2010年07月02日(金) |
目を覚ますとまた夜中過ぎ。これが夜明け前ならどれほどいいだろうと溜息をつく。寝返りをうとうとした途端、娘の足に顔を蹴られる。どうして顔を蹴られなけりゃならないわけ、と見やれば、娘はまた、すっかり回転して、私の顔の隣に足を放っていた。毎晩毎晩、こう回転して、よく疲れないなぁと感心する。しばらく迷って、頓服を一粒、口に放り込む。昨日殆ど眠っていないのだから、眠らないと体がもたない、と思った。 しかし、そういうときに限って、眠りが全く訪れない。困った。私は再び起き上がり、とりあえず椅子に座る。これもまたとりあえず、煙草を一本、吸ってみることにする。音楽を流そうと思ったら、とんでもない、音楽データがすべて飛んでいる。参った。なんだか散々な目にあっている気がしてならない。バックアップはいつしたんだっけか、と思いながら、恐らく一年以上古いんだろうバックアップデータを取り込む。 そういえば昨日娘が、男の子を連れて帰って来た。学校の宿題で、動物園まで行って写真を撮ってこなくちゃいけない、その係になった、という。男の子はいきなり、手に持っていたとかげ君を披露してくれる。一瞬ぎょっとしたが、まぁかわいくないわけではない。よく見るとしっぽが切れている。そして彼は虫かごも手にしている。どうも今捕まえたわけではなく、前から育てているようで。とかげを育てるってどういう気分なんだろうと、私はあれこれ想像する。すると娘が、それに競うかのように、ハムスターたちを次々持ってきて彼の手に乗せてゆく。なんだかここ自体が動物園なんじゃないかと私には思えてくる。久しぶりに、わーきゃー言う子供の甲高い声を、間近に聴いている気がする。娘に兄弟がいたら、こんな感じなんだろうか。 娘たちが出て行ったのとすれ違いに、弟が再びやって来る。スーツ姿の弟を久しぶりに見るなぁという気がする。私がまだ実家で一緒に暮らしていた頃とは体つきの全く異なる、厳つい男がそこに在り。なんだかちょっと笑ってしまった。私は頼まれていた仕事の結果を見せる。弟はそれに目を通しながら、同時に、次々携帯電話にかかってくる電話を受けている。ひとりで起業するというのはこういうことなのかと、私はしばらく感心しながら彼の姿を眺めていた。 西の町に住む友人の、声がまた出なくなったのだという。声が出ないと電話にも出られない。伝達手段が本当に限られてしまう。一人暮らしの彼女は今、大丈夫なんだろうかと酷く気がかりだ。私たちの病気は、突如こうしたことが起こる。突然声が出なくなったり、視界がカラーからモノクロに突如変わってしまったり、耳が聴こえなくなったり、倒れたり。ばたんばたんと、しょっちゅうひっくり返っているようなものだ。おかげで生傷が絶えない。私も今、この間ひっくり返った時の痣が、大きく太腿に残っている。頭を打たなくてよかったと、つくづく思う。これ以上頭が悪くなったり、記憶喪失にでもなったらたまったものじゃない。 それにしても。どうしてこう、気がぴんと張り詰めているのだろう。休まるところが今、ない、そんな感じがする。こうして椅子に座っていても、ざわざわと体のどこかがざわめいている、そんな感じだ。 嫌な感じ、というわけではない。なんだかやけに久しぶりに、こういうざわざわ感に覆われている、そんな気がする。ただ、このままだと私ももういい歳だ、体がもたない、そう思う。 気づけば外はほんのり明るくなってきており。私はもう眠るのは諦めて、ベランダに出る。大きく伸びをして、ついでに深呼吸もしてみる。紺色の水彩絵の具を水で溶いて、画用紙にさっと伸ばしたら、こんな色味なんじゃなかろうかと思いながら空を見上げる。でも、雲は相変わらず空を覆っており。いくら凝視しても、雲が消えるわけでもなく。私はラヴェンダーのプランターの脇にしゃがみこむ。 デージーが一輪、どうも咲いたようだ。正直、この花はよく分からない。これが花のできあがりなんだろうか。それとももっと花が大きくなるんだろうか。大きく強くなるんだろうか。私は首を傾げる。なんだか、蝶の幼虫のを見ている気がする。鼻頭を触ったらにょきにょきっと出てくるあの角のような。この花も私が指で突付いたら、もっとにょきにょきっと大きくなるんじゃなかろうか、そんな気さえしてくる。 ラヴェンダーは、やはりもう一本が、枯れ始めている。茶色くなっている部分が、徐々に徐々に広がっていっている。私は大きく溜息をつく。六本挿したうちの二本が、これで駄目になったということか。 ミミエデンの、二輪目が綻び始めた。先っちょがぽろり、零れ出している。よかった、よくここまで頑張ったね、私は心の中声を掛ける。病に冒されながら、それでも咲いた花。確かにとても小さくて、姿はぼろぼろだけれども。でも、ちゃんと咲いたのだ。偉いよ、君。私は指先でそっと花を撫でてみる。もう少し綻んだら、早速切ってやろう。そして、病んだ葉を全部、整理してやろうと思う。 ベビーロマンティカもまた一輪、咲いた。今ちょうど見頃だ。ぽっくり咲いたその花。耳を澄ましたらさわさわとおしゃべりの声が響いてきそうな、そんな気配がする。今日帰ってきたら早速切り花にしてやろう。私はそう決める。よく見ると、またあちこちから新芽を出している。よくもまぁこんなに、次々変化していくものだと、私は改めてその樹の姿を眺める。