2011年03月11日(金) |
その手は見える様に掲げたままで |
3月某日 notepadに残された記録
朝。時刻は覚えていないが多分9時頃に起床。夢は宮城県沖地震だってよまじでかと云う夢を見る。 何だか朝から靄を抱えながらも10時過ぎ頃世話に成っていた妹様宅を離脱。 家に帰る気にもなれず、バスに乗り街へ。空腹だので甘味を食うたり飲んだり。 そして香を買いに出向くも店が閉まって居る。 仕方なくメディアテークへ向かってみる。 メディアテークでは7階の美術ライブラリへ行き、粟津氏やローマ、ヴァチカンの美術写真集を眺める。 地中海の文化は好きだなと思う。 何だか気分が優れないのでまぁトイレにでも、とトイレットへ行く。 排泄し終えたところで携帯電話から何やら音が鳴る。 何ぞと思っているうちに揺れているではないか。 ビルの警告音も鳴り響き、嗚呼地震なのだと気付く。 取り敢えず個室の中で下半身も丸出しな訳だし、手でつっぱって収まるのを待つ。 結構揺れたなぁと思っていると電気が消える。 洗浄しようにも水が流れぬのでそのまま放置し、トイレットから出てみる。 7階は白く煙って居た。机は当然皆倒れていたし、天井も少し崩れている様だ。 取り敢えず役員の指示を仰がなければな、とエントランスへ向かうがエレベーターホールの天井は無残に崩れ落ちていた。 不謹慎かもしれないが、美しい光景だ、と思った。 途中すれ違った男子学生らしき人々に倣い非常階段から降りるべきか、と思ったがこのまま停止していれば被害に呑まれることも可能だろうかとの考えも浮かんだが、結局面倒になって非常階段の扉を開けた。 周りを見渡しても外観から伺える損害は少ない様だった。 初めて入る非常階段も、また良い景色だなと思う。 途中お兄さんが一人上ってきて、上階の安否を確認しに来た様子だった。 余震にぼんやりと座っていると、一緒に降りましょうと云って下さったので降りる事にした。 階下に着いたら役員の人や、利用者の人が数十名だろうか、集まっている様だった。 指示を待とうと思い適当に腰をかけて座る。 寒いと思ったら小雪がちらついて来た。 余震も緩くなって来た頃には何名かは既に離脱していて、職員以外は解散して良いとのことだったので家に戻り様子を見てこようと帰路を辿った。 大通りはオフィスや式場、他はホテルや店舗などから脱出し、各自の帰路へと向かう人が多く列なって居た。 途中雪が強くなり、吹雪と呼べるほどに降りしきる中を歩きながら、地球は脈動しているのだな、と強く想った。 アパートは無事な様だった。 元々散乱していた部屋がさらに散乱された位で、SDも欠損などなく無事だった。 しかし電気が点かない。 仕方が無いのでガスの元栓を締めて、セーターやブランケット、水、貴重品や必要になりそうな日用品などを鞄に詰め込み、独りの心細さを埋める為に幼SDだけを共に連れ、避難所へと向かってみる。 避難所では発生からまだ時間が経っていないからか人はまばらだった。 電話で肉親関係に接触を試みたが混線しているらしく電話は繋がらなかった。 仕方なく災害掲示板へ避難場所を書き込んでおき、他の避難者とたまに会話をしながら連絡を待つ事にする。 その後妹様とは連絡がとれたが気分が「ハイ」ってやつらしく、街を探索に行くと云うので避難所で待っているので終わったら合流しようと声をかけておいた。 その後何度も余震に揺られながら日も暮れた。 午後8時頃痺れを切らして何度か妹様へ電話接触を試み、近くまで来たと云うので誘導して避難所で会話をしたりした。 人の多い場所が苦手な妹様は自宅へ戻ると云うので同行する事にして22時頃、避難所を後にした。 停電中の夜道は暗く、車のヘッドライトやハザードランプが道標と呼べた。 見上げた夜空には普段は見えない星たちが犇めいていた。
妹様宅へ着いてからは取り敢えず眠る事にした。 電気も止まっていて特にする事も無かったし、何だか疲れてもいた。 地殻変動を伴うゆりかごに揺られながら眠った。
ついでに翌日以降も追記。 県庁所在地かつ中心部から地下鉄徒歩圏内とあってか、ライフライン復旧は早かった。水は止まらなかたし、電気は2日程度で戻ったような。ガスも電気復活から数日で使えた気がする。 仙台城址のお膝元だったからか地盤もたぶん頑丈なのだろう。地割れや大きな倒壊を起している家屋は道路沿いには見かけなかったと想う。壁にヒビとか一部破損とかは見たような。 幸いと云うか何と云うか、基本焼麩だの即席スープだの乾麺だの乾物ストックの多い生活だったので食うには困らず。冷凍物がやや心配な程度だが、東北の3月は涼しめなので優先的に消費すりゃあ大丈夫だろ程度の認識。若干の冷蔵物を持ち込んで妹様基地で数日過ごす。 せっかくのレア状況だしフィルムカメラを持って街に繰り出したりした。 中心街では自家発電持ってたり電気早期復活組の店舗系が携帯充電に電気タップ解放していたり、小売系も店先に机を出したりして食品ストックを販売して居たりと中々に活気付いて居て、この辺は流石中心街の強さだなぁと関心したり。甘いし日持ちしそうだし美味しいし小豆だし最高かと思いながら贈呈用羊羹を買うたりした。 美容室でも電気ポットで沸かした御湯を利用してぬるま湯シャンプー等提供していたので試しにお願いしてみたりした。結構楽しい。そして矢張り訓練を積んだ美容師のシャンプー気持ちいいぃぃぃ…。 基地に戻ってからもガスが復活する迄は陽が射して暖かい間であれば水シャンプーでも結構大丈夫と気付き昼間に行水し日光と風で乾かすと云う自然派生活。まぁ時間の有り余っている未就労の身だからこそ出来る的な所はありつつ。 電気が戻った頃に一旦自らの基地へと舞い戻りブレーカーを戻したり冷蔵庫の類を再確認したり。妹様基地と往復したりしつつ、徐々に非日常が日常に戻りゆく様を少し惜しんだりした。
で、電気やら通信やらが復活して情報を得ると何やら沿岸部がすげえやべえと知って如何して死にたがりの己が無事で何処かの知らない誰かが黄泉路に連れて行かれるのかなぁと平等で不平等な生と死を噛み締めたりしていた。
取り敢えず生きてしまったし、死ぬまで生きるを貫く他無かろうと取り敢えず生きてみる事にする。
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