見つめる日々

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2010年07月10日(土) 
久しぶりに激しい雨を見た。ざんざんと叩きつけるように降る雨を、部屋の中からぼんやり眺めていた。でもそれもほんの短い時間で止んでしまい、後にはすかっとした夜空がぽっかり広がっていた。泣くだけ泣いて気が済んだ、というような具合なんだろうか。
起き上がり、窓を開ける。湿ってはいるがすんなりと風が流れている。街路樹の緑が艶々している。昨日の雨で一切の埃が流れ去ったかのよう。きらきらとした陽光が東から伸びてきているのがありありと分かる。トタン屋根がくっきりと、その光の中浮かび上がる。見上げれば空には、ところどころ雲が残るものの、水色が広がっている。あぁ久しぶりだ、と、私は手を伸ばす。高い高い、水色の空。
ラヴェンダーのプランターの脇にしゃがみこむ。長く伸びたラヴェンダーが、鉢からはみ出しそうになっている。そんなにも気づいたら伸びていた。でも花芽はまだ何処にも見当たらない。今は枝葉を伸ばすことで精一杯なのだろう。それでいい。
デージーはまた次々新たな花を咲かせており。小さな小さな黄色い花が、ぱっと開いている。そこにだけ、とびきりの鮮やかな絵の具をひいたかのよう。
ホワイトクリスマスとマリリン・モンローは、今も沈黙の時間を過ごしている。それでも何だろう、真っ直ぐに天を向いているその姿は雄々しく、逞しい。
ミミエデンはひっそりと、プランターの端っこに佇んでいる。今のところ新しい葉の気配はなく。大丈夫だろうか。どうしてだろう、ミミエデンに関しては、ホワイトクリスマスを見るようには安心して見ていられない。どうも心配になってしまう。生きているんだろうか、ちゃんと呼吸しているだろうか、と。そうであってくれますよう、祈るように思う。
ベビーロマンティカは、もう新芽をぐいと伸ばし始めている。二、三箇所から、新たな萌黄色の、艶々した芽が出てきている。この樹はどうしてここまで元気なのだろう。いや、元気というより、生き急いでいるかに見える。そんなに急いで次々やってのけなくてもいいのに、と、正直思ってしまう。大丈夫だよ、私はもう少し、気が長い。
パスカリの一本、花芽がくっきりと頭をもたげている。細っこい枝の一番天辺についている蕾。朝見るごとに、少しずつ、少しずつ、その姿を露にしてゆく。きっとここで咲くのは小さな花だろう。それでもいい、パスカリの姿が久しぶりに見られるのなら。
もう一本のパスカリは、新芽を出すわけでもなく、枯れるわけでもなく、ただそこに佇んでいる。しんしんと。桃色の、ぼんぼりのような花を咲かせる樹と共に、沈黙を守っている。
今日はゴミの日。突然思いついて、もう古くなった土を、捨てることにする。以前ラナンキュラスを植えていたプランターの土、以前挿し木をするために使っていたプランターの土、両方を、どどどっとゴミ袋に入れる。一番下の、軽石だけ掻き集めて、それ以外は捨てることにする。
玄関を開けると、ごごごっと音を立てそうな勢いで、陽光が降り注いでくる。思わず手を翳し、陽射しを遮るのだが、それでも眩しい。こんな陽光はどのくらいぶりだろう。東の、高いところの空を見上げ、ふっと息が漏れる。なんてきれいな水色の空。生まれたての空、という感じ。校庭の端っこで、プールの水が陽光を受けて乱反射している。
ゴミ捨て場とベランダとを二往復すると、背中に汗の玉が流れてくる。そのくらい、陽射しが強いのだ。今日は日焼け止めをこまめに塗らないと、とんでもないことになるかもしれない。
昨日、友人と話しをした。一クライアントとして実際に病院などでカウンセリングを受けたことの在る人間は、クラスで二人きり、私とその友人のみ。その友人とは、時折授業後に話し込んだことがある。
友人と二人、最初に出てきた言葉は、ついていけてないね、という言葉だった。クラス全体が今、試験をどう切り抜けるかといった雰囲気に染まっている。試験のための勉強になってきている。質問も、試験でならどう受け答えすればいいんですか、といったものばかり。そういった雰囲気に、私たちは二人とも、ついていけてない、ということ。
試験に受かることは大切だ。確かに大切だ。でも、何だろう、試験の後の方が、本当は大切なんじゃないのか。その思いが、私たち二人には在った。実際に、お金を払ってまでカウンセリングを受けに来ようとしている人を、どれだけ受け止められるか、受け容れられるか、引き受けられるか、そういったことに、私たちはどうしても重点を置いてしまう。試験をクリアするためのポイントを追うことより、そちらの方が大切に思えてしまう。でも。現実は違うのだ。現実は。テストをどうクリアするか、それが重要なのだ。今、クラスでは。
こういう人たちがカウンセラーになっていくのかと思ったら、私、もう二度とカウンセリングなんて受けたくないって思ってしまうのよ。彼女が言う。それは私も同様だった。テストのための勉強に終始しているクラスメートは、それはそれですごいと思うのだが、それを見るにつけ、こんなんでいいんだろうかと思ってしまうのだ。
傾聴のクラスも、見立てや目標を述べることに重点を置いていて、クライアント役の人の話なんて、あまり届いてなくて、そういうのを見ると、ここでクライアント役をやることがとても嫌になってしまうの、本当のことなんて、何も話したくないって思ってしまうの。彼女が言う。私はその言葉を聴きながら、自分はちょっと逆だと思った。本当のことを話すから、ちゃんと受け止めて見立てをして頂戴よ、と思っている。いつだったか、私がクライアント役をしていたとき、私には無理だわ、と投げ出すカウンセラー役の人がいた。こんな重い話、私、引き受けられない、聴いていられない、と。
でも。実際の現場では、そういった、重い話といわれるような話が、ごまんとあるんじゃなかろうか。違うんだろうか。
この授業を終えることで、卒業したという資格を得ることで、いつでも試験は受けられるのだから、慌てないで、焦らないで、自分なりの勉強を重ねていきたいって、私、そう思ったの。彼女が言う。私はそれに、ゆっくりと頷く。
私たちはいわゆる、負け犬なのかもしれない。テストを怖がってるだけ、と取られても仕方がない。私たち自身、自分たちの弱さを感じている。でも。
クライアントになったことがあるからこそ、カウンセリングというものがどれほど大切な場であるのかを私たちは知っている。それをないがしろには、どうやってもできないのだ。その気持ちを忘れることは、やはりどうやっても、できない。
私たちは、自分なりのペースを信じてやっていこう、と誓い合い、別れる。彼女と手を振り合いながら、こんなふうに話ができる人が一人でもいたことに、私は感謝する。

