見つめる日々

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2010年06月20日(日) 
起き上がり、窓を開ける。薄曇の空が広がっている。私はもうずいぶんと暑い空気。風もぴたりと止んでいるから余計にそれを感じる。疲労感がまだ体に残っている。ちょっと踏ん張りすぎているかもしれない、そう思う。
しゃがみこみ、ラヴェンダーのプランターを見やる。五本のラヴェンダーの枝は、萎れるわけでもなく、へたれるわけでもなく、そのままにそこに在る。鼻を近づけると、ぷわんとラヴェンダー特有の香りが漂ってくる。でも六本目は。やはり駄目なのか。茶色い部分がだいぶ広がっている。
デージーは小さな葉をふわふわと茂らせている。まさにふわふわ、と。その下には、もしかしたら妖精が住んでいるんじゃないかと思う。そんな葉っぱ。色は黄色を帯びた薄い緑色。
ホワイトクリスマスが咲いた。開き始めた花びらは私が思っていた以上にクリーム色がかっており。こんな色だったっけかと私は首を傾げる。でも、鼻を近づけてみれば、その涼やかな香りが胸いっぱいに広がる。あぁこの香りだ。懐かしい、この香り。咄嗟だったとはいえ、支柱を挿してよかった。大輪のこの花を支えるのは大変だろう。風のないこんな朝だから、今はこうしてじっとしていられるけれども、ちょっとでも風が吹けば。くわんくわんと枝は撓るに違いないから。
マリリン・モンローはその隣で、じっと時期を待っている。咲くのにはもう少し時間がかかるんだろう。まだまだこの蕾は膨らんで太っていくに違いない。何だろう、とても嬉しい。ホワイトクリスマスもマリリン・モンローも、無事に咲いてくれることが、こんなにも嬉しい。
ベビーロマンティカの蕾の一つが、色を見せ始めた。明るい煉瓦色のその色。これがもっともっと明るくなって、黄色に近くなって、そうして咲くのだ。肥料も大して施してやっていないこのプランターの中。それでも咲いてくれようとする生命。
ミミエデンは確かに蕾をつけているのだけれども、この蕾は下手するとすぐ落ちてしまうかもしれない。そんな気配がする。葉の白い斑点は、薬を噴き付けたおかげなのか、あれ以上には酷くなってはいないが。それでも。かわいそうに。葉がへにょへにょになっている。私は一枚一枚、葉を指で拭ってみる。それで病が治るわけではないことなど、百も承知で。
パスカリたちも昨日を越えてくれたようで。無事にそこに立っている。新葉のいくつかがやはりまた白く粉を噴いている。酷いものは葉全体が粉を噴いており。私はそれを仕方なく指で摘む。
娘のいない日曜日の朝。やけに静かだ。あぁそうか、ハムスターたちも静かだから、音がしないのだと気づく。籠に近寄ってみると、ミルクは家の外でてろんと腹ばいになって眠っている。私がじっと見つめていると、片目だけ開けて、こちらの様子を窺っている。おはようミルク。私は声を掛ける。ミルクは返事をする代わりに、くいと首を動かし、こちらを見やる。しかし私が、娘でないことを確かめると、再びてろんと腹ばいになる。私がミルクを怖がっていることを彼女も承知しているかのようで。なんだか酷く申し訳なくなる。ごめんね、娘は昼には戻ってくるからね。そしたら遊んでもらうんだよ、と声を掛ける。ココアとゴロは家の中に入って眠っているらしい。しんと静まり返っている。
昨日頂いた花を、再度水切りすることにする。向日葵の花束と薔薇の花束をそれぞれ頂いた。薔薇は、いくつかを挿し木にしようと思っている。根付くかどうか分からないが、せっかく頂いたのだから挿し木にしなくちゃもったいない、そんな気がする。それにしても。花があるだけでこんなにも部屋が明るくなる。不思議だ。花はまるで、灯りを点してくれるかのようで。内側から光り輝く何かを持っているのだろうと思う。
性犯罪被害者グループが全国で初めて発足したというニュースを聴いた。そうなのか、とぼんやり思った。発足するまでにどれほどの痛みを伴ったんだろう、と考えた。そしてこれからさらに、どれほどの痛みを伴っていくのだろう、と。私にできることなどたかが知れていて。でもだから、自分にやれることを、ひとつずつやっていくだけなのだ、と改めて自分に言い聴かせる。自分がちゃんと生活していけることがまず何より私には大事で、それを見失ってはならない、と。自分が立っていなければ、娘を守ることだってできないのだから。私が守りたいのは、何より娘との生活なのだから。
私はまだまだ揺れているのだ、と、この前の波で、痛感した。私の中の罪悪感、懲罰感、穢れているという感覚など、そういったものはまだ、生のものなのだな、ということを実感した。娘がこっそり泣いているのも見てしまった。
今もう私の左腕の傷はだいぶ癒えた。もともとぼろぼろの腕だから、何処に新しい傷がついたのか、すぐには判別できない程度になった。それでも。あの時娘を泣かせたことを、私は忘れないだろう。私が私を傷つけたりすることがなければ、娘はあんなふうに泣かなくて済んだ。そのことを私は、忘れちゃいけないと思う。
昨日帰り道、突然大きな声でサッカーの応援をし始める人たちがいた。改札口でその人たちとすれ違う。ただそれだけのことだったのに、私にはとてつもなく恐ろしいことのように感じられた。何だろう、あの大声が恐ろしいのだ。突如響く声が恐ろしいのだ。自分を打ち負かした声を思い出させるようで、咄嗟に耳を塞ぎたくなった。
その人たちがすでに通り過ぎていっても、私の耳にはその声が木霊のように響いていて。電車に乗ってもう安全なのだと自分に言い聞かせても、胸の鼓動は止まなかった。
こんなこと、日常の、当たり前の日常の、一シーンに過ぎない。でも私はまだ、そういったところで戸惑っている。そういう自分が、まだまだ、在る。

