2010年06月23日(水) |
真夜中に目が覚める。どうも目が覚めるのが癖になってきたような気配がしないでもない。寝床の上、ごろごろと転がろうかと思ったら、娘の足が私のお尻にぐいと当たった。ふと見ると、私に対して90度の位置に横になっている。直角を描いて娘と私、布団の上。足の裏をこにょこにょとくすぐってみたがびくともしない。仕方なく、私はそのまま起き上がることにする。 まだ雨は降っていないが、いつ降り出してもおかしくないほどの湿気。明日は雨になるんだな、と思う。街灯がオレンジ色の光をアスファルトに投げかけている。街路樹の緑も今は、暗いオレンジ色に染まっている。 ガラスのポットの中、冷めた生姜茶をカップに注ぎ入れる。一口、一口呑みながら、ぼんやりと天井を見やる。そこには娘がまだ幼稚園の頃に描いてくれたお絵描きが数枚、貼ってある。 その中で一番私が気に入っているのは、どんぐりの親子を描いたものだ。どんぐりの木からどんぐりが落ちてくる。「ぽるぽる どかーん」と言葉が添えてあるその図。そして木の隣には、どんぐりたちが住む三階建ての家があって、ベッドやら机やら、いろいろな小物が描いてある。そして一番端に、一番大きなどんぐりが描いてあって、そこに「どんぐりのおかまさん」と文字が添えてある。いや、これ、多分、どんぐりのおかあさん、と書こうとしたんだと私は思っている。思っているのだが、読むたび、ぷっと笑ってしまう。どんぐりのおかまさんは、どんぐりの子供たちを見守るように、優しい目をしている。 ただそれだけの絵なのだが、私はこの絵が一番好きだ。いつ見ても、心がほっくりとしてくる。描いてくれた娘に、感謝、だ。 再び寝床に戻り、横になる。しかし娘の足が私の領分にまで伸びていて、私は廊下に一番近いところに小さく丸まるしか術はなく。仕方ない。このまま小さくなっていよう。私は丸くなりながら、昨日のあれこれを思い返す。 展覧会会場になっている喫茶店へ行くと、店員さんが一人、ぽつねんとしている。お客さんが珍しくいないらしい。私と店員さんはあれやこれやおしゃべりを始める。そのうち、彼女の心配事の話になり。私はただ耳を傾ける。時折涙しながら話し続ける彼女の声に、ただ耳を傾ける。 私に今できることは、情報提供だけだと思った。知っている情報を幾つか彼女に話す。そのつどメモをとってゆく彼女。それほどに今、そのことで心がいっぱいなのだなということが伝わってくる。少しでも情報が役に立てばいいのだけれども。 そうしてぽつぽつとお客さんの姿。私は約束していた老婦人を出迎える。背の小さな老婦人だが、きっといつも気を張っていらっしゃるのだろう、その姿はとても存在感がある。でも何だろう、今日はちょっと疲れているような気配がする。 向かい合って、お茶を飲んでいると、老婦人が訥々と話し出す。今心に掛かっているあれこれを、訥々と話し出す。だから私は相槌を打ちながらただ耳を傾ける。 こんなにいっぱい心に溜め込んで、さぞ重かっただろうと思った。だからこそ彼女はいつも、背筋を伸ばして、倒れてしまわないようにと気を張っていらっしゃるのだろうということが、痛いほど伝わってきた。 見送るとき、彼女が少し小さく見えた。切なくなった。早く元気になって欲しいと思った。私に祖母はもう生きていない。彼女を見送りながら、祖母のことを思った。祖母が生きていたら、もし生きていたら、こんなふうにあれやこれや抱え込んで、でも祖母だったらきっと、喚き散らしながら走り回っていることだろうな、とも思った。 ふと気づいて窓を開けると、もうすぐそこに雨の気配。もう降りだすな、と思った。私はベランダに出て、大きく伸びをした。そうしてラヴェンダーのプランターのところにしゃがみこむ。まだ、まだ緑色が残っている。新芽の緑色が生きている。一本の枝。ここからどうにか伸びてきて欲しい。私は祈るように思う。他の五本の枝たちも、いつか花を咲かせるくらい伸びてくれたら、いいなぁと思う。 ミミエデンは、昨日薬を散布したおかげなのか、白い粉の具合が一段落している。私はほっとする。これ以上薬を散布したくはない。だからこのまま、病が治まってくれたら。それを願うばかりだ。蕾は小さく二つ、まだ残っている。咲かせてやりたい。どんな小さな花であっても、できるなら咲かせてやりたい。そう思う。 マリリン・モンローは、鼠色の雨雲の下、凛々と立っている。濃いクリーム色の花びら。先が少しばかり綻んできており。もうじきだ、咲くのは。またあの香りを嗅ぐことができるのかと思うと、今から胸がどきどきする。 ベビーロマンティカの蕾は、いつの間にか四つに増えていた。今二つが綻び始めている。萌黄色の茂みの中に、明るい煉瓦色の蕾。その色のコントラストが、鼠色の雨雲の下でも美しく映えている。 パスカリの新芽。二箇所から出てきた。よかった。沈黙が破られたんだ、と思った。またすぐ沈黙するのかもしれないが、それでも、彼女が生きている、そのことが分かってよかった。 と、思っていたとき、ぽつり、雨粒が堕ちて来た。やっぱり降って来たか。私は空を見上げる。途端に顔にぱつぱつと当たる雨粒。どんどん勢いを増してゆく。私は窓を閉め、部屋に戻る。
昨日作ったお弁当を、娘は塾の友達に、クサイと言われたと言っていた。私はそれを聴いて少なからずショックを受けた。何が臭かったんだろう。コロッケと野菜の煮物とパイナップルを入れただけだったのだが。何がいけなかったんだろう。 そうして今朝も私はお弁当を作る。今日はシュウマイと茹で野菜とみかんの缶詰を用意した。あとはゆで卵におにぎり。私は一生懸命鼻をひくつかせて、匂いを確かめようと試みるのだが、よく分からない。何が臭いんだろう、何がいけないんだろう。分からない。頭を抱えてしまう。 そうしているうちに、朝練のある娘を起こす時間になってしまう。私も朝の仕事に取り掛からねば。焦りながら支度をし、娘を起こす。ふぁーい、などという気の抜けた返事が返ってくる。
ママ、今日はプールも特活も、雨じゃおじゃんだよ。娘が泣き声をあげる。娘の後ろから窓の外を見、私も、うん、そうだねぇと返事をする。楽しみにしてたのになぁ、最悪。ママの時なんて、雨でも水があったかければ泳いだんだけどねぇ。いまどきの小学校はそうじゃないからなぁ。えー、いいなぁいいなぁ、私も雨でも泳ぎたいよ、どうせ濡れてるんだから同じじゃんねぇ! うん、ママもそう思う。いいじゃんねぇ! 校長先生に頼んでみようかなぁ。頼むだけ頼んでみたら? 無理かもしれないけどさ。うん、そうする。 ね、ママ、交換日記ってやったことある? 交換日記? あるよー。楽しかった? そうだね、楽しい思い出と、苦い思い出と両方ある。苦い思い出って何? 交換日記に書いたことって秘密でしょ、なのに、相手の子が他の子に喋っちゃってね、それで台無しになっちゃったことがあった。えー、それ、ルール違反じゃん。まぁね、でも、そういうことがあった。どうしよう。どうしようって? 今、交換日記やろうかどうしようか迷ってるの。そっかー。交換日記ってさ、誰が見るか、どこから秘密が漏れるか、分からないからね。それを覚悟でやった方がいいかもしれないね。うーん、なんかそういうの、やだね。うん、やだね。でも、仕方ないよね。うーん。鍵つきのノートとかないのかな。あるよ。そういうノート。そういうのでやったらどう? うーん、どうなんだろう、ママはやったことないから分からないなぁ。そっかー。相談してみるよ。うん、そうだね、それがいい。うん。
「関係というものは恐れのない親交と、お互いを理解し、直接に話し合う自由を意味しています。関係は相手の人と親しく交わるという意味なのです」「愛の中には関係というものがないのではないでしょうか。あなたが何かを愛していて、その愛の報酬を期待しているときに初めて関係が生じるのです。あなたが愛しているとき、つまりあなた自身をあるものに、完全に全体として委ねたときには関係は存在しないのです」「愛の中には摩擦もなく、自他もなく、完璧な一致があるのです。それは統合の状態であり、完全なのです。完全な愛と共感があるとき、幸福で喜びに満ちた稀有な瞬間が訪れるのです」 「関係を理解するためには、まず初めにあるがままのものと、私たちの生活の中で種々様々に微妙な形をとりながら実際に起こっていることを理解することが大切であり、また関係とはどういう意味であるかを理解することが重要なのです。私たちの関係は自己啓示なのです。私たちが安逸の中に浸っているのは、私たちのあるがままの姿を暴露されたくないからです。そのとき私たちの関係は、そこに潜んでいる驚くべき深遠と意義と美を失ってしまうのです。愛があるときにのみ、真の関係が存在するのです。しかし愛は満足の追求ではありません。愛は無私との完全な共感―――それも少数の人間同士のものではなく、最も高いものとの共感―――があるときにのみ存在するのです。そしてこの共感は、自己が忘れられてしまったときにだけ起こるものなのです」
娘を送り出し、私も家を出る支度を整える。一応上着を着てゆくことにする。 階段を駆け下り、通りを渡ってバス停へ。ちょうどやってきたバスに乗ると、むわっとするほどの湿気が充満していた。一番後ろの席に座り、窓の外を見やる。窓が曇ってよく見えないけれど、街のどこもかしこもが濡れている。強い雨。 電車に乗り換え、一時間近く。揺られ揺られながら、会場の最寄の駅へ。 少し前から気になる本屋のポスター。夜行観覧車というタイトルの本。文庫になったら読んでみたい。いや、できるなら今手にしてみたいけれども。今はまだ、やめておこう。 さぁ今日も一日が始まる。傘の合間から見上げる空は鼠色。それでも気持ちの中だけは晴れやかに、歩いていきたい。 |
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