お湯を沸かし、生姜茶を入れる。夏が終わるまでは、もたないだろうな、と、生姜茶の袋を覗き込みながら思う。夏が終わる前に、さっさと生姜茶はなくなってしまうだろう。しばらく寂しい日が続くんだろうなぁと思う。代わりになるようなお茶は、見つかるだろうか。また秋、冬にならなければ、店には入荷されないと言っていた。それまで、どんなお茶を飲もう。
開け放した窓から、吐き出した煙草の煙がすいすいっと流れ出てゆく。明るい明るい、水色の空へ。溶け出してゆく。
娘が突然、体温計貸して、と寝床から言う。どうしたの、と訊くと、なんか体がだるいよ、と言う。計ってみると微熱がある。珍しい。熱慣れしている私と違って、娘はほんのちょっとの微熱でも、もうくたくたになっている。べそをかきながら、ママ、どうしようか、と言う。とりあえず準備して、済ませなきゃいけないことだけ済ませてしまおうか、と私は提案する。その後は、熱の具合を見て決めよう、ということになった。
べそをかきながらも、ココアの具合を見ることは忘れない娘。ママ、だいぶ目、よくなってきたみたい。うん、ママもさっき見た。ずいぶんよくなってきたよね。これなら大丈夫だよ。うん、そうだね。

防衛機制について勉強していて、自分の中でかつて、防衛機制の中でも強度といわれる抑圧や否認、隔離といったものがあった時期があったなぁと省みる。性犯罪被害に遭って、しばらくの間私は、その現場での状況を思い出すことができなかった。また、病院に通い始め、だいぶ経った頃、継続的に関係を強いられてきた事実を思い出し、パニックを起こした。また、それを思い出すことによって、私はますます、自分が穢れているものに思え、どんどん堕ちていった。
でも何だろう、私は思い出したことによって、その現実を事実を見据えざるを得ない状況に迫られた。そのことは、結果として、よかったんじゃないかと思える。でなければ、いつまでも現実から目を逸らして、事実を事実として受け容れることができずに過ごしていったかもしれない。そうなったらもっと悲惨だ。私は私自身を自分で歪めてしまうことになりかねなかった。だから早い時期に、しかもあの女医のもとで、そういうものと向き合ってこれたことに、今は感謝する。

ママ、熱が下がらなかったら迎えに来てくれる? もちろん。テスト悪い点でもいい? それが頑張った結果なら、仕方ないと思うよ。わかった、じゃぁ頑張ってくる! うん、頑張っておいで、応援してるから! 手を振って別れる。バスに乗った娘は、バスが動き出すまでずっと、私に手を振っていてくれた。もちろん私も。
娘を見送り、自転車に跨って走り出す。昨日友人と話ができたおかげで、心はだいぶ軽くなった。おかげで割り切ることもできた。自分なりにやっていけばいいんだ、と今は素直に思える。
信号を渡り、公園の前へ。鬱蒼と茂る緑の匂いが、通りにまで溢れている。紫陽花はもう、次々枯れ始めており。色褪せた丸い塊が、それでも枝にくっついて、重たそうだ。
大通りを渡り、高架下へ。数年前までここは、落書き天国だった。それが今はどうだろう、すっかり消されて、塗り替えられ、冷たい壁とアスファルトとが続いている。どぎつい落書きは見ているだけで辛かったけれど、この冷たい壁の色は色で、ちょっと寂しい気がする。
そんなことを思いながら、埋立地へ。銀杏並木の向こうから、さんさんと降り注ぐ陽光。目を細めても眩しい。信号が青になるのを待って私は再び走り出す。
さぁ今日も一日が始まる。私は私で信じる道を行けば、いい。


遠藤みちる HOMEMAIL

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