おぎそんの日記
おぎそん



 いつも会えるわけじゃないから

友人が某研究会で発表するってことでノコノコと行ってきました。
全くの部外者なのに、院の研究室に乗り込むってなかなか無謀だ・・・。

興味あることだったし(アスペルガー症候群のこどもに何を教えるべきか?)、最近、職場・家・友人、と閉じちゃってる感があるからいい刺激になったよ。
友人と言っても、いっつも会ってるわけじゃないし、会ってもしょうがないことばっかり話してるけど――で、だいたい終電を逃すオチ――こういう機会もいいなぁと思う。

一般社会への同化の拒否ではなく、むしろ、一般社会の中でうまくやっていくための、安全基地としての居場所の模索

と、言い切れる友人は格好いい、と改めて思った。いいなぁ、そういうまっすぐなキレイな感じ。

------まだ僕には見えていない世界がある。僕は、ともかく答えを知りたいです。それを掴むためにはどれくらい踏ん張って、突き詰めて、考え抜けばいいんだろう。そのあまりの遠さに、めまいがしそうになります。



彼の影響で読むようになった先生にも会えたし☆>って、みいはあだから

そうそう、そんで。やっぱり院生って、アレなのかな。
関係作りに余念がないって言うか、名刺攻撃をされて戸惑っちゃいました。
仕事上でもそう名刺は使わないし、普段持ち歩かないし。
ボク自身が、人と知り合うってことにいつまでたっても慣れないからドギマギしちゃう。
せっかくだから、関係はあったほうがいいんだけどね。
友人を介して、なんとか連絡を取れちゃうから。ってのも大きな要因なのかもしれないし、実は(やっぱり)知り合いになるってことが必要に思えないって思ってるからかもしれない。

よっしー、またよろしくね☆

2006年08月27日(日)



 とりあえずは。

絡まりと結び目は違うもの

2006年08月21日(月)



 帰っておいで ?

実家に行くときに「帰る」という意識はないんだよな。
もう、そこはボクの居る場所という感じはしない。ちょっとお邪魔します、みたいな―なんて言えばいいんだろう?余所者の感じ―気が、する。

実家を出るとそういうものなのかな。

中高生の頃、とにかく家から出たくして仕方がなかった。
”こんな家、居たくない!”と痛切に思っていた。

だから、大学受験のときも、滑り止めだとしても意地で近場の大学を受験しなかったり、した。
なんてゴーマンだったんだろう。
今なら、それはわかる。

でも、離れてしまえば、なんとかそれはそれで親&兄との関係は保てるし、なんであんなに嫌だったのだろう、と思う。

ボクは自分のことを「ネグれっ子だから」なんて可哀想がろうなんて思わない。それはいいわけだから。自分で出来ることはきっとあるはずだって、わけもなく信じてた楽天家だから。

でも、誰にとってもそれは有効な考えでないことは、今ならわかる。
ボクにだけ有効なものだったのかもしれない。


先週は祖父・祖母の法事だったけど、宿直で行けなかったから。
それは義務を果たすために墓参りはしてくるよ。
でも、それは義務的なものだからだろうとも、思う。可愛がられたそのお返し、その時間だけは向き合うということをしてくる。
でも、断じて親のためなんかじゃない。

そういう義務を果たした上で、好きなことをさせてもらうという、決意の表れなんだから。

2006年08月16日(水)



 何かを生み出す

食事指導中に、足が離れているから指導をする。
なんだかなぁ、と思う。
そういうことが果たしてなんの役に立つのだろう?

でも、そういうところから必要なのかもしれない。
単純に、接することだけで変容するのならば、この施設がある必要は全く、ない。


つまんないこと・くだらないものを重ねて、何かつまらなくない・くだらなくないものを作り出そうと、生み出そうとする。

その一つなのかもしれない。


・・・でも、やっぱり変じゃない?という視点は持ち続けたいと思う。
染まらなくてもいいじゃん。みんながおんなじことを言い出したら、つまらないし、逃げ道がないよね。

2006年08月15日(火)



 構ってあげたい

so you don't have to worry,worry かまっーてーまもっーてー あげーたいー

うん、やっぱりそう思うんだよなぁ。
誰もが突き放すのって、辛いんだよ。
だから、逃げ道と言うのかな、その役目を担えればいいなぁとこっそりと思う。

全部が全部、信じてあげることは出来ない。ごめん。
でも、それが君にとっての見方ならば、どんな見え方をしているのかを知りたいと思うんだ。

誰にだって、受け止めてくれる人はいるんだ。
そんなことを少しでも実感できてくれたらボクにとって十分なんだけどなぁ。

2006年08月08日(火)



 もっと近くに as close as possible

知人に「だって、おぎそんとボクの職業って隣接してるじゃん」と言われた。

そんなこと、思ってもなかったからびっくりした。
そうなのかな。ボクは全然そう思ってなかったよ。だって、君がしていることのほうがもっと高尚じゃないか。
子ども、を扱う仕事だとしても。

そんなことを思いながらも、だからこそボクと会話をしてくれるんだよね。
それにキチンと応えられるようになりたいなぁと思う。

一方的な関係じゃつまらない。
相互に刺激し合える関係でいたい、と痛切に思う。

でもさ・・・もし。
もし、ボクがその仕事じゃなくなったとしてもそう思ってくれるのかな。
ボクという存在を認めてくれるのだろうか。ボクを。

そのままの