見つめる日々

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2010年06月22日(火) 
真夜中ぱっちりと目が覚める。一時間半寝床で我慢したがどうにも眠りが戻ってこない。やはり薬を飲み忘れたのがいけなかったんだろうか。寝返りを打ちすぎて疲れ、とうとう起き上がる。頓服だけでも飲んで、もう一度横になろうと思った。
起き上がってみると、窓ががらりと開いていて仰天する。多分娘が閉め忘れたのだろう。私も確認しなかったのがいけなかった。慌てて窓を閉めようとして、とりあえず半分にする。真夜中に一本くらい煙草を吸ったって、誰も咎めやしないだろう。気休めに一本、吸うことにする。
小さく音楽をかけてみる。Coccoのニライカナイに続けてSecret GardenのElanがスピーカーから響いてくる。今頃どこかで雨が降っているに違いない。そう思わせる、重たい湿った空気。窓の外には星も月も見えない。どんよりした雲が広がっている。
二曲聴き終えた時点で、もう眠るのは無理かなと思ったけれど、再び横になる。体だけでも休めなければ。頭がそう言っていた。
結局ばたんばたんと寝返りを打ちながら、朝を迎える。うっすらと、水彩絵の具の紺色を水で伸ばしたような色合いの空を、窓の向こうに見る。どうしよう、もう起き上がろうか。それとももう少し体を横にしておこうか。迷っている時、からからと回し車の音がした。あれはココアだろうと起き上がる。ココアが一生懸命回し車を回している。おはようココア。私は声を掛ける。ココアはきょとんとした円らな瞳をこちらに向けて、後ろ足で立つ。私は扉を開けて、彼女の頭をこにょこにょと撫でてやる。外に出してもらえると勘違いしたココアは、一気に扉のところへやって来て、背伸びしている。仕方ないなぁと言いながら私はちょっとだけよと断って手のひらに乗せる。サファイアブルーの背中の毛がつやつやと光っている。
しばらくそうしてココアと戯れた後、私はテーブルの上の花を見やる。水切りをしてやらなければと、まず向日葵に手を伸ばす。向日葵が父の日の花だなんて、どうしてなんだろう。父と向日葵は、どうやっても結びつかない。そんなことを思いながら、一本一本水切りしていく。次は薔薇の花瓶に手を伸ばす。白と赤と紫の薔薇。白の薔薇はちょっと弱かったんだろうか、幾つかの花がひしゃげてしまっている。一方赤の薔薇は元気いっぱいだ。紫の薔薇は別の花瓶に生けることにする。
そうしてだいぶ明るくなってきた空の下、ベランダに出る。明るくなってきたとはいえ、雨雲らしい雲が一面に広がっている。朝にしては暗い空だ。街路樹の緑もその灰色さ加減を反映して曇った色をしている。まだ通りに人影はない。行き交う車ももちろんない。
しゃがみこんでラヴェンダーのプランターを見やる。全身茶色くなってしまった枝に、それでも緑の新芽が必死に二つくっついている。この新芽はどうなってしまうのだろう。この枝にくっついて、伸びてくるのか、それともこの枝と同じ色に染まってしまうのか。私はただただ凝視する。凝視したって新芽がそれで伸びてくるわけでもないことは承知の上で。祈るように凝視する。
他の五本の枝たちは、思い思いに枝葉を伸ばしている。改めて見ると、挿し木したその時の、倍以上にはなっているんだろうか。毎日毎日眺めているから、その変化に気づかなかったけれども。一番大きいものは、もう五センチ以上の丈になっている。この枝の下、土の中で、根はどうなっているだろう。ちゃんと伸びていてくれているだろうか。根を食む虫はもう、いないだろうか。
デージーはこんもりとした小さな茂みを作っている。ここに小さな小さな人形や家などを飾ったら、小さな町の出来上がり、だ。そんなことを思う。
ミミエデンのうどん粉病の具合が酷い。悩んだ挙句、もう一度薬を散布することにする。シュッシュッシュッ。薬を噴きかける。弱めの薬を使っているとはいえ、もうこれでおしまいにしたい。他の元気な葉にとっては迷惑な薬だろう。それにしても。新芽が全員うどん粉病になってしまうなんて。あんまりだ。かわいそうに。蕾のつけ根にも白い粉が噴いている。
マリリン・モンローの蕾がすっくと、真っ直ぐに天に向かって伸びている。それはまさに堂々とした立ち姿で。見惚れてしまう。蕾の先の方の色味が現れてきて、濃いクリーム色が見えるようになった。マリリン・モンローは、このたった一輪の花を咲かせるために、どれくらいのエネルギーを費やすのだろう。どのくらいの体力を使うのだろう。人間が子供を産むのと同じくらいだろうか。だとしたら、この薔薇たちは、なんて逞しいんだろう。私にはとても、真似できない。
ベビーロマンティカの蕾、二つが綻び始めた。残りの一つはまだ固く閉じている。明るい明るい煉瓦色が、じきにもっと明るい黄色になってゆくんだ。私は蕾を眺めながら、そのグラデーションに思いを馳せる。
沈黙を続けていたパスカリから、ようやっと新芽がひょいっと出てきた。下の枝の方から、隠れるように。紅い紅い新芽だ。
桃色のぼんぼりのような花を咲かせる樹も、うどん粉病が酷い。私はシュッシュと薬を噴きかける。これで薬を撒くのも最後にしたい。そう祈りながら。

