2010年06月12日(土) |
どうも娘はこのところ眠りながら回転するのが癖になっているらしい。そのたび私の腹、或いは顔に足蹴りを食らわしてくれる。何度彼女の足を元の位置に戻しても、気づけば体の向きは斜めになり、反対になり、そうして足蹴り。もういい加減彼女の重たい体を持ち上げるのにも疲れ、私は眠るのを諦めることにする。 しばらく天井を見上げて過ごしてみる。そういえばいつだったか、雨漏りしたことがあった。上の階の人が床に水をぶちまけたのが、そのまま漏れてきたのだった。私とほぼ同年代のこの建物、雨漏りしたって全然おかしくはない。でもそれは私にとって初めての経験で。真夜中突然ぼたぼたと布団の上に水が垂れ始めたときには、娘を抱きしめて、どうしていいのか途方に暮れたのだった。今じゃ懐かしい思い出だ。 起き上がり、窓を開ける。ぬるい空気が私を包み込む。まだあたりは闇の中。私はとりあえず、煙草に火をつける。 昨日は授業を終えるともう体中が疲れ果てており。早々に帰宅した。帰宅して、横になったのだった。私が昼間から横になることなどほとんどない。よほどに疲れていたんだろうと思う。とにかく横になって、目を瞑った。怒涛のようにいろいろな映像がフラッシュバックしてきた。あまりに忙しく映像が行き来するから、私はさらに強く目を閉じて、何とか映像を追い払おうとしてみた。が、無駄だった。起き上がれば映像は消えるかと思い体を起こそうと試みたが、今度はそれができない。困った。枕を叩いてみたり床を叩いてみたり、いろいろしてみたのだが、それも全部無駄に終わり。結局私は、娘が帰宅するまでどろどろと床の上に転がっていた。 不思議なことに、娘が帰宅する音と共に私は起き上がり、娘に弁当を渡し、見送った。でも、それが終わると再び床に崩れた。結局、娘が再び帰宅する直前まで、床に崩れっぱなしだった。 あれは何だったんだろう。あれが疲れというものなんだろうか。私は首を傾げる。そこまで疲れているつもりは全くないのだが。それとも自覚が足りないんだろうか。 徐々に徐々に空はぬるんでゆき。東から陽光が伸び始める。辺りがふわりと軽くなる。街景が露になってゆく。風はほとんどなく、街路樹の葉たちはじっと佇んでおり。私はベランダに出、大きく伸びをする。 しゃがみこんで、ラヴェンダーのプランターを覗き込む。デージーたちは元気いっぱいに育っている。と思っていたが、一本だけ、くてんと倒れているものを見つける。枯れているわけではない。でも、この一本だけが、新しい葉を全く出していず。じっと沈黙している。きちんと立ってはいるのだが、立っているだけで、うんともすんとも言わない、という感じ。どうしたのだろう。でも枯れているわけではないのだから、しばらく様子を見続けるしかない。その傍ら、ラヴェンダーはじっとしており。六本のうちの一本は、やはり今朝も葉を萎れさせており。水を吸い上げる力が全く残っていないわけじゃぁないんだろう、葉は緑色をしているのだから。でも、その力が足りていないのは明白だった。だからといって、今私がしてやれることは何も、ない。悲しいかな、何も、ないのだ。私はじっとその一本を見つめる。 ちょっと油断している間に、またパスカリたちの葉の裏に巣食うものたち。私は農薬を散布する。何となく目を泳がせて、びっくりした。ベビーロマンティカの葉の裏にも、どうも巣食っているらしく。私は急いでそちらにも農薬を散布する。今年はどうも、虫たちが豪勢にこのベランダに巣食っているらしい。たまったものではない。何とかしなければ。と思うが、とりあえず農薬を散布して様子を見るくらいしかできない自分がいる。全く情けない。 そんなベビーロマンティカは、二つの蕾を徐々に膨らませ始めており。蕾の方は順調らしい。今朝も萌黄色の新芽は、さわさわとおしゃべりをしているかのようで。賑やかなその葉の雰囲気を見ていると、こちらの気持ちも和んでゆく。 マリリン・モンローとホワイトクリスマスの蕾は、まさに真っ直ぐに天に向かって伸びており。その蕾の周辺だけ、静謐な空気が漂っている。何者も寄せ付けない、凛々とした強さが張り巡らされており。見ていると、こちらの気持ちがきゅっと、引き締まってゆく気がする。ふと見ると、新葉のところどころに白い粉がついている。とうとうこちらにもうどん粉病がやってきたか。私は拭ったって仕方がないことを知りつつ、その粉をそっと拭う。葉全体が粉に覆われているわけではない、本当に点のように粉がついている、といった具合だから、まだ、葉は摘まなくても大丈夫だろう。私は勝手にそう判断する。 ミミエデンから紅い新葉がにょきにょきと萌え出ており。もちろんそこに花芽などまだまだないのだが。私は夢見る。いつかミミエデンの花を見られる日のことを。 小さな挿し木だけを集めたプランターの中、友人からもらったパスカリが、新芽を出している。他にも、もう誰が誰だったか覚えていないのだが、それぞれに新芽を出しており。このまま立ち枯れるものも中にはいるんだろう。葉を出してもそれで根付いてくれるわけではない。だから、新芽を広げながらそのまま干からびてゆくものもある。それでも。生き延びてくれるものだってちゃんと、きっとあるだろうから。そう私は、信じている。 朝早く、電話が鳴る。西の町に住む友人からだった。大事にしている猫の具合が急激に悪くなっているのだという。だからねぇさんの展覧会、いけないかもしれない、と。 電話を切ってから、改めて思い至る。そうか、展覧会はもう目の前だ。