見つめる日々

DiaryINDEXpastwill HOME


2010年06月30日(水) 
起き上がり、窓を開ける。湿った風がさぁっと部屋に流れ込む。私はベランダに出て、大きく伸びをする。空にはうねうねとした雲が広がっている。鼠色の雲。雨雲だ。すぐにでも雨が降るんだろうか。それとも今日は晴れ間は見えるんだろうか。所々、雲の切れ間から漏れ出ずる光。鼠色の雲の向こうに、白い輝かしい雲がぽっこり浮かんでいるのが見える。
しゃがみこんで、ラヴェンダーのプランターを覗き込む。五本のうち、弱々しいのが一本在る。新芽を出してはいるのだが、背丈が全然伸びてこない。他のものたちはみんなそれぞれ、葉を伸ばしているというのに。でも、枯れるという気配は今のところはない。
デージーの丸い粒はやはり花芽だった。凝視すると、細かく細かく、円を描いて花びらが出てきているのが分かる。こんなに小さな丈で、もう咲いてしまうのか。不思議な気がする。そういえば、私はこういった草を育てたことがなかった。だから不思議な気がするのかもしれない。なんて小さな花なんだろう。これはどのくらい大きくなるんだろうか。それともこの程度の大きさのままなんだろうか。
ミミエデンは、二輪目も咲こう咲こうと頑張っている。ピンク色の中心を持つ、外側が白い花。まさに結婚式のブーケにぴったりな花だと思う。病を患っていなければ、もっとしゃんと咲けただろうにと思うと、悔やまれてならない。本当は昨日のうちに花芽を切り落としてしまおうと思っていたけれど、二輪目が咲くまで、待つことにする。せっかくここまで頑張っているのだもの。
ベビーロマンティカの花は綻び始めており。今日もし陽射しが出れば、きっと開くんだろうと思う。今朝もベビーロマンティカは、ぺちゃくちゃとおしゃべりをしている。さんざめく小さな笑い声。また新芽をあちこちから吹き出させ始めた。ベビーロマンティカは、沈黙の時期がないんだろうか。こんなに次々変化があって、大丈夫なんだろうか。私はちょっと心配になる。
マリリン・モンローは沈黙しながらそこに在る。ついこの間まで新葉だったものたちも、今ではすっかり古い葉たちと同じ色合いになってそこに在る。病葉が幾枚かあるけれど、この程度の斑点なら、しばらく放っておいても大丈夫だろう。
マリリン・モンローの隣で、ホワイトクリスマスはしんしんとそこに在る。今、マリリン・モンローがちょっと茂りすぎていて、ホワイトクリスマスの領分を侵し始めている。今度枝を詰めようか。どうしようか。私はちょっと迷う。
パスカリの、病葉を四枚、摘む。もう歪んで、粉も噴いていて、どうしようもなかった。ごめんね、心の中でそう言いながら、私は摘んでゆく。奥からまた、新たな新芽が顔を出し始めているのに気づく。今のところ形に歪みはなく。このまま健康に開いてくれればいいのだけれど、と、私は祈るように思う。
ふと気づくと、さぁっと雨が降り出した。私は慌てて部屋の中に入る。アスファルトが瞬く間に濡れてゆく。街路樹の緑が雨粒を跳ね返してる。トタン屋根に弾き返される雨粒は、まるで音楽を描くかのようにとんとんと跳ねている。なのに、雨雲の所々が切れて、向こう側に水色の空が見える。

久しぶりに行った美容院で、開口一番、伸びましたねぇ、と言われる。そんなに伸びただろうか、前髪は確かに伸びて、邪魔になっている。と言うと、いやそれが、普通の長さなんですよ、と笑われる。どうも私は、前髪は短い方が好きらしい。目にかかるのが苦手なのだ、邪魔で邪魔でしょうがない。睫に髪の毛がひっかかると、気になって仕方がなくなってしまう。
本の話になる。あの本、もう読まれました? あぁ、出てすぐに読んだよ。やっぱりなー、読んでるだろうと思ったんですよ。私も読んだんですけど、なんか、痛いですね、あれ。痛い? いじめられっこもいじめっこも、両方、あぁこれ、現実にあるんだろうなっていうのがすごく伝わってきて、痛いんですよ。あぁ、なるほど。最後の展開は、現実にはないんだろうなって思ったけれども、それ以外のっていうか、そこまでにいたる過程は、もしかしたらこの現実の世界に、ごろごろ転がってるんじゃないかなって思ったら、ちょっと怖くなりました。うんうん、そうだね、ごろごろ転がってると思うよ。やっぱりそう思います? うん、思う。
高校時代って、どうでした? 私の高校時代? はい。私、高校ひとつ辞めてるんだよね。あ、そうなんですか? うん、友達が自殺したの。あちゃ。それに絡んで、いろいろあって、辞めて、新たに受験し直したんだ。だから高校は四年間やってる。そうだったんだー。どうしてその子、死んじゃったんですか? いじめ。いじめだけで死んじゃったんですか? そうだね、うん。そうなんだ…。やっぱりそういうことって、あるんですね。って、ないと思ってた? いや、ニュースではよく聴くけど、身近にはなかったから。そうなんだ、それは幸せだったかもしれないね。私の周りには、たくさん死が在ったよ。そうなんだー。
そんなこんなでおしゃべりしているうちに、髪の手入れは終わり。短くさっぱりした前髪は、ちょっと揃いすぎている気がしないでもないが、まぁこんなもんか。私は手を振って店を後にする。

