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しもさんの「気になる一言」
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2017年04月28日(金)
腐っても「千本」(せんぼん)

(ローカルネタですみません。(汗))
昨年7月からスタートし、いまだに夢中になっている
「ポケモンGO」ネタ。
ただ、以前お伝えしたように、課金は一切せず、
さらに、ジムで戦うこともせず、
ただただ、歩いてポケモンをゲットするのみ。
それで何が楽しいのか?って訊かれるけれど、
徒歩通勤を基本に、歩く生活をしていると、
万歩計の数が増えるのと同じように、
知らず知らずに、ポケモンが溜まっていく。
毎晩寝る前、その日ゲットしたポケモンを整理すると、
一日の成果が感じられて、なぜか嬉しい。(笑)
しかし、毎日同じルートを歩いているだけだと、
同じようなポケモンばかりに遭遇し、時々ストレスが溜まる。
そんな時は、沼津市の千本松原に行く。
当初は、レアなポケモンがゲットできるという情報で、
朝から深夜まで、多くの人が遠方から集まり、
異様な雰囲気さえ感じた場所であるが、
現在は、いまだに続けている高齢者を中心に、(汗)
スマホ片手の人が集まっているが、私には居心地がいい。
普段見かけないポケモンを数種類ゲットし、
満足感で、意外とストレスが発散できるので、
「腐っても「千本」(せんぼん)」のフレーズを残したい。



2017年04月27日(木)
「ロクヨン」は誓いの符牒(ふちょう)だ

映画「64 ロクヨン 後編」(瀬々敬久監督)から。
後編のメモを振り返ると、気になる単語が目についた。
平成の大合唱に消えた、たった7日間の昭和64年。
その昭和64年に発生し、犯人が捕まらないまま迷宮入りした
少女誘拐殺人事件・通称「ロクヨン」がこう説明されている。
「『ロクヨン』は誓いの符牒(ふちょう)だ」
辞書によると「符牒(ふちょう、符丁、符帳)」とは、
同業者内、仲間内でのみ通用する言葉、また売買の場や
顧客が近くにいる現場などで使われる、独特な言葉の事。
接客や作業をしている時に、価格・品質・指示などについて、
符牒を使用する事によって客に知られずに、
必要なコミュニケーションを行なうのが一般的」とある。
この符牒である「ロクヨン」は、あの事件の関係者同士が、
犯人を取り逃がした、あの時の悔しさを絶対忘れるな、
時効ギリギリまで諦めるな、という「誓い」だったに違いない。
各業界で使われている「符牒」に興味を持ち、
少しずつだけど、調べてみたい。(企業秘密かな?)

P.S.
6月4日生まれの私は「ロクヨン」と言えば、誕生日だけど(笑)。



2017年04月26日(水)
部屋の中からじゃ、この窓は開けられない。

映画「64 ロクヨン 前編」(瀬々敬久監督)から。
以前、原作を読んでいるからか、やや違和感を覚えた。
あの650頁近くに及ぶ文字が、どう映像に表現されるのか、
期待し過ぎたのかもしれない。
どんなに素晴らしい作品でも、映画として4時間は長過ぎる。
逆に、2時間前後に表現できないようなら、厳しい言い方だが、
映像化は諦めた方がいい、という感想を持った。
と言いつつも、作品レビューとしてメモは増えた。
前編は、記者クラブとの確執・不協和音を解決しようと、
孤軍奮闘する主役、佐藤浩一さん演じる、三上広報官の動きが
私のアンテナに引っかかった。
「部屋の中からじゃ、この窓は開けられない。
開けるには、自分が外に出て開くしかないんだ」
この考え方が、彼の全行動を支えている。
もうすぐ定年だから・・と及び腰の先輩警察官に対しても、
本来なら話すこともままならない上司に対しても、
同じ姿勢で臨むからこそ、部下の信頼が得られたのだろう。
仕事で大切なのは、危険を承知で、問題の火中に飛び込む勇気、
そんなことを感じながら、前編を観終わった。



2017年04月25日(火)
自然界の神秘を語る意味深長な事実である。

これから「緑」が瑞々しく、そして眩しい季節となるが、
書籍「詩集 故郷への水へのメッセージ」
(大岡信著・花神社刊・141頁)から。
「そのやうな女たちよ、どこにいるのか」の一節。
「一 緑の女 染色家たちは、
自然界いたる所にこれほど溢れている緑色が、
単一の『緑』という染料として、
けっしてそのまま取り出せないと知っている。
緑色を染料をして得るためには、
青と黄を混ぜ合わせねばならないのだ。
自然界の神秘を語る意味深長な事実である。
地球の広範に覆ふ色は緑。
その実体は、異質の色の物質の掛け合わせ。染まり合ひ。
『緑』といふ生命の色は、
はじめから純一ではない混ざりもの。だから深い。
そのやうな女たちよ、どこにいるのか。」
そう言えば、小学生の頃「柿田川の写生大会」に出かけ、
「緑」という絵の具がないことを知って驚いたことを、
僅かな記憶ながら思い出した。
不思議な色だな、周りにこんなに溢れているのに。