搬入は、あと何日? まさに間近じゃないか。準備は整っている。整っているはず。だが、ここ数日のばたばたですっかり時計が狂っていた。しっかりしなければ。 五時に起こしてくれ、と娘が言っていたっけ。思い出して、時計を見、私は娘を起こしにかかる。起こしてくれと言っていたくせに、ちっとも起きようとしない。それどころか不機嫌だ。私は尋ねてみる。どうしたの? ねぇ、今日学校行きたいんだけど。だって今日は父親参観日だから休もうって話し合ったじゃない。お父さんなんかいなくたって、学校には行きたい。今更そう言われたって、欠席届出しちゃったし、ママは今日午前中留守だし。あのね、私にお父さんはもういないわけでしょ、いないならいないでいいわけよ、そんなのどうだっていいの、学校に行きたいの。…。 わかってるよ、もう欠席届出しちゃったし無理だって。分かってるけどさ、私にはお父さんはもう関係ないってことが言いたかっただけだよ。 娘がぽつりと言った。 その言葉は、私の胸に、ぐさりと突き刺さった。
お父さんはもう関係ない。娘がそこに至るまで、どんな経緯があったんだろう。私には測り知れない。 来年は出席しようね、と、約束できればよかったのかもしれない、せめて。でも、私にはそれができなかった。
「関係というものは、あなたがその中で自分自身を発見できる鏡なのです。関係がなければ、あなたは存在しません。生きるということは関係することであり、それが生活にほかなりません。こういうわけですから、あなたは関係の中でのみ生きているのです。もしそうでなければ、あなたは生きることもできず、その生活も全く意味を失ってしまうのです。あなたという人間が成立するのは、あなたが現にここにいると考えているためではありません。あなたは関係付けられているがゆえに存在しているのです。また私たちの間に多くの対立をひき起こす原因は、この関係に対する理解力が、私たちに欠けているためなのです」 「関係というものは、実際は自己発見の手段なのです。なぜなら関係は生きていることであり、生活そのものなのですから。関係なしには「私」は存在しないのです。そして私自身を理解するために、私は関係を理解しなければならないのです。関係は私自身の姿を見ることができる鏡にほかなりません」 「孤立して生きているようなものは一つもないのです。いかなる国家も国民も個人も、孤立して生きることはできません。それにもかかわらず私たちが種々様々な形で権力を求めるために、そこから孤立が生み出されるのです」 「自他の関係は自己発見に至る過程なのです。そして自分自身と自分の精神や心の働き方を知らずに、ただ単に外面的な秩序や制度や巧妙な方式を確立しても、それは全く意味がありません。重要なことは、他のものとの関係の中で自己を理解することなのです。その自己を理解したとき、自他の関係は孤立化の過程ではなくなり、生きている働きになってくるのです。その働きの中で、あなたはあなた自身の動機や思考や、あなたが追求しているものを発見することができるのです。そしてこの発見こそ、解放と変革の始まりなのです。」
目を閉じると、「サミシイ」が浮かび上がってきた。「サミシイ」はこちらをじっと見つめていた。まるで、頑張れ、頑張れ、と言っているかのようだった。少し前だったら、その、頑張れ、という言葉が私に負担になっていたかもしれない。でも、「サミシイ」の頑張れは、違った。それは、踏ん張れ、に近かった。 穴ぼこは、じっと沈黙しており。でも、穴ぼこはこちらをじっと凝視しており。大丈夫か、と語りかけているかのようで。 あぁ、私は、彼らにまで心配をかけていたのだな、と思い至る。そんなつもりは全くなかったのだが、彼らは私の中で起こっていることを敏感に感じ取り、彼らなりに何かを思っていたのだろう、と。 だから私は、大丈夫、と応えた。まだちょっと体はふらつくけれど、心はもうだいぶ回復してきた。だから大丈夫。やっていけるよ、と。
じゃぁね、それじゃぁね。手を振って別れる。娘は、学校の方を見やっている。私は黙ってその姿を見ている。 メール頂戴ね。娘が通りの向こうから、大きな声でそう言った。私は手を振って、それに応えた。 バスが走り出すのを見送って、私は携帯からメールを打った。「ごめんね」。その一言以外、今は思いつかない。 坂道を下り、信号を渡って公園へ。池の端に立つと、木々の茂みがちょうどぱっくり割れている、その天井から光が燦々と零れてくる。池に一つ石を投げ込むと、ぱっと広がる波紋。やがてそれも消えてゆく。 公園の周囲には水色の紫陽花が満開で。陽光を受けきらきらと輝いている。 大通りを渡り、高架下を潜って埋立地へ。銀杏並木はもうすっかり陽射しを遮るほどになっており。私はその下を走ってゆく。埋立地に残るほんの僅かの空き地は、今、様々な種類の雑草が花開いている。私はそれらの名前をほとんど知らない。白い花、ピンク色の花、オレンジの花、薄の穂のような草まである。海から流れてくる風に揺れて、さやさやと唄っている。 ふと見ると、娘から返信が。「わかってる。ごめんね」。ただそれだけ書いてあった。読んだ途端、私は切なくてたまらなくなった。どうしていいか分からなくなった。 娘よ。母、頑張るから。諦めずに頑張るから。どうか見守っていてほしい。私もお前をいつも、見つめているから。
さぁ、今日も一日が始まる。 |
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