そんな私を、樹がくっくっくと笑っているかのような気がする。 マリリン・モンローとホワイトクリスマス。しばし沈黙の時間。そろそろこのプランターには水を遣ってもいいかもしれない。病葉も落ち着いてきた。今日の夕方には水を遣ろう。 パスカリたちは、一本はまた沈黙し、もう一本は、細いながらも枝葉を伸ばしている。同じ種類、同じ条件だというのに、何でこんなにも育ち方が違うんだろう。まるで人間の子供のようだと思う。その樹がもともと持っている性質が、そうさせているのかもしれないなんて思ったりする。 私と弟の差は、何処で生まれたんだろう。やはり生来の気質なんだろうか。幼い頃、弟はとても臆病な子供だった。外出するとき、母のスカートの中に顔を突っ込んで、外に出てこない、そんなことも多々あった。どうにかこうにか歩き出しても、絶対に母のスカートから手を離さない、そういう子供だった。一方私は、母の声などお構いなしに、あちこちきょろきょろしては走り出す、そういう子供だった。外見的には、私たちにはそういう違いが、もともとあった。 父母からの精神的な虐待に晒され、弟はでも、歪みながらも逞しく育っていった。一方私は。見かけは強く見えるのに、中身は酷く脆い、そんなふうになってしまった。今日弟を眺めながら、私は、私たちの違いって何処にあったんだろう、と改めて考えていた。いや、考えてもそんなこと、答えなど出ないものだと分かっていたけれども。そして、今私は弟に対して、何ができるんだろう、とも考えていた。何を返してやれるんだろう、と。
ねぇママ、ママってさ、誰かのことは心配するけど、自分のことって大丈夫大丈夫って言うよね。なんで大丈夫なの? へ? だから、なんで自分だけ大丈夫なの? う、うーん、いや、大して理由はないんだけれども。どうしてかなぁ、まぁ自分なら何とかやっていけると思うからじゃない? じゃぁなんで、たとえば友達のこととかはいっぱい心配するの? 友達も大丈夫じゃないの? …。それはね、ママは友達を、いっぱい失ってきているからだと思う。ママの友達は、いっぱい自殺していったりしてるから。そういうことかぁ。まぁ、そういうことだね。じゃぁなんで、自分は自殺しないと思うの? はっはっは、ママが自殺してもいいの? いや、よくない。よくないでしょ? うん、よくない。ママも昔はさんざん自殺しようって試みたことはあったけど。まぁ全部失敗したってことだぁね。ママ、そこ、笑うところじゃないと思うけど。いや、笑うところだよ、失敗したんだから。失敗って笑えること? いや、笑えることと笑えないこととあるけど、ママのそういう失敗は、もう笑い飛ばしていいくらい時間が経ったってことだよ。ふーん。 ねぇママ、今テレビでさ、「俺たちの運命は俺たちが守る!」って言ったけどさ、それって当たり前のことじゃないの? はい? 当たり前じゃん、自分の運命は自分で守るって。なんでわざわざこんなこと偉そうに言うのかなぁ。ははははは、それはテレビだからだよ。多分きっと。変なの! 変だね。 自分の運命は自分で守る。娘がそれを、当たり前のこととして考えているとは思ってもみなかった。思わず、私は、テレビを眺めている娘の横顔に見入る。そして、ふと微笑む。よかった、君がそういう思いを持っていてくれて、と。
「もし私たち双方がその問題の論点(それは問題そのものの中にあるのです)を発見しようとするならば、またもし両者がその問題の根底まで突き進み、その真相を発見し、あるがままのものを見い出そうと強く熱望しているなら、そのとき私たちは結ばれているのです。そういうとき、あなたの精神は鋭敏であると同時に受動的であり、この中に含まれている真相を知ろうとじっと見張っているのです」「受動的に見張っている精神の敏捷な柔軟性があるとき、確実に理解が生まれるのです。そのとき精神は受容する力があり、敏感になっているのです」「私たちの関係を理解するためには受動的な凝視がなければなりません」「関係の全体を凝視していることが行為なのです。そしてこの行為から真の関係の可能性と、その関係のもつ深遠さと意義を発見し、愛とは何かを知る可能性が生まれてくるのです」
じゃぁね、それじゃぁね。娘がゴロを抱いて私に差し出す。ゴロを撫でてやろうと体を触ったら、ゴロがまた大きくなっていることに気づく。ねぇ、ゴロ、またおデブになったんじゃないの? 違うよ、ゴロはね、筋肉なんだよ、だってミルクと重さが違うもん。そ、そうなんだ。うん。違うの! わかった、じゃぁね。うん、それじゃぁね。 階段を駆け下り、バスに飛び乗る。混みあうバスの中、ぼんやり外を眺める。何となく世界全体に、霧がかかっている、そんなふうに見える。 駅に着き、バスを降りる。駅を横切り、川の方へ。ふと川を覗き込んでぎょっとする。なんでこんなに水母がいるんだろう。いたるところ、水母だらけだ。ふわふわふわふわ、水に漂う水母。それだけこの川の水が海に近いということなんだろうか。それにしても。川を泳ぐこんなに夥しい数の水母を、私は初めて見た気がする。その水母の横を、魚がすいっと泳いでゆく。 さぁ今日も一日が始まる。私は水母に小さく手を振って、また歩き出す。 |
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