見つめる日々

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2010年06月24日(木) 
真夜中にやはり目が覚める。寝返りを打とうとして逆に娘の足に腰を蹴られる。やられた、と思ったがもう遅い。かなり勢いよく蹴られ、しばらく腰が痺れる。起き上がって、迷った挙句、友人から貰ったハーブティーを入れる。三分待って、三回ティーバックを揺らすのがいいらしい。説明書どおりに入れてみる。レモンの香りのする、でも、口をつけるとほんのり甘いハーブティーのできあがり。
窓を半分開けて、夜空を見上げる。少し風が強い。カーテンがびゅうびゅうとなびくので思い切ってカーテンを開けてしまうことにする。そうして一本の煙草に火をつける。
昨日のことがうまく思い出せない。それほど疲れているつもりはないのだが。そう思いながら、深呼吸してみて、いや、と思い直す。やっぱり疲れているのかも、そう思って苦笑する。明日になったら滋養強壮剤でも一本買って飲もうかしらん、そんなことを考えてみる。
ようやく電話が繋がった友人と話をしたことを思い出す。疲れ果てた声だった。そして、私にさえ怯えているような声が、最初響いてきた。
赤子を、自分の子供と思うことさえできない、そんな自分がいる、と。彼女は言った。子供の世話も何も、親に任せっきりで、何をする気も起きず、今日初めて自分ひとりで外出したのだ、と彼女は語った。私はその彼女の声の様子に耳を澄ます。ねぇさんにも言うことが怖かった、自分の子供なのに愛せないどころか、自分の子供と思うことさえできない、もうこんな子、施設に入れてしまえばいいとさえ言ってしまった、と。彼女はそう言いながら、自分で自分に戸惑っているようだった。もしかしたら、こんなはずじゃなかったのに、と思っているのかもしれない。
母乳をあげることさえ嫌で、母乳を断つ薬を貰ったの。それから病院で安定剤とか貰おうとしたら、もう必要ないみたいなことを言われて。私、どうしたらいいんだろう。彼女はぽつ、ぽつ、と話してくれる。私は相槌をうちながら、それを聴いている。
母乳をやらなければいけない、などというのは、一体誰が考え出したんだろう。それが負担な母親だっているのだ。それがとてつもなく重くて、拒絶するしかない母親だっているのだ。どうしてそれを受け容れることができないのだろう。
そして何より。こうした心の揺れを、誰にも打ち明けることができず、どんどんどんどん追い詰まってゆく、そういう人間の孤独さを、どうしてもっと思いやることができないのだろう。
夫がこの前来ていたのだけれど、犬ばっかり可愛がるの、子供より犬の方が可愛いって。彼女が小さな声でそう話す。おまえだって子供なんて施設に入れてしまえばいいって言ったじゃないかって、そう言われた、と。
彼女の言葉は、ひとつひとつが重かった。重たく、私の中に沈んでいった。
このままもし夫の元に戻ったら、私、子供を虐待してしまうんじゃないか、死なせてしまうんじゃないかって思って。
彼女の言葉を聴きながら、私はじっと、自分の内側を見つめていた。そして、自分のことを思い出してみた。
私は娘に触れることが、最初怖かった。こんなに穢れている私が彼女に触れたら、彼女も穢れてしまうんじゃなかろうか。こんなに汚れている私が彼女に触れたら、彼女も汚れてしまうんじゃなかろうか。そう思って、とてつもなく怖かった。抱くということどころか、触れるのさえが怖かった。
私は産んだ瞬間に、あぁこの子は私とは別物だ、と感じられた。そしてほっとした。よかったと思った。そんな私であってさえ、赤子にいざ触れようとすると、とてつもなく怖かったのだ。
今彼女はどれほどの思いを抱えているだろう。そう思ったら、胸が詰まった。
ねぇさんにこんなこと話すことも躊躇われた。何て思われるかって思ったら、躊躇われて、電話にもなかなか出られなかった。彼女がそう話す。
だから私は彼女に言う。大丈夫だよ、いつでも電話かけてきてね、と。
私は言いながら、もっと他に言葉はないんだろうか、と自分を張り倒したい気持ちだった。でも、下手な言葉など、こんなとき、何も見つからない。言葉なんて陳腐なものだ。不用意な言葉で彼女をこれ以上、傷つけたくもなかった。できるのは、私はここに在て、あなたと繋がっているんだよ、という、そのことを伝えることだけ、だった。
できるなら。
できるなら彼女の元へ飛んでゆきたかった。飛んでいって、彼女をハグしたいと思った。心の底から。でも、今の私には、それは叶わない。
今彼女はどうしているだろう。産まれたばかりの赤子では、夜泣きも酷いだろう。それに振り回されて、へとへとになっていやしないか。自分の思いのたけをぶつける相手が身近に居なくて、必要以上に孤独になっていやしないか。きっとこれからのことを思って途方に暮れているに違いない。そんな夜は、とてつもなく、長い。
徐々に白んできた空を見上げ、私は椅子から立ち上がる。
ベランダに出、大きく伸びをし、深呼吸をする。雨に洗われた街はさっぱりと埃を落としてしんしんと静まり返っている。
しゃがみこんでラヴェンダーのプランターを見つめる。やはり、一本は枯れてしまうようだ。新芽の色も変わってきた。明日にはきっと全身が茶色くなってしまうだろう。ごめんね、私は声を掛ける。せっかくここまで来たのに、生かしてやれなくてごめんね。そして残りの五本を見やる。残りの五本は、思い思いに葉を伸ばし、新芽を伸ばし、育ってくれている。この枯れてゆく一本の分も、元気に生きてほしい。
ミミエデンのうどん粉病の具合は、酷いものだ。薬を散布したものの、葉は歪み、白く爛れている。かわいそうに。私はそっと指で病葉を撫ぜる。せっかく萌え出た新葉の殆どがこうして病葉になってしまった。蕾も白く粉を噴いている。母ならどうするんだろう、こんな時。母なら思い切って切り詰めてしまうのかもしれない。でも。私にはそれができない。明るくなったら母に電話して、相談してみようか。どうするのが一番いいのか。そこまで考えて、ふと、思った。母がいなくなったら。私はこんなとき、どうするんだろう。母がいずれいなくなることなど、当然のことなのだ。今大叔父が危篤であるように。私はぶるり、背筋が震えるのを感じた。
大叔父が危篤だという知らせを受けたのは、昨日、展覧会会場でだ。メールの音に気づいて開くと、母からだった。危篤、とだけ書いてあった。急いで電話をしたものの、母は母であちこちへの連絡で忙しく、あまり話を聴くことはできなかった。ともかくも、大叔父は今危篤なのだ、という現実が、私に圧し掛かってきた。
大叔父と、今は亡き大叔母は、私と弟が父や母から精神的虐待を受けていることに気づいて、直談判に来てくれたような人だった。そのためにしばし縁遠くなったことさえあった。それでも。遠くからいつも、私たちを見守ってくれていた。大叔母は、白血病を患い、それから肝炎を、そして全身に癌を患い、消えるように亡くなっていった。そして今大叔父がまた。
唇を噛もうにも、噛む力さえ沸かなかった。
マリリン・モンローの蕾が、まっすぐに、本当に真っ直ぐに、そそり立っている。あぁ蕾よ、どうか大叔父の命をもう少し、燃やしておいてほしい。私は祈った。おまえのその力を、大叔父に少しでも伝えてほしい。分けてあげてほしい。そう祈った。蕾は綻び始めている。僅かに綻んで、そうして立っている。
挿し木を集めた小さなプランターの中、せっかく葉を広げ始めていた枝が、くてんと枯れている。あぁまただ、と思った。これでもうこの枝はお終いになってしまう。悲しかった。せっかくここまで生きてくれたのに。これは多分、棘が多いからマリリン・モンローの枝だ。あぁ、もし根付いたら、母にあげようと思っていたのに。
ベビーロマンティカは、そんな私の気持ちに気づかぬかのように、明るい色味を見せている。そうして四つの蕾を湛え、小さな笑い声さえ響かせている。そうだ、おまえたちは元気に咲いておくれ。せめてこの雨雲の下、明るい色を見せておくれ。

