見つめる日々

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2010年07月07日(水) 
目を覚まし、隣を見やる。娘はまた私の顔の方に足を向け、ついでに素っ裸で眠っている。それでも蚊に食われないというのだから羨ましい。私はといえば、一晩のうちに三、四箇所は食われているという始末。今朝は足首と右手の指の関節に二箇所。どこもかしこも痒い。掻き毟る前に薬を塗らないと、と起き上がる。
薬を塗り、ベランダに出る。ぞっとするほど雲が間近に迫っており。いつ雨が降り出してもおかしくはないといった具合。鼠色のもくもくとした雲。手を伸ばしたらすぐ届きそうなほど接近している。こんなに重たい雲はどのくらいぶりだろう。見上げながら思う。なんだか雲が怒っているような、そう、悲しみに怒り慄いているような、そんなふうにさえ見える。街路樹に目を移すと、じっと黙って、そこに佇んでいる。くわぁ、という甲高い声が響き渡った。烏だ、今朝はやけに烏が多い。ゴミの収集日でもないのにどうしたんだろう。気味が悪い。一方雀は、遠慮深げに、電線の隅、縮こまっている。
しゃがみこんで、ラヴェンダーのプランターを覗き込む。四本のラヴェンダーの枝は、思い思いの方向に枝葉を伸ばしている。まだ花芽は見えない。葉に鼻をくっつけると、あのラヴェンダー独特の香りが漂ってくる。そういえば埋立地にあるホームセンターに、これとは種類の異なるラヴェンダーが安く売っていたっけ。もう花も咲いている株が、だだだっと表に並べられていたのを思い出す。
その隣、デージーは小さな花を次々つけ始めている。やはりこんな空の下でも、黄色は元気に輝いている。私は別に黄色が好きなわけではないけれど、こんな天気の下、この色が在ってくれてよかったと思う。
ミミエデンは病葉を摘んだせいか、少しすかすかして見える。沈黙の時間。今度はどこから新芽が出てくれるだろう。その気配はまだないけれど。でもまた新芽を出してくれますよう、祈るように思う。
ベビーロマンティカは、蕾があった頃のようにおしゃべりは響いてこない。それでも、萌黄色の明るい葉の色が、ふわりと辺りを明るくしている。新芽の気配はどうだろう。全身をくまなく凝視したわけではないけれど、今のところ、その気配はないようだ。こちらもまた、沈黙の時間。
マリリン・モンローとホワイトクリスマスも、しんしんと立っている。マリリン・モンローの、下の方、黄色くなってきた葉を幾枚か摘む。ホワイトクリスマスの方にはそういった葉はなく。ただしんしんと、じっと起立している。
パスカリの一本を見て、目を疑う。これは小さな小さな花芽じゃなかろうか。私はじっと凝視する。やはりそうだ、花芽だ。まだ爪の先ほどの大きさしかないけれども、間違いはない。あぁよかった、花をつける元気を、取り戻してくれたということなんだろうか。いや、でも、それにしては小さく、枝も細い。か弱さがこちらにもじんじんと伝わってくる。それでも咲こうとしてくれているのだ。大事にしないと。もう一本のパスカリは、新芽を出す気配もなく、ただじっとそこに佇んでいる。今のところこちらに病葉はないけれど。それにしては沈黙の時間が長すぎやしないだろうか。少し心配になる。
桃色の、ぼんぼりのような花をつける樹は、本当にちょこちょことだけれども、葉を伸ばしており。でも、その姿は小さいまま。それ以上大きくなることをまるで拒んでいるかのようで。何が足りないんだろう。もっと大きく枝葉を伸ばしてもいいだろうに。私は樹の前でじっとしゃがみこむ。そうしたからって何か変わるわけでもないのだけれども。
玄関の方に回って、校庭を見やる。まだ人の気配も何もない校庭。その向こうには埋立地の高層ビル群が見える。その高層ビルは、上の方がすっかり雲の中で。あの建物の一番上に立ったなら、何が見えるんだろう、何を触れるんだろう、思わず想像してしまう。校庭の端っこ、プールは、微風で微かに水が揺らいでおり。誰も居ないプールで泳いで見たいと、小さい頃そういえばいつも思っていたっけ、と突然思い出す。また、台風の日、大会に出るメンバーだけで練習した日のこともまた思い出す。どうせ濡れるのは同じだと、先生が練習を赦してくれたんだっけ。私たちはきゃぁきゃぁ喜びながら、ざんざん雨風の降る中、練習をしたんだった。懐かしい思い出。
ママ、と呼ばれて振り向くと、ぶわんっと空気が降ってきた。何、これ、と尋ねると、空気砲だと言う。クラブで作ったのだと、ダンボールに穴がひとつ開いた代物を見せてくれた。おずおずと尋ねる。ねぇこれ、何に使うの? ん? 使い道、ない! …。どうするの、これ。とっとくの? うん。すごく邪魔じゃない? じゃぁママ、棄てろっていうの? い、いや、すぐ棄てろとは言わないけれども、でも、やっぱり邪魔だと思うよ、この狭い部屋の中。…。んー。いや、だから、すぐに棄てろとは言わないけれども、いずれ棄ててもいい? 私が気がつかないように棄ててね。わ、わかった。
久しぶりに友人と会う。外国旅行から帰って来た友人は、少し寂しそうな顔をしていた。多分、旅がそれほどに楽しく充実したものだったんだろう。今度いつ外国にいる友人に会えるんだろう、と涙をほろほろと零した。私は彼女の声に耳を傾けながら、何も言えない、と思った。
西の町に住む友人から手紙が届く。どうして私ばかりが失っていくのだろう、どうして私ばかりが大切なものを失っていかなければならないんだろう。そんなことが書いてあった。私は何度か読み返し、その手紙を閉じた。今、私は何の言葉も返すことができない、と思った。そして思い出す。自分がそう思うしかできなかった時期が在ったことを。周りの人たちに比べて、自分ばかりがどうして、と思った。どうしてこんな目に遭わなければならないんだろう、と床を叩いた。どうして、どうして、どうして。そうしか思えなかった。
今ならどうなんだろう。今も、他人と自分とを比べてしまったら、どうしてなの、と思うことはある。だから、他人と自分とを極力比べないようにしている。比べてしまった途端に、まるで蜘蛛の巣にかかった蝶のように、がんじがらめになってしまう、そんな気がする。
そういったマイナスの感情は、まさにその言葉どおり、私をがんじがらめにする。身動きがとれなくなるほど、ぎゅうぎゅうに私を縛り付けてくる。そうして悲鳴を上げるしか、術がなくなる。それを繰り返すしかなかった時期もあったけれど。今はもう、それさえ疲れた。そうすることさえ、今は憚られる。
私の左腕、夥しい傷痕を何となく眺める。皮膚がでこぼこになるほど切り刻んだ腕。そのために失ったものの数の多さ。省みると、悲しいという言葉さえ出てこなくなるほど、しんしんとした穴がそこに在る。それは底なしの穴で、行き止まりというものがないような穴で。どこまでもどこまでも、吸い込まれてゆくだけの穴で。だから、私はここで踏ん張って、自分の足で踏ん張って、とどまるしか、ないと思う。

お湯を沸かし、生姜茶を入れる。ふわふわと白い湯気の立つマグカップを持って、椅子に座る。開け放した窓の外、さぁっと流れるような音。ふと見れば、細かな雨が降っている。にわか雨だろうか。すぐ止むような気がする。今日はきっと、こうした細かな雨の繰り返しのような気がする。
そう思って天気予報を見ていると、昨夜知人の町が水に浸ったというニュースが流れる。大丈夫だったろうか、友人に連れられて走ったことのある街並みがテレビの向こう、流れている。ここからそう遠くないところに友の家は在ったはず。ふと横を見ると、娘も起き上がってきてテレビを見ている。これ、Gさんとこの街? そうだよ。Gさん大丈夫なのかな。うーん、どうだろう、大変なことになっていなきゃいいけどねぇ。ママ、ここって高台? この部屋? うん。そうだね、高いところに立ってるね。じゃぁ水浸しにはならない? うん、よほどのことがない限り、大丈夫だと思うよ。よかった。…。
お香に火をつける。ぷわんと漂ってくる懐かしい香り。それと一緒に煙草にも火をつける。煙がふわふわと、窓の外に流れ出してゆく。やはり外の雨はじきに止みそうだ。

「生きていながら死ぬことは可能でしょうか。ということは、死んで無になるという意味なのです。すべてのものがより以上のものになろうとしたり、またそれに失敗したり、すべてのものが出世し、到達し、成功しようとしているような世界で生きていて、果たして私たちは死を知ることができるでしょうか。すべての記憶を清算することはできるでしょうか。それは事実や、あなたの家の道順などについての記憶のことを言っているのではありません。それは記憶を通しての心理的な安全に対する執着や、あなたが今までに蓄積し貯えてきた記憶で、その中にあなたが安全や幸福を求めているような種類の記憶のことなのです。そのような記憶をすべて清算して片付けてしまうことはできるでしょうか。ということは、明日新しく生まれ変わるために、毎日毎日死んでゆくという意味なのです。そのときに初めて、私たちは生きていながら死を知ることができるのです。そのような死と、持続の終焉の中にのみ新生と、永遠のものである創造が生まれるのです」

ママ、もう時間だから行くよ、了解、気をつけてね、朝練頑張って。うんうん、じゃあね! 手を振って別れる。玄関。
娘を見送った後、簡単なお弁当を作って、私も家を出る。雨に濡れてもいい格好で、自転車に跨り走り出す。
坂を下り、信号を渡ると公園が目の前に現れる。鬱蒼と茂った緑が、もはや垂れ下がるほど。公園の片側を取り囲む紫陽花は、もう半ば枯れかかってきており。茶色くなったもの、白茶けたもの、それぞれにまだ紫陽花の樹にくっついている。紫陽花の花というのは不思議だ。ぽとりと落ちるわけでもなく、はらはらと花びらが散ってゆくわけでもなく。その丸い形のまま、長いこと枝にくっついている。冬、この公園を歩いていると、幾つものそうした枯れて乾燥しきった紫陽花の花殻に出会う。
公園を通り抜け、大通りを渡り、高架下を潜って埋立地へ。低く垂れ込めた雲は、もくもくと海の向こうまで続いているかのようで。私はその下を、ただ真っ直ぐに走る。
プラタナスの並木道。この時間は仕入れの車しか通らない。その道をただ真っ直ぐに走ってゆく。プラタナス独特の幹の具合を横目に流し見ながら、私は走る。
あそこの角を曲がれば、ヘリコプターの発着地。いつか娘を乗せてやりたいと思っている。いつになるか分からないけれど。私も娘も高いところが大好きだ。たった十分の飛行であっても、きっと楽しいに違いない。
その発着地の脇を通り過ぎ、さらに私は走る。
さぁ、今日も一日が始まる。


遠藤みちる HOMEMAIL

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