2010年07月15日(木) |
じめじめした夜気のおかげで、なかなか寝付かれず。半分眠りに落ちて、半分は起き上がっている、そんな具合で夜を過ごす。奇妙な夢を延々と見続けている、そんな感じ。今の主治医がひたすら黒板に向かい、ぶつぶつ呟いている。CさんとOとが部屋の隅の方で、エゴグラムを必死に描いている。AさんとMさんが向き合っている。そして私は一人、黒板をぼんやり眺めたり、窓の外を眺めたりしている。そんな映像が、淡々と、延々と、続いていた。窓の外といってもそれは暗闇で。何も見えないのだが。 起き上がり、窓を開ける。目の前には雲が延々と続いているのだが、南の空はぽっかりと口を開いていて、真っ青な空が広がっていた。それは本当に真っ青で。まっさらで。透明という言葉がそのまま当てはまりそうなほど澄んでいて。私はしばし、目を奪われる。 街路樹の緑はくわんくわんと揺れており。それは強い風で。窓を開け放していたら部屋中が風に満たされてしまいそうなくらいの強さで。私は髪を梳く暇もなく、後ろ一つに結わく。 足元にはアメリカンブルー。昨日ホームセンターの表で、九十八円で売っていたのを見つけた。一輪もう咲いており。それは空の色を凝縮させたような、蒼色。風にひらひらと揺れている。適当な土がなく、薔薇用の土を使ってしまったが、大丈夫だろうか。しばらく様子を見てみようと思う。 ラヴェンダーのプランターの中。ラヴェンダーとデージーが今朝もまた絡まりあっている。私はそれを、ひとつずつ解いてゆく。デージーの花は見かけよりずっと頑丈に茎にくっついているらしく、こうやって解いていても、一輪たりとて落ちることがない。茎同士が擦れ合うたび、ラヴェンダーの独特の匂いがする。でもそれはあっという間に風に流され消えていってしまう。なんだかちょっともったいない。 ステレオからはSecret GardenのSonaが流れ始めている。久しぶりにこの曲を聴くなぁと思う。一時期ひたすら繰り返し聴いていた曲のひとつだ。 パスカリの花芽も、くわんくわんと風に揺れている。細い茎の先についているから、見事に揺れる。でも、またひとまわり大きくなった。順調に大きくなってくれている蕾。なんだかとても嬉しくなる。 桃色の、ぼんぼりのような花を咲かせる樹の新芽。ぴんと伸びて、きれいな葉をしている。病葉じゃなくて本当によかった。そして私は、それを見つめながら、頭の奥、別のことを考えている。 テレビで毎日毎日流れるニュース。大雨による災害。何人の人が行方不明で何人が死亡。そしてまた今朝も。私はそれを見つめながら思う。私はこのニュースをどこまで肌で感じているんだろう、と。私の住む町は何処か平和で。こんなニュースの傍ら、淡々と毎日が過ぎており。私と娘は無事で。今朝など南の空だけとはいえ青空を臨んでおり。昔友人が住んでいた町の名前がテロップで流れる。その瞬間はっとする。でも、今友人はもうそこにいるわけではなく。私のはっとした気持ちは、瞬間に萎んでゆく。濁流が轟々と流れ荒ぶ光景をテレビが映し出す。私はそれを見つめる。見つめるものの、多分、何処か他人事なのだ。他人事だから、こんなに淡々と見ていられるのだ。そんな自分の、酷薄さを、つくづくと感じる。そして憎みつつも、憎みきれない自分のそれに、唇を、噛む。 ホワイトクリスマスとマリリン・モンローが、そんな私の思いを見透かしたように、そこにじっと立って私を見つめ返している。所詮おまえはそこ止まりなのか、と、尋ねるようにそこに立っている。私は何も言い返せない。言い返せないまま、ただじっと、目の前を見つめている。 ベビーロマンティカは、次々新芽を芽吹かせており。まるで何事もなかったかのように、しゃらしゃらと笑い声を響かせながらそこに在る。大丈夫、みんなそんなものよ、自分のこと以外、そんな程度なのよ、と。嘲笑うのではなく、まさに、うふふと笑うかのように。