見つめる日々

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2010年06月27日(日) 
雨の音で目が覚める。なんでこんなに雨の音がはっきり聴こえるのだろう。そう思って窓際に寄ろうとしてぎょっとした。窓を全開にして眠ってしまっていたのだった。慌てて窓を閉める。閉めて、でもやっぱりちょっと外の空気を感じていたくて、少しだけ窓を開ける。
そうだった。昨日は疲れ果てて帰宅して、シャワーを浴びるどころか顔さえ洗わず寝床に突っ伏したのだった。と思い出してはっと気づく。ハムスターたちに餌をあげることをすっかり忘れていた。大慌てで餌の準備をする。と、ミルクもココアもゴロも、待ってましたとばかりに小屋から出てきて、まだかいまだかいと催促の仕草。ごめんねぇと謝りながら私は、ミルク、ココア、そしてゴロの順に餌を置いてゆく。ミルクとゴロはすぐに食べ始めるのだが、ココアはなかなか食べようとせず。こちらを向いて、何かを待っている。そうか、外に出してくれと言っているんだな、と思い、手のひらに乗せてやる。すると、ほっとしたような顔をして、私の手のひらから肩まで一気に上ってくる。私はしばらく、彼女の好きにさせておく。
そういえば顔を洗っていないんだった、シャワーも浴びていないんだったと改めて思い出し、風呂場へ。泥のように溜まっていた疲れが少し、シャワーの水と一緒に流れていく気がする。
お湯を沸かし、お茶を入れる。生姜茶を入れかけて、躊躇う。もう季節柄、店で取り扱わなくなったという生姜茶。残りはあと僅か。でも飲みたい。私はマグカップに溢れるほどお湯を注ぐ。
テーブルには、友人たちから頂いた薔薇の花と向日葵の花と、それから昨日切ったベビーロマンティカ、それからマリリン・モンローの花が所狭しと置いてある。みんなそれぞれに光を放って、そこだけがほんのり明るいように感じられる。
大叔父が亡くなって、一番小さくなったのは父かもしれない。大叔父と父は五つしか歳が離れていない。父は常々言っていた、大叔父は希望の光だ、と。大叔父が元気でいてくれる限り、自分も大丈夫な気がする、と。その大叔父が逝ってしまった。父は、通夜でも淡々とした顔をしていたが、その背中はとても小さく、震えていた。
告別式に参加したのは私と母で、私は何故だろう、母のことが心配で心配で、大叔父への最期の挨拶をすることよりも母のことが心配で、たまらなかった。母は感情を公の場で露にする人ではない。思ったとおり、涙ぐんだのは数回で、それもこっそりと目尻を拭う程度で。でも、母がどれほど悲しんでいるのかは、痛いほど伝わってきた。
何だろう、うまく言えないが、比較的明るい式だった。多分それは、大叔父の人柄のせいなんじゃぁなかろうかと私は思っている。あのおおらかで、明るい大叔父のことを思い出すと、みなが微笑んでしまう。だからこその明るい式だったんじゃぁないか、そう思う。私がムーミンのおじちゃん、と呼んでいる母の兄も、遠い町から駆けつけた。母を支えるかのように立つムーミンのおじちゃんの姿に、私は心強さを覚えた。あぁこれなら母も大丈夫だろうと思った。兄妹というのはこういうものなんだな、と、しみじみと感じた。少し羨ましかった。
滞りなく告別式も終わり、私は駆け足で個展会場へ向かった。正直、心は乱れたままだった。個展会場に着き、そこには店のオーナーがこの春産まれたばかりの赤子を連れてやって来ており。みなが赤子を囲んで微笑んでいた。その光景は、私には少し眩しくて。離れたところから眺めているのがやっとで。
命は巡るのだ、ということを、改めて思った。
私の娘が産まれたとき、実家の犬が息を引き取ったことを、今更ながら思い出す。メリーという雌犬だった。ビーグル犬で、やたらに体が大きく、父とメリーとがしゃがんで並んで撮った写真は、メリーの体の方が大きく見えるくらいで。でも、とてもおとなしい、やさしい犬だった。メリーは老衰で逝った。眠るように息を引き取ったと母から後で聴かされた。私は娘を見つめながら、娘がこうやって無事に産まれてくれたのは、メリーの支えがあったからかもしれない、とその時思った。
雨の中、ベランダに出、私はいつものようにラヴェンダーのプランターのところにしゃがみこむ。全身茶色くなった枝を、そっと抜いた。ありがとうね、ごめんね、そう心の中で言いながら。五本の枝たちは、めいめい枝葉を伸ばしてくれている。今土の中、彼らの足元に根は生えているだろうか。生えていてくれるといい。そう信じよう。
ミミエデンは病葉をあちこちに広げながら、それでも立っていてくれている。蕾の先がピンク色に染まり始めた。あぁこんなにも酷い病にかかりながらも、彼らは花を咲かせようとしているのだ、と思うと、胸がきゅんとした。無事に咲くかどうか分からないのに。それでも必死に、エネルギーを注いでいる。やめようとしない。その命の在り方に、私は涙が出そうになった。
小さな、挿し木ばかりを集めたプランターの中、もうどうにも黒く枯れ果てたものたちを一本ずつ抜いていった。命を繋ぐものもいれば、こうして消えてゆくものも、在る。そのことを、改めて見せつけられている気がした。
ベビーロマンティカは、雨が降っているにも関わらず、軽やかに唄い、喋り、二つの蕾を中心に、笑っていた。二つの蕾も少しずつ少しずつ、花びらの色味を見せ始めており。じきに花開いてくれるのだな、と、そのことが伝わってくる。
マリリン・モンローの、花を切り落とした後の枝は、花が切り落とされたにも関わらず、まっすぐに立ち、空を見上げていた。鼠色の空を。ただ一心に。
その向こう、ホワイトクリスマスは、こんなときもただじっと黙って、そこに在った。幾枚かの病葉を抱えながらも、しんしんと、そこに在った。
日常はすぐそこに在って、すぐここに在って、私を取り囲んでいる。でも何故だろう。私は地上から五センチくらい浮いている気がする。いつもの風景、いつもの光景の中に私はいるというのに。
でも。こういうときだからこそ、毎日のささやかなことたちを、日常を、大切に撫でてゆかねばならない、と思う。こういうときだからこそ。

