見つめる日々

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2010年06月28日(月) 
何度か夜中に目を覚まし、そのたび起き上がる。湿気が酷くて、空気が重たく感じられる。それが体に纏わりついて、なんとも気持ちが悪い。娘は大丈夫なんだろうかと横を見れば、まさに文字通り、大の字になって眠っている。その寝顔を見て、何だろう、妙に安心する。私が眠れなくても、彼女は眠っていて、ちゃんと世界は回ってる、そんな気がした。それだけでもう、十分なような、そんな気がした。
実は半月前から、友人たちと計画していた今日。娘を何とかしてディズニーランドに連れて行ってやれないか、という計画。それが実現する。私は病院で、一緒に行くことはできないが、私の親しい友人二人が、娘を連れて行ってくれる。直前まで何処へ行くかは秘密にしてある。さて、行き先が分かったとき、彼女はどんな顔をするんだろう。
椅子の上に体育座りしながら、煙草に火をつける。半分開けた窓から白い煙がゆらゆらと流れ出てゆくのを眺めながら、私はぼんやり昨日のことを思い辿る。
告別式の後、一枚の写真が、私の手元に残った。それは、亡き祖母と亡き大叔母とが写った古い写真だ。祖母はもうその頃病んでいたのだろう、そういう顔をしている。それでも、私の知っている祖母の顔だった。大叔母はまだ、病などどこぞといった明るい表情で、二人で肩を組んで写真に収まっている。色褪せた写真。見つめるほどに、涙が零れてきそうになった。でも、零れ落ちることはない涙。
舌癌を患っている叔父は、もうじき放射線治療が一段落するのだという。腫れて黒ずんだ頬が痛々しかった。それでも、大叔父の棺を囲んで明るく振舞う叔父の姿に、私は何処か、励まされていた。
友人の葬式は、密葬ということで。どうせ病気を患っていたのだから、と、まるで恥ずかしいものを隠すかのようにして済まされた。どうして病気であることがそんなに恥ずかしいのだろう。それよりも、彼女が長い間、近親姦で苦しんでいた、その事実の方が、重いはずじゃぁないのか。そう、彼女は長いこと、父親からの近親姦で苦しみぬいていた。何処へ逃げても、何処へ隠れても見つけ出され、餌食にされるのだと、とぼとぼと話していた。私が暗闇は怖いと言ったとき、彼女は逆に、暗闇の方がずっと気が楽だ、と言った。それは、自分の姿さえ隠れるほどの濃い闇なら、父親に見つけられ襲われずに済むかもしれないから、という理由だった。母親はその事実をずいぶん昔から知っていながら、何もしなかった。何の助けも出さなかった。そのことで余計に彼女は、苦しんでいた。
私と途中何度か連絡を断った時期があった。それは、「ねぇさんに父さんの手が及んだりしたら、それこそ取り返しがつかなくなるから」と。彼女はそう言って、何度か連絡を断った。
彼女は風俗の仕事をしながら、何とか生計を立てていた。私にはもうこの仕事しかないから、と言っていた。穢れた自分の体なんだから、とことんまで穢れればいい、と思う、と、そう言っていた。そんなふうにして、日々の銭を稼いでいた。
生きて生きて生きて、ここまで何とか生きてきたのに。断たれた命はもう二度と戻りはしない。自殺というのはなんて、暴力的なんだろう、と、改めて思う。暴風雨どころの話じゃない、もっともっと暴力的な何かだ。
今私は、祖母と大叔母の写真と、娘のアップの写真を並べて目の前に置いている。置いて眺めている。そして思う。私は、どうあっても、自ずと死がやってくるその日までは、生き延びてやろう、と。生き延びるのだ、と。

搬出の日。気づけばあっという間に終わった気がする。たくさんの人に支えられての展覧会だった。ありがたいと思う。テキストをゆっくり読み返したいからコピーをしてもらえないかとおっしゃってくださった方もあった。テキストを並べることに関して、最後まで迷っていた自分にとって、それはとても嬉しい言葉だった。
これは新作ですか、と期間中よく尋ねられた。私はその言葉に戸惑った。初めて並べるものもあれば、一度並べたことのあるものもあったりした。でも、私にとってはどれもこれも、新しいものだった。
もともと私は、すぐに現像プリントしない。何ヶ月か、半年か、フィルムを眠らせておくことがしばしばある。何を撮ったのかもう忘れた頃現像し、そこから新たな作業を始める。
だから、「撮影したのはいつですか」と言われれば、何年前です、と応えようがあるのだが、これは新作ですかと言われたとき、私にとっては新作です、であり、でも世間一般では、新作とはいわないんじゃないか、そんな気がしている。
どうであれ、今回、今までちゃんと飾ることができなかった作品を、展示することができたことは、私にとって幸せなことだった。
会場を貸してくださった方々、展示に携わってくださった方々に、改めてお礼を言いたい。ありがとうございました。

