの赤い染みみたいなのはもうすっかりなくなったし。そっかな、大丈夫かな。今度病院行くまで、ちゃんと目薬注し続けてあげれば、先生がまた、ちゃんとやってくれるよ。うん。
ねぇママ、私が病気になったことってあるの? ん? あるよ。小さい頃、おなか壊して、すんごい臭いうんちになって、ママ、びっくりしたことある。臭いうんち? そう、とてつもない臭いうんち。おなかが壊れているから、そういううんちになっちゃうの。それでどうした? 病院連れて行って、お薬もらって、それで治ったよ。他には? あぁ、水疱瘡があったね。でもあなたは、思ったより高熱が出るわけでもなく、水疱瘡もあんまり出るわけでなく、軽くて終わっちゃったから。ママは楽だった。ははは。なーんだ、ママは私が元気なお陰で楽してるんじゃん! そうだね、そういうことになる。あなたが元気だからこそ、今の二人の生活が成り立ってるって言ってもいいかもしれないね。じゃ、私様々ってことだね! ははは。そういうことかな。

ママァ、あのさ。なぁに? クラスでさ、みんなで委員決めたんだけどさ。うん。私、また陰口叩かれた。どういうふうに? 私が立候補したら、SちゃんとかAちゃんとかが、教室の後ろの方に集まって、こっち見て、ぐちゃぐちゃ言ってた。そっかぁ、でも、それ、あなたのこと言ってたかどうかは分からないでしょう? いや、言ってた。こっち見て、ちらちら見て、指差したりしてた。そっかぁ。いやだねぇ、そういうの。どうしてそういうことできるのかな、みんな。されたらいやなこと、わかんないのかな。自分がされたら嫌だってことを、その時は考えていないのかもしれないね。どうしてそんなことできるのかな。相手が傷つかないとでも思ってるのかな。うーん、傷つけたくてやってるのかもしれないね。傷つけて何が面白いの? 何が面白いのかはママには分からない、ママはそういうことするの嫌いだから。でも、そういうことをいっつもする人たちにとっては、そういうことをして相手を傷つけるのが、面白いのかもしれない。…じゃ、それで傷ついてたら、ばかみたいってこと? うーん、そうは言わないけれども。ばかみたいだね、それって。思惑通りってことでしょ? まぁそうなるかな。私、やだ。ん? 私、そんな思惑通りになるの、やだ。傷つくの、やめた。そっか。そう思うなら、凛と背筋伸ばして、きっとして立っていてご覧。うん、そうする。それはそれできついことだけどさ、自分がそうと思うなら、そうすればいい。うん、そうする。思惑通りになるって負けるみたいで嫌だ。勝ち負けは良くわかんないけど。でも、自分がこうするって思うことを、してみるのがいい。と、ママは思う。うん。負けない。

月曜日は映画見に行くんだよ、絶対だよ。分かった分かった、その分週末勉強頑張ってきてね。うん、分かった! じゃぁね、それじゃぁね! 手を振って別れる。
娘がバスに乗るのを見送って、私は自転車に跨る。坂を下り、信号を渡って公園へ。公園は、さんざめく陽光を全身で受け、きらきらと輝いている。公園全体が、光の玉のようだ。緑のあちこちで、光がぱちぱち弾けている。池の端に立つと、池もきらきらと輝き。向こう岸に猫が二匹。茶ぶちとトラ猫。二人ともでーんと座って、何処かを眺めている。
私は再び自転車に跨り、大通りを渡り、高架下を潜って埋立地へ。銀杏並木の向こうから、陽光が燦々と降り注いでくる。裸眼では眩しくて、私は目を細める。夏はサングラスが必要な季節って、本当にそうだ、と思った。でも私はサングラスが酷く似合わない。残念ながら。
通りを真っ直ぐ進み、モミジフウの脇を通って、海へ。ざん、ざんと打ち寄せる波は白く砕け。濃紺色の海が、延々と広がっている。忙しげに港の中を行き交う巡視船。その間をゆうらゆぅらと飛ぶ鴎。
さぁ、今日も一日が始まる。私はくるりと向きを変え、駅の方へと走り出す。


遠藤みちる HOMEMAIL

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