私にはそれがまた、痛い。そうかもしれない、そうなのだろうけれども。でも。これでいいんだろうか、と、どこかで思うのだ。 ミミエデンも三箇所から新芽を芽吹かせ始めた。徐々に徐々に広がりゆくその新芽たち。嬉しい。とても嬉しい。でも。こんなにのほほんと、こんな当たり前の毎日を、私は過ごしていていいんだろうか、とも思うのだ。当たり前が当たり前じゃない日があった。当たり前が当たり前じゃなく、まさにひっくり返って、そこに在った。普通なんて言葉、何処にも見当たらなかった。たとえば世界の色。色鮮やかな、カラーの映像が普通に目に映るもの、それが普通。でも私には普通じゃなかった、すべてがすべて色を失って、モノクロ以外の映像はその時在り得なかった。普通って一体何だろう。当たり前って一体何だろう。 挿し木だけを集めたプランターの中、ようやっと芽吹いてきた新芽。このまま広がってくれたらいいと祈るように思う。同時に、その祈りの傍らで、私は結局私のためにしか祈ることができないのだろうか、と疑問符が浮かぶ。分かっている。どう足掻いたって、私が今何かすぐにできるわけじゃないってことも。私にできることなどたかが知れている。こうやって毎日をとにかく、ひとつひとつ、こなしてゆくことしか、できないということも。でも私のそうした毎日の向こうで、消えてゆく命があることも、やっぱり忘れることが、できない。 結局私は無力だ。誰かのためになんて、生きることはできない。私は私のことが、結局誰よりも一番にかわいくて、大事で。私の身の回りに在るものたちこそが大事で。それらが崩れることがないよう必死に祈るばかりで。私の祈りはだから、我儘だ。これでもかってほど我儘だ。分かってる。これでもかってほど。分かっている。 それでも、祈らずにはいられないのだ。この日常が日常で在り続けてくれますよう、この当たり前が明日もまた当たり前で在ってくれますよう、祈らずにはいられないのだ。私の大事な人たちが、明日もまたここに在って、笑っていられますよう。 テレビのニュースがどんどん遠くなる。遠くなりながら、耳の内奥で木霊している。でも私は、それを聴きながら、気づかないふりをしている。私の今ここをこそ、私が大事に保てますように、と、ただそれだけを、思っている。 ちぐはぐだ。私は私の限界を知っており。いやというほど知っており。だからこうしてしゃがみこんで、耳を塞いで、聴こえないふりをするのだ。 あぁ。
弟がやって来る。弟が次々口で注文を出すのに対し、私も次々モニター上にそれを形にしてゆく。あっという間に時間が過ぎてゆく。 とりあえず仕上がった原稿をプリントアウトする。チェックし終えたらまた連絡する、と言って弟は帰っていった。次の仕事へ向かうために。 私は弟の背中を見送りながら、祈るように思う。彼の今日が、そして明日が、変わらず流れてやって来るものでありますよう。突然の事故で、一瞬にしてすべてが木っ端微塵になんてなりませんよう。ひたすらに、祈る。
本棚を整理していて、ふと一冊の本が目に留まる。知人がわざわざくれた本だ。アメリカの、性犯罪被害者のレポートをしている写真家の著書。申し訳ないことに、私はそれをまだ紐解いていない。 知人は、私と似通ったことをしている人がいる、と、そう言ってこの本をくれたのだった。似通ったこと。本当にそうなんだろうか。 彼女は、性犯罪被害者を撮る。被害の現場に行って、被害者にその被害について語らせ、それをレポートしている。 私は。それはできないと思う。私がやっている「あの場所から」は、それとはまた、違う。 確かに私は、「あの場所から」で、性犯罪被害者にモデルになってもらい、写真を撮っている。写真展示の際には、彼女らの手記も合わせて、展示している。 でも何だろう。猛烈に何かが違うと、思うのだ。私は彼女らの「今」に焦点を当てたい。そこが、違うように感じる。 被害を越えて、それでも生き延びて「今」在ることを、今在る彼女らの姿をこそ、撮りたいと思う。