2017年04月24日(月)
その人が夢を託してくれたから俺は変われた

映画「カンフーダンク」(チュウ・イェンピン監督)から。
難しいことを考える必要もなく、
私の好きなバスケットとカンフーがミックスした映画。
実は、この作品、ほとんどストーリーもなく、
ダンクシュートが爆裂する程度の認識で見始めたら、大間違い。
最後には、ちょっとウルウルしてしまうほどの出来栄えだった。
ネタばれになると困るけど、
「その人が夢を託してくれたから俺は変われた」のワンフレーズで
私はこの作品を思い出せるような気がする。
カンフー映画を何本も観たが、どれも楽しかった。
もちろん、現実にはありえないような技の連続だけれど、
もしかしたら、こんな奴、一人くらいいるかもしれない、と
思わせてしまう、カンフーの魅力にはまっている気がする。
女優・仲間由紀恵さんのそっくりさん?と思わせるような女性には、
けっこう笑えた。(ゴクセンに登場する黒ぶちめがね姿)



2017年04月23日(日)
たちまち縮んで豆粒のピストルになった

書籍「詩集 故郷への水へのメッセージ」
(大岡信著・花神社刊・141頁)から。
先日他界した詩人、大岡信さんの作品を読み直していたら、
面白い視点を幾つか見つけた。
機会あれば、1つずつ紹介したい。
まずは「産卵せよ富士。」という詩、の一部。
「(5) 小浜池にも柿田川(かきだがわ)にも、
鮠(はや)・丸太・鮎のきらめき
きみの流れで泳ぐとき
ぼくらのふくらんだちんぽこも
たちまち縮んで豆粒のピストルになった」とある。
「ちんちん」ではなく「ちんぽこ」というのがいい。
それに、冷たい川に入り、たちまち縮む「ちんぽこ」の
表現がたまらなく可笑しいが、
こればかりは、体験した人でなくてはわからないな、と
大先生なのに、妙に親近感を覚えてしまった。(汗)
私たちも小さい頃、裸で柿田川に入ると、唇が紫色になったし、
ウィンナーソーゼージのように縮んだことを覚えている。(笑)
「きれい」より「冷たい」で思い出される柿田川である。

P.S.
何度も確認したが、ルビは「かきだがわ」だった。
いつから「かきたがわ」になったんだろうか。
調べてみよ〜っと。



2017年04月22日(土)
「行動」「目的」より「意味」を意識する

春になると、柿田川に入り、外来種駆除の楽しみが増える。
今日は、天候にも恵まれ肌寒くなく、絶好の作業日和。(笑)
私たちベテラン組みの作業場所は、舟付場の近くで、
観光客から何度も声を掛けられた。
質問は決まって「何をしているんですか?」。
その答え方によって、自分たちの作業に対する想いが伝わることを
一緒に作業していたメンバーから教わった。
それが「『行動』『目的』『意味』レベル」という指標。
単に「外来種駆除をしています」と答えるのは、行動レベル。
ボランティアである、ないに関わらず、
自分の行動を、文字にして説明しているに過ぎない。
次に「絶滅危惧種のミシマバイカモを護るために、
こういった外来種駆除をしています」と答えるのは、目的レベル。
この作業は、こんなことのためにやってるんですよ、と
目的意識をもっていると、観光客にも説明しやすいし、
自分の行動が、とても有意義に感じられることは間違いない。
しかし、一番意識しておいて欲しいのは、意味レベル。
「何十年、何百年先まで柿田川の多様性が続くように、
大勢の方々と、外来種駆除作業をしています」など、
こういった作業・活動は、どんな目的があるのかではなく、
この取り組みが、どういった意味をもっているのか、を意識する。
それによって、もっと自分の行動に誇りがもてるようになるから。
この考え方って、家庭や仕事でも通用するものなんだよなぁ。