「この孤独に対処する方法を、どのようにして発見したらよいのでしょうか。あなたが逃避をやめたときに初めて、あなたは何をすべきかということが分かるのです。そうではないでしょうか。あなたが自ら進んで現実にあるがままのものに直面したとき―――それはラジオをつけてはならないということであり、文明に背を向けなければならないことを意味します―――そのとき、孤独は終わってしまいます。なぜかと言いますと、その孤独は完全に変容してしまっているからなのです。それはもはや孤独ではありません。もしあなたがあるがままのものを理解するなら、そのあるがままのものが実体なのです」「あるがままのものを見るためには、多大な受容力と、行為を見守る観察力が必要なだけではなく、また今までにあなたが築き上げてきたすべてのもの―――たとえば銀行預金とか名声―――や、私たちが文明と呼んでいるすべてのものにあなたが背を向けることを意味します。あなたがあるがままのものを見たとき、あなたは孤独を変容させる方法を発見することでしょう」

お湯を沸かし、生姜茶を入れる。煙草に一本火をつけて、机に座り朝の仕事を始めようとしたら、どうも調子がおかしい。これはこの場ですぐどうこうできる問題じゃぁないらしい。私は大きく溜息をつく。仕方ない。帰ってきたら対処することにして、今日は早々に家を出よう。

バス停でバスを待つ間に、実家に電話をする。父が出、娘はばばと一緒に朝の散歩に出掛けているという。十分後に掛け直せと言ってぶっつりと電話が切れる。相変わらず無愛想な父だ。私は苦笑する。
言われたとおりの時間に電話をする。娘が小さな声で、じじばばには内緒だからね、と話し始める。今日早く家に帰ってひとりでお留守番する、という。読みたい本もあるし、ハムたちのことも気になるし、だからね、いいでしょ? うーん、じじばばに秘密なの? うん、秘密なの、だって言ったらだめって言うに決まってるじゃん! わ、わかったよ。でも、本当に大丈夫なの? 大丈夫だってば! 分かった。
電車が大きな川を渡ってゆく。いつもより水量が少ないように感じられるのは気のせいか。雨がこれだけ降っているというのに、まだまだ足りないとでもいうのだろうか。
イヤホンからはSecret GardenのRaise your voicesが流れ始める。私の大好きな曲だ。途端に気持ちがふわりと浮き上がる。
落ち込んでばかりもいられまい。しっかりせねば。私は自分に言い聞かせる。
空はやはり薄曇で。そんな中、電車は走る。
さぁ、今日も一日が始まる。


遠藤みちる HOMEMAIL

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