病院で診断書を受け取った帰り道、友人らと食事をする。彼らと出会ったのは私が高校生の頃だった。それから長いブランクを経て、再会した。でも何だろう、彼らがあまり変わらないせいなのか、そんな何十年もというブランクが在ったことを忘れてしまう。もうお互い四十を数える年頃になっているというのに。そう思うとちょっと笑ってしまう。
本当にいろいろなことが在った。いろいろなことを経て、今私たちはここに在る。そうして互いに今の話をしている。それが、何となく不思議でもあり、心地よくもあり。私は彼らの声に耳を傾ける。

帰宅し、しばらくすると娘が帰ってくる。娘が塾の勉強をしている間、私は私で勉強をする。娘は食卓で、私は小さな座卓で。それぞれにノートに向かう。開け放した窓からは湿った風がしゅるしゅると流れ込み、私たちのうなじをそれぞれに撫でてゆく。
ねぇママ、明日ロケット作るんだ。ロケット? あぁ、科学部のね。うん。どんなロケットになるの? 知らない。秘密。なんか最近秘密が多いね、詩のノートも秘密でしょ? 秘密だよっ。まぁ秘密が多くなっていくもんだよね、年を重ねるごとに。ん? いやいや、こっちの話。ママさ、好きな人に振られたことある? はい? 好きな人に振られたこと、ある? 振られたこと、かぁ、うーん、あるようなないような。どっち? よく分かんない。ママが振ってきたことが多いけど、振られたこともなかったわけじゃないと思う。振られたとき、どういう気持ちだった? そりゃ悲しかったと思うけど。どのくらい悲しかった? その時は、そうだなぁ、この世が終わっちゃうみたいな悲しみだったと思うよ、多分。でも生きてるよね。ははは、そうだね、その時はとてつもない痛みに思えても、少しすると、だんだんと悲しみも薄れてゆくんだよ。神様は悲しみをそういうふうに作ったんだよ。ふーん。なに、あなた、振られたの? 秘密っ! そうか、秘密か。うん。まぁ悲しかったり嬉しかったり、いろいろあって面白いのよ。そうかなぁ。うん、そうだよ。楽しいだけだったら、楽しいに馴れちゃって、楽しいことが楽しくなくなっちゃうかもしれないじゃない。ふーん、そういうもんかなぁ。ママはそう思うよ。私は楽しいことばっかりの方がいいけど。ま、そりゃそうだよね。でも、いろんな気持ちを味わっておいた方が、いろんなことを感じられるよ。ふーん。そういうもんかなぁ。うん、そういうもんだよ。ふーん。

お湯を沸かし、生姜茶を入れる。友人から頂いたハーブティーの箱は、まだ開けていない。なんだかもったいなくてまだ飲めない。もうしばらく箱をそのまま眺めて過ごすだろうと思う。
マグカップを机に運び、椅子に座って、煙草に火をつける。とりあえず朝の一仕事を始めようか。窓の外はやはり、薄暗く。湿った風が渡ってゆく。

「凝視は一瞬一瞬働いているものなので、それを練習することはできません。あなたが何か一つのことを練習するとき、それは習慣になってしまいます。しかし凝視は習慣ではありません。習慣的になった精神は感受性に乏しく、また一つの型にはまった行為の中で動かされている精神は鈍感で頑固なのです。それに対して凝視の方は、柔軟性と鋭敏さを要求するのです。これは別に難しいことではありません。あなたが何かに関心を持っていたり、あなたの子供や妻や、あなたが世話をしている植物や木や鳥などを見守ることに興味があるとき、あなたはそれを実際にやっているのです。あなたは非難も同一化もせずに観察しています。それゆえ観察の中には完全な共感が存在するのです。観察している人と観察されているものとの間に完璧な親交が生まれているのです」
「凝視は自我の活動からの解放の過程です。それはあなたの日々の活動、思考、行為、そして他の人たちを注意深く見つめていることなのです。あなたが誰かを本当に愛しているときや、何かに興味をもっているときにのみ、あなたはそれができるのです」
「凝視は、真理が到達できる状態なのです。その真理はあるがままのものの真理であり、私たちの日常生活の単純な真理なのです。私たちがさらに遠くへ進むことができるのは、私たちがこの日常の真理を理解するときだけなのです。遠くへ行くには近くにあるものから出発しなければなりません。」

じゃぁね、それじゃぁね、ペットボトル持って行くのを忘れないようにねっ。はいはいっ。そう言って私たちは手を振って別れる。
ゴミを出し、そのままバス停へ。ちょうどやって来たバスに乗る。昨日より混みあってはいないバスの、一番後ろの席に何とか座り、私は車窓を見やる。このあたりも随分変わった。数年のうちにどんどん変わってゆく。いまに空き地なんて、何処にもなくなってしまうんだろう。今空き地には、色とりどりの雑草の花が咲いている。白いもの、ピンク色のもの、オレンジ色のもの、本当にきれいだ。一体何処から種が飛んでくるのだろう。人知れずやってきて、人知れず咲いて散る。その繰り返し。
郵便局へ立ち寄ってから歩き出す。海と川とが繋がる場所、今日は鳥の姿はなく。少し寂しい。そのまま真っ直ぐ歩いてゆく。何処から沸いてくるのか、いつのまにか人が列を成している。
さぁ今日も一日が始まる。向こうに見えるはずの風車も、今日は霞の中。私は歩道橋を渡り、さらに歩いてゆく。


遠藤みちる HOMEMAIL

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