2017年04月21日(金)
どいつもこいつも、正義面だからなお恐ろしい

映画「葛城事件」(赤堀雅秋監督)から。
作品全体に、重い空気が流れ続け、
観賞後の気持ちも、(正直)どっと疲れたが、
「無差別殺人事件を起こした加害者青年とその家族」に、
スポットを当て続けたことで、第三者としてでなく、
三浦友和さん演じる、加害者の父としての苦悩が伝わってきた。
子供が大きな事件を起こしたら、親の育て方をはじめ、
どんな家庭に育ってきたのか、と追求する世間の目がある。
特にインターネットが普及し、国民総評論家時代とも言える現代、
加害者とその家族をギリギリまで追いつめる社会構造は、
とても危険なことだと感じているし、
マスコミも、加害者・被害者両方の立場で報道することなく、
加害者と加害者の家族を徹底的に吊るし上げているように見える。
冒頭、ブロック塀に殴り書きした誹謗中傷の文字を消しながら、
三浦友和さんが「バラが咲いた」を口ずさむシーンは、
この映画を思い出すには欠かせない気がする。
そして、こう言い放つ。
「騒ぎたいんだよ、何か理由をみつけて、騒ぎたいだけだ。
どいつもこいつも、正義面だからなお恐ろしい」と。
普段の生活で自分たちが他人に与えている悪影響は棚に上げて、
誹謗中傷できる事件を見つけ、ここぞとばかり大声を上げる。
(または、それをきっかけに目立とうとする)
死刑制度反対を訴え、加害者と獄中結婚した女性も、
正義面した、そのひとりなんだよなぁ、きっと。



2017年04月20日(木)
人生には三つの恵があるから「恵三」

映画「夏美のホタル」(廣木隆一監督)から。
吉行和子さんと光石研さん演ずる、
ヤスばあちゃんと地蔵じいさん(恵三)という「老親子」と、
小林薫さん演ずる、雲月という「仏師」と交流しながら、
主人公の「夏美」がいろいろなことに気付いていく。
今回の気になる一言は「恵三」という名前の意味。
「人生には三つの恵がある。
「一つ目は、この世に生まれてくる喜び。
二つ目は、親に愛される喜び。
そして、三つ目は、親になって子どもを愛する喜び」
地蔵じいさんは、子どもが小さい時に離婚したためか、
三つ目の「恵み」を実感できずにいたが、死の直前に、
その子どもと再会することが出来て、病床でこう呟く。
「三つの恵をもらうことが出来た」
これでもう何も後悔することはない・・と言いたげに。
父親がバイクレーサーをやめた理由が自分だと責めていた
有村架純さん演ずる「夏美」に、こう語りかけた。
「お父さん、夏美ちゃんのこと、愛してたんだよ。
何よりも幸せだったんだよ」と。
親に愛された喜びを、次は自分の子どもに注ぐ喜び、
若い頃は「三つの恵」を、意識していたなかったけれど、
今こうして歳を重ねてきたことで、わかることでもある。
三つ目は「子どもに愛される喜び」ではなく、
「子どもを愛する喜び」ってところが「恵」なんだと思う。
これからも、出来る限り「三つの恵」を意識したいな。

P.S.
既に他界した父親の名が、偶然にも「恵三」。
名前のいわれは訊いたことがなかったけれど、
もし「三つの恵」だとしたら、とてもありがたいことだね。



2017年04月19日(水)
元気なまちはどこもやっていますが、私はauなので・・

久しぶりに、飲み会で仕入れたネタで、笑い転げた。
飲みながらも、まちづくりの話をしていて飛びだした台詞。
誰かに伝えないとずっと耳に残り続けるので、ご紹介。(汗)
マンネリ化したイベントの改善アイデアを話し合っていた時、
全国の先進事例や、近隣市町の取り組みを紹介しながら、
まずは成功している事例を真似してみよう、と言うことになり、
知ってる限りのアイデアを紹介したが、
どれも「帯に短し襷に長し」の評価で、これだ、と踏み切れない。
そんな時、こんな台詞が耳についた。
「うまくいくかわからないけど・・」と前置きをしたあと、
「行政主導のイベントを止めてみる」。
参加者の安全安心を優先した、行政主導のイベントはつまらない。
担当者も人事異動などで数年で替わるため、
どうしても前年踏襲型になりやすい。だから、参加者も集らない。
やはりイベントは、毎年違った企画を繰り出してくる若い人たちが、
企画しないと盛り上がらないよ。
そんな会話を横で聞いていたら、ある先輩がボソッと呟いた。
「元気なまちはどこもやっていますが、私はauなので・・」
auの私はこのフレーズは使えるなぁ、と早速メモをした。
もちろん「docomo」以外のメーカーならどこでも可能だ。
「docomoやってますが、私はau(softbank)なので・・」
また、できない言い訳をひとつ増やしてしまったなぁ。(笑)