大叔父が亡くなるのと重なって、友人が亡くなった。私が妊娠していた頃、必死に励ましてくれた子だった。私がつわりで動けないと知れば、何かしら食べれそうなものを送ってくれたり、私が前置胎盤で絶対安静だと知れば、電話をかけてきては何かと励ましてくれた。私がパニックを起こしたりフラッシュバックを起こして苦しんでいるときには、大丈夫大丈夫と言い続けてくれた友人だった。
彼女が送ってくれた長崎ちゃんぽんの麺は、たった一袋だけ、今も食べることができずに残っている。賞味期限なんてもうとうの昔に切れている。そんなことは知っている。知ってるけれど。彼女だって病気だった。その病気の彼女が、必死の思いで外出し、買って、送ってくれたその食糧。最期の一袋だけは、とてもとても、開けられなかった。今も台所の棚の奥、しまってある。
私のことを、ねぇさん、と最初に呼んでくれたのは彼女だった。
彼女が送ってくれたマタニティドレスは、今もきれいに畳んで押入れの奥、しまってある。もし娘がいつか妊娠したときに贈ってやろうと思って、とってある。彼女の手紙はいつも、走り書きのような手紙で。その手紙もみんな、残ってる。
そんな彼女が、とうとう逝ってしまった。
最期に電話を受けたとき、どうして私は気づいてやれなかったんだろう。どうして気づけなかったんだろう。どうして。
今更悔やんでも、もうどうにもならない。
今空を見上げながら、思う。どうかあなたの逝った場所が、美しくてあたたかくて、明るい場所でありますように、と。ただそれを、祈る。

玄関に鍵を閉め、階段をゆっくり降りてゆく。そしてバス停へ。雨がまだ降っている。バス停に立つと、埋立地に建つ高層ビル群が見える。上のほうは雲の中。でもその横に、太陽の光がぼんやりと見える。
やって来たバスに乗り、一番後ろの席に座って窓の外を眺める。日曜日の朝、いつもより車の数も人の姿も少ない。それでももう、街は動いている。
珍しく座れた電車の中。ぼんやりとあたりを眺めるでもなく眺める。本を読む人、ゲームに興じる人、新聞を広げる人、化粧をする人。それもみんな、生きているからできること。
さぁ、今日も一日が始まる。個展最期の日。しかと味わって過ごさないと。私は電車から勢いよく降り、階段をのぼってゆく。


遠藤みちる HOMEMAIL

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