弟から連絡が入る。打ち合わせをしたいとのこと。一通りのことを聴いて、電話を切る。言われたことをとりあえず調べておいて、あとは当日話を聴いてみればいいだろう。私は自分にできることとできないこととを書き出して、できることだけ済ませておくことにする。
弟に会うのはどのくらいぶりだろう。もう忘れた。去年の秋頃だったかもしれない。もっと前だったかもしれない。やつれて、苛立っていて、見ているのが辛かった。その頃の弟とはまた違った弟に、明日は会えるはず。そんな気がする。

ふと、棚の端に掛けてあるラックの中の、白い封筒が目に付いて手を伸ばす。それは、すっかり忘れていたが、大叔母が亡くなった折の写真だった。大叔母の葬儀は本当に素敵だった。身内が肩寄せあって集まり、大叔母の昔話で盛り上がった。泣いたり笑ったり、みんながそうして、身を寄せ合っていた。あんな葬儀は、もうないだろう。
この写真たちはみんな、大叔父が撮ってくれたものだ。そして後日、大叔父が短い手紙を添えて送り届けてくれた。その大叔父はもう、いない。

ねぇママ、私、今年、リレーの選手にも応援団にもなれなかった。そうなの? リレーの選手さ、私、この前足に豆ができてたでしょ、だから痛いなって先生に言ったら、走るのやめときなさいって言われてさ。そしたら、知らないうちにリレーの選手、決まってた。私、走ってないのに。そうなの? うん。…。応援団もさ、前にやったことある子ばっかりがやるんだよ。どうしてなんだろう。…。そんなのつまんないよね。そうだね、つまんないね。なんかやだな。うん、やだね。
ママ、どうして公平にやらないのかな。そうだねぇ、どうしてやらないんだろう。公平にやらなきゃずるいよ。うん、ママもずるいと思う。あなた、それ、先生にちゃんと言ったの? ううん、先生、もう聴いてないもん。決まったことだから、って。そっか。ママも先生に文句言わなくていいからねっ。あ、分かった。本当にいいのね? うん、いい。もう、いい。そっか。
ふと、小学生の時の、図画工作展の時の先生とのやりとりを思い出す。私の目の前で私の絵を破って棄てた先生のことを。あれ以来私は、絵を描くことを止めた。
娘にとってそんな体験が、できることならなければいい。私は祈るように、そう思う。

お湯を沸かし、お茶を入れる。生姜茶。そうだ、今日はお弁当を作らなくちゃいけない。おかずは何にしよう。冷凍庫を探る。あぁ、ミニ春巻きがあった。あれを三つくらい入れて、野菜はブロッコリーを昨日茹でたからそれを使って。デザートには娘のご注文のみかんの缶詰を入れて。あとはおにぎりとゆで卵でいいか。まったく、いつとってみても、適当弁当だなぁと思う。でもそれを、文句も言わずに食べてくれる娘に、私はただただ、感謝。

なんかねぇ、ママの周りで恋の花がいっぱい咲いてるみたいだよ。そうなの? うん、そうらしい。いいねぇいいねぇ。いいねぇって、ママはどうなのよ! ママは、全然だねぇ。全然だねぇって笑ってる場合じゃないよ! しっかりしなさいよ! しっかりしなさいってったって、相手に出会わなきゃ、何も始まらないよなぁ。出会いがないよ、出会いが。ママってほんと、だめだよねぇ、そういうところ。そんなことしてるうちに、私が大きくなって、ママ一人になっちゃったらどうするの? 寂しくないの? そりゃ寂しいだろうなぁ。その時のために、ちゃんと恋人ぐらい作っておいてよね! あ、はい、すみません。まったくもー! はいはい。

じゃね、それじゃぁね、手を振って別れる。さっき降っていた雨はさっとやんでくれたらしく。私は、思い切って自転車で出かけることにする。久しぶりに乗る自転車。勢いよく漕ぎ出す。
風を切って走るのが気持ちいい。そうこうしているうちに、公園へ。公園の紫陽花は気づけばもう、枯れ始めているものもあり。早いものだ。私が展覧会をしている間に、もうこんなふうになってしまうなんて。
池の縁に立てば、鬱蒼と茂る茂みの真ん中、ぽっかりと空いた口から空が見える。ちょうどぱっくり割れた鼠色の雲の向こうから、陽光が降りおりてきて、池の水をきらきらと輝かせている。
よく見ると、池の中、蠢くものが。あぁ、おたまじゃくしだ。私は思わず笑顔になる。今年も会ったね。こんにちは。心の中、挨拶をする。群れて泳ぐおたまじゃくし。この中のどれほどの者が大人になりきれるんだろう。
大通りを渡り、工事中の高架下を潜り、埋立地へ。銀杏並木ももうすっかり茂って、道は影になっている。点滅している横断歩道、勢いよく渡りきり、私はさらに走る。
さぁ今日も一日が始まる。雨雲の向こうにはきっと、陽光が燦々と降り注いでいるはず。


遠藤みちる HOMEMAIL

My追加