ねぇ、ママ、どうしてこういう小さな本には、絵がないの? あぁ文庫本? 確かに絵がないね。どうして? 多分、それは読む人に自分で想像してほしいからじゃないのかなぁ。それって難しくない? あら、そうなの? 絵があると、絵から想像しやすいけど、文だけだと、どんな顔してるのかな、とか、どんな洋服着てるのかなとか、想像しづらいじゃん。なるほど。でも、そういうのも含めて、自分で好きに想像できるっていうところもあるよ。自分で勝手に想像するってこと? そうだねぇ、まぁそういうことになるかな。私、そういうの苦手だよぉ。もしかしたらあなたは今、絵に頼って本を読んでいるのかもしれないね。絵に頼る? 文章で分からないことを絵に頼って想像するってこと。ママはそうしないの? ママは、文章からあれこれ想像するのが好き。だから、絵のない本の方がママは好きだよ。変なの、大人ってみんなそう? どうだろう? うふふ。 文庫本ってさ、なんか暗いよね。暗い? うん、明るくない。なるほどぉ、ママはそういうこと考えたことなかったなぁ。なんていうかさぁ、文字ばっかりで暗い。文字もちっちゃいし。ちまちましてるし。なるほどなるほど、確かにそれは言えるかもね。でも、そのちっちゃいものを辿っていって、自分で世界を創造するんだよ。その物語全体の絵を、世界を、自分で創造するの。面白いよ。そうかなぁ、なんかとっつきづらいよ、文庫本って。ははは、まぁそう言わず、読んでご覧。「西の魔女が死んだ」とか「りかさん」は、結構読めたけどさ、でもぉ。まぁまぁ、ちょうど読む本がないって言ってたじゃない、これ読んでごらんよ。「カラフル」もまぁ面白かったけど、でもぉ。いいからいいから。「夏の庭」「ポプラの秋」「春のオルガン」、全部、季節がついてる。うん、そうだね。これ、本当に面白い? あなたの年頃なら楽しいと思うよ。ママは大人になって読んだから、ちょっと損した気分だった。面白くなかったら、別の本、買ってよ。さぁねぇ、ちゃんと読んで感想文も書いたら考える。えー、ずるい! ははは。
じゃ、ママ行くね。うん、それじゃぁね。また後でね。あ、お弁当箱、自分で洗うんだよ。やだよっ。あ、じゃぁお弁当作らないぞ。えー、分かったよ、洗うよ。じゃ、ね! はいはい。 娘と別れた後、私は階段を駆け下り、自転車に跨る。坂道を一気に下り、信号待ち。南の空の美しいこと。澄みきった水色の明るい明るい空が、広がっている。 信号を渡り、公園へ。強い風に揺さぶられる樹たちの、ごごう、という音がここまで聴こえてくる。私は自転車をおりて、ゆっくり公園の中の坂道を上がってゆく。 ちょうど公園の中心に、道が集まっており。その隣に池が在る。私はいつものように池の端に立ち、空を見上げる。南の空以外、雲に覆われている。水色と灰色の混ざり合った空。その空がそのまま、池に映っている。石を投げ入れると、ぱぁっと波紋が広がり。瞬く間に空は消えてゆく。 私は再び自転車に跨り、坂道を下って大通りを渡る。高架下を潜り、埋立地へ。 びゅうびゅうとビルの間を流れる風が音を立てている。私はその音を聴きながら、ぐいぐいとペダルを漕ぐ。真正面から吹いてくる風に押され、自転車がなかなか進まない。 川と海とが繋がる場所。あの水母たちはどうしているだろう。私は川を覗き込む。いたいた。やはりまだいる。まるで、荒れる海から逃れてきたかのように、この場所に水母が集っている。その水母を避けて、魚がすいすいと泳いでゆく。ちょうど川下からやってきた船。川の真ん中を滑ってゆく。 さぁ、今日も一日が始まる。私は再び自転車に跨り、走り出す。 |
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