まだ雨が降っている。今日は一日、降ったり止んだりなんだろうか。せっかくの娘のお出かけの日なのに。そう思いながら、ラヴェンダーのプランターの脇にしゃがみこむ。
五本のラヴェンダーは、思い思いに葉を伸ばし、枝を伸ばしてそこに在る。もう、昨日まで在った六本目のことなど彼らは忘れているかのようで。今を必死に生きている様が、ありありとうかがわれる。
デージーも細かな細い葉を茂らせて、こんもりした小さな茂みを作っている。なんだかちょっと、作り物みたい、と思う。植物というよりも、パンフラワーか何かの造花みたいな感じ。
ミミエデンは、病葉に塗れながらも、必死に立っている。二つの蕾が、白い粉を噴きながらもピンク色の花弁をちょろりと垣間見せているのが切ない。どうしてやったらこの病気を治してやれるのだろう。
ベビーロマンティカは、そんなミミエデンをよそに、ひそひそ話を続けている。二つの蕾を中心に、楽しげな噂話に興じているかのように見える。これを見ていると、カミーユ・クローデルのおしゃべりな女たちの彫刻を思い出す。
マリリン・モンローは、切り落とされた花の痕をまっすぐに、それでもまっすぐに天に向けて伸ばしており。ここからこの枝はどうなってゆくのだろう。私はそれをじっと見つめる。
ホワイトクリスマスはその後ろで、しんしんと黙ってそこに在る。まるで私の内奥に沈むものを見透かすかのようにして、そこに、在る。

テーブルの上、向日葵の花と薔薇の花たちとが、それぞれ花瓶に生けて在る。しかし、頂いた薔薇の花の具合が何とも心配だ。何度水切りをしても、くたっとなってしまう。もしかしたら、私の邪気を吸ってしまったのかなぁなんて思ったりもする。そのせいでこんなに元気がなくなってしまったんじゃなかろうか、と。

ねぇママ、今日写真撮りに行くの? それとも何処行くの? 娘は朝からずっとその問いを私にぶつけっぱなしだ。そのたび私は、うーん、うーん、と流している。いい加減教えてよぉ、と言う娘に、さらに私は、うーん、と応える。
私は心の中呟く。一緒に行けないママを赦してね。みんなと楽しんで来てね。そしてお土産話をいっぱい聴かせてちょうだいね、と。

「生きていることは関係していることであり、関係がなければ生活はありえないのです。孤立して存在できるものは何一つありません。そこで精神が孤立を求めているかぎり、そこに必ず恐怖が生じるのです。恐怖は抽象概念ではなく、何かとの関係の中にのみ存在するものなのです」「恐怖をひき起こすものは、その事実についての私の不安なのです。その事実がどういうものであり、どういう作用を及ぼすかということについての私の不安なのです」
「それでは過去のものと同一化したり、命名したりせずに、その感情をただ見ることはできるでしょうか。感情に持続性と力を与えるのは、その感情に命名することなのです。あなたが恐怖と呼んでいるものに名前をつけたとたんに、あなたは恐怖を強化してしまうのです。しかしもしあなたが命名しないでその感情をただ見ることができるなら、あなたはその感情がひとりでに消えてなくなってしまうのに気づかれるでしょう」「もし私たちが恐怖から完全に自由になることを望むなら、言語化、象徴やイメージの投影、事実の命名などの全体の過程を理解することが必要なのです。言いかえれば、自己認識があるときにのみ、恐怖から自由になることができるのです。自己認識は知恵の始まりであり、それが恐怖を断ち切ってしまうのです」

集合場所の駅地下で、友人の姿を見つけた途端、娘は走り寄り、友人に抱きついた。友人は、これからデートだよ、とおちゃらけている。バス乗り場の近くまで三人で歩き、別れる。じゃぁね、と私が言うと、娘の心はもう何処かへ飛んでいった後だったのだろう、うんうん、とだけあっけなく言って、先に進んで行ってしまった。私はその二人の姿を見えなくなるまで見送る。
私は私で、やらなければならないことが山積みだ。しかと歩いてゆかねば。そう思い顔を上げた瞬間、陽射しがさぁっと降り落ちてきた。あぁ、陽射しだ。
さぁ、今日も一日が始まる。


遠藤みちる HOMEMAIL

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