「他人を当てにするのは全く無益です。他人が平和をもたらすことはできません。どのような指導者も、軍隊も、国家も、私たちに平和を与えてはくれません。平和をもたらすものは私たちの内部の変革であり、それが外部の行動に結びつくのです。内部の変革は外部の行動からの孤立でもなく、回避でもありません。その反対に正しい思考があるときにのみ、正しい行動がありうるのであり、正しい思考がないときには自己認識はありえないのです。そしてあなた自身を知らなければ、平和は存在しないのです」

じゃぁね、それじゃぁね。手を振って娘と別れる。階段を駆け下り、バス停へ。しばらく待ってやって来たバスに乗る。少し混みあってはいるが、後部の座席が空いており、私はそこに座り込む。
今日は雨は降らないと天気予報が言っていた。できるだけ早く帰宅して洗濯しないと。そんなことを考えているうちにあっという間に駅に辿り着く。
何処から集まってくるのか、いつの間にか生まれた人の列に混じって、私も歩く。海と川とが繋がる場所、暗緑色の水が波打っている。鳥の姿はなく、私はそのまま通り過ぎる。
歩道橋を渡り、ふと見ると、左手の方に大きな風車。さすがに橋は見えない。空全体を薄い雲が覆っているせいだろう。
この空の下、今この瞬間、一体幾つの命が交叉しているのだろう。

さぁ今日も一日が始まる。しかと歩いてゆかねば。


遠藤みちる HOMEMAIL

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