見つめる日々

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2010年07月12日(月) 
起き上がり、何気なくハムスターたちの籠を見てぎょっとする。ミルクの籠の扉が開いている。もちろんミルクは中にいない。私は大声で娘を起こす。ミルクの籠の扉が開いてるよ、どうしたの、昨日夜何かしたの?! ん? え? だから、ミルクいなくなってるよ。えっ!
どうも昨日娘が扉を閉め忘れたらしい。ミルクは扉が開けば弾丸の如く外に飛び出してくる。私たちが眠っている間に、一体何処へ行ったことか。私たちはそれぞれに、物の隙間や本棚の後ろあたりを探し始める。いない。どこにもいない。いや、いないわけがない。昨日は窓を閉めて眠ったのだから、家の外に出ているわけはないのだ。必ず家の中にいる。ふっと思いついて、餌箱をしゃらしゃらと揺らして音を出してみる。この音に一番反応するのがミルクだ。名前に反応しなくても、この音になら誘われて出てきてくれるかもしれない。娘に言いつけて、とにかく餌箱をしゃらしゃら鳴らすようにし、私は私であちこち探し回る。
二十分くらいした頃。娘が無言で私の横に立っている。どうしたの、なんで探さないの? すると、娘がくいっと手を伸ばしてくる。そこにはミルクがしっかり掴まれていた。どこに居たの? わかんないけど、しゃらしゃらやってたら、出てきた。…。
時計を見ると午前五時前。なんだか朝からどっと疲れた。私は椅子に倒れ込み、娘は娘で床に座り込み、ミルクをしっかと握っている。ミルクは、遊びつかれたのか何なのか、娘の手の中で神妙にしている。彼女も事態がおかしいことは分かっているらしい。そのくらいはまぁ分かるだろう。それにしても。餌の音に釣られて出てきてくれるとは、何と食い意地の張ったハムスターだろう。でもまぁそのおかげで、私たちは救われた。
私はわざと娘を放って、ベランダに出る。いや、出ようとして、風に押し返される。あまりに強い風。慌てて窓を閉める。窓にへばりついて、外を見やれば、街路樹の緑が勢いよく翻っている。耳を澄ませば、びゅうびゅうびゅうと、音を立てて風が吹き荒んでいる。
私は窓をさっと開け、隙間から出て、再び扉を閉める。髪の毛がぐわんぐわんとなびくので、急いで後ろ一つに結わく。そうしておいてから、空を見上げる。灰色の雲が空全体を覆っており。また雨になるんだろう。そう思いながら、私は風に目を細める。こんなに強い風、久しぶりだ。あまりに勢いが良くて、ある意味気持ちがいい。
でも心配なのは植木だ。私はしゃがみこんでラヴェンダーのプランターを見やる。ラヴェンダーとデージーとが絡まりあって、びゅんびゅん揺れている。これは今解いたって無意味だろう。このままにしておく方がいいかもしれない。
ホワイトクリスマスとマリリン・モンローも、さすがにこの風には揺らいでおり。ホワイトクリスマスの葉がマリリン・モンローの棘に絡まっている。傷ついた葉を、これ以上傷が広がらないようにそっとそっと棘から外してゆく。いや、今外したからって、また絡まる可能性の方が大きいのは分かっているのだが。そうせずにはいられない。
ベビーロマンティカは、この風の中でもでーんと横たわり、逆に風を楽しんでいるかのように見える。本当にいつ見ても不思議な樹だ。先日から萌え出てきた新芽も無事で、私はほっとする。
ミミエデンは、風に揺れるほどのたくさんの葉は持っていず。だからこの風から免れているらしい。ふと見ると、これは新芽の気配なんだろうか、枝と葉の付け根の間に、小さな小さな塊が見える。あぁこれが新芽だったら嬉しいのだけれども。私は祈るように思う。
蕾をつけている方のパスカリ。蕾がぐわんぐわんと風に揺れている。でも、どうしてやることもできない。今のところ蕾は無事だ。引っかかるようなものが近くにあるわけでもなく。これなら大丈夫だろう、と私は判断する。
とりあえず、今のところはベランダは無事のようだ。私はほっとして、立ち上がる。立ち上がった途端、強い風を背中に受け、一歩踏み出してしまう。そのくらいに風が強い。
急いで部屋に戻ると、娘がしょんぼりと立っている。ママ、ごめんなさい。何が? 扉開けっ放しにしておいたこと。それもそうだけどね、これからは、眠たくなくてもママと一緒に電気消して横になること。分かった? うん。昨日は電気もつけっ放し、扉も開けっ放しで、いろんなものがやりっ放しになってたんだよ。うん、ごめん。分かったらよろしい。うん。
私は台所に立ち、お湯を沸かす。その間に顔を洗い、化粧水を叩き込み、ほっと息をつく。沸いたお湯で生姜茶を入れ、椅子に座り、煙草に火をつける。なんだかもう一日が終わりそうな、そのくらいばたばたした朝だった。それにしても。出てきてくれたミルクに、感謝感謝、だ。

電車に乗っていると、突然電車が止まる。車内アナウンスもしばらくないまま止まっている。嫌な感じが背中を駆け巡る。人身事故だったら。そう思った途端、かつて自分が目の前で出会った、人身事故の場面が甦る。いや、こういうことを思い出してはいけない。思い出すと、下手すればパニックを起こすことになる。私は自分に必死に言い聞かせる。これは人身事故じゃないかもしれないし、今と過去とは違うんだ、ということを。
ようやっと車内アナウンスが流れる。今車掌が確認しております、もうしばらくお待ちください。
座席に座っていてよかった、と、つくづく思った。でなければ私は、へなへなとその場に座り込んでいたかもしれない。
視界が少しずつ色を失い始め、人の声が遠のいてゆく。それを感じながらも、大丈夫大丈夫、と自分に言い聞かせる自分がいた。
がたん。やがて電車は走り始め、説明のアナウンスも流れ。私はそれをぼんやり聴いている。とりあえず人身事故じゃぁなかったということか。よかった。本当によかった。
忘れることができないのは、あの、Y町駅での事故だ。いや、あれは事故ではなく。何と言ったらいいのだろう、本人が望んで電車に飛び込んでいった。そういう出来事だった。私の隣に居た友人が、ありがとう、と一言残して、滑り込んできた電車に身を投げた。それからのことは途切れ途切れにしか覚えていない。一番はっきり覚えているのは、ほとんどのものが片付けられた後、それでも耳たぶが線路に残っていて、あぁ、耳たぶもお願い、一緒に片付けてあげて、と、私が祈るように思っていたことだけだ。耳たぶから目を離すことが、どうしてもできなかった。
あんな思いはもう、したく、ない。

「あるものに名前を付けることによって、私は単にそれを一つの範疇に入れただけで、それを理解してしまったと考えるのです。そしてそれ以上に細かく見ようとはしないのです。しかしもし私たちがそれに名前を付けなければ、私たちはそれを見るように強いられるのです。つまり私たちは全く新しく、初めて出会ったものを調べるような気持ちで、その花に近づいていくのです。私たちは以前に見たことがないかのようにしてそれを見つめます。命名は物や人間を処理するための非常に便利な方法です」「命名したり、レッテルをはることは、何かを処理したり、否定したり、非難したり、あるいは正当化するための、非常に便利な方法なのです」「それは私と一体となったいろいろな感情―――言いかえれば現在を通して生命を与えられた過去なのです。その中核、または中心は、命名し、レッテルをはり、記憶することを通して、いわば現在を食べて生きているのです」
「もしあなたがその中心に名前をつけなければ、中心は存在するでしょうか。つまり、もしあなたが言葉の観点から考えなかったり、言葉を使わなかったなら、あなたは考えることができるでしょうか。思考は言葉の表現を通して生まれてくるのです。あるいは、言葉の表現は思考に反応し始めるのです。その中心や中核は、快楽や苦痛などの無数の経験の記憶を言葉で表現したものなのです」「中心とか核というものは、要するに言葉なのです」

ようやく電車が実家の最寄り駅に辿り着き、私は這うようにして外に出る。まだ待ち合わせの時間には余裕がある。私はホームで、柱に寄りかかり、しばらく深呼吸を繰り返した。大丈夫、もうあれは過去だ、また繰り返されるとは限らない過去なのだ。自分に言い聞かせる。忙しなく行き交う人々の、服の色が、少しずつ感じ取れるようになってくる。近くを通り過ぎた学生たちのおしゃべりの声が、耳に入ってくるようになる。
もう大丈夫だ、私は階段を上がり、トイレの鏡で自分の顔を確かめる。大丈夫、これなら娘を迎えに行っても、おかしくは思われない。何かあったのかなんて娘に思わせずに済む。私は、洗面台で顔を軽く洗い、ほっぺたをぱんぱんと両手で叩く。
改札口で娘を待つ。十分ほどした頃、娘とじじとがやって来る。娘はじじに手を振って、そのまま駆け足で改札を入って私の隣にやって来る。私は大きな声で、ありがとうね、とじじに挨拶をする。
それにしても。じじは痩せた。どんどん痩せていく気がする。彼の中年の頃を私は覚えている。ぱーんとおなかが突き出ていて、スーツを着ると、貫禄がありすぎて、近寄りがたかった。それが、ここ五、六年で、彼はぐんと痩せてしまった。仕事の第一線から退いて、それから転がるようにして痩せていった。目の手術もしたせいか、目の周りが落ち窪んでいて、今までのような生気が感じられない。弱っていっている、のとも違う。彼は確実に、年を取っていっているのだ。それが、私にはとても、切ない。
私にもうちょっと力があったら。彼らを安心させてやれるだけの力があったら。不甲斐ない自分の身の上を、少し、恨む。

じゃぁね、それじゃあね。今度はちゃんと扉閉め忘れないようにね! うん、分かってる。私たちは手を振って別れる。
いつもなら階段を駆け下りるのだが、何となくゆっくり歩いて階段を降りる。そうして風の唸る外へ。自転車に跨り、危うい空模様を見上げながらも、走り出す。
坂を下り、信号を渡って公園前へ。公園の樹々たちは、轟々と唸り声を上げて左右に揺れている。枯れ始めた紫陽花も、首を左右に振っている。
大通りを渡り、高架下を潜って埋立地へ。風が一層強くなる。私の自転車は、前に進んでいるのか止まっているのか分からなくなるほど風に押され。私は閉口しながら何とか信号前に辿り着く。
プラタナス並木の通りが、びゅんびゅんと揺れている。通りを歩く人たちも、足を踏ん張って歩いている。ビルのそばを通るとき、風はさらに強くなり、私を押し戻す。
揺れる信号機が青に変わるのを確かめて、私は必死でペダルを漕ぐ。

さぁ、今日も一日が始まる。


遠藤みちる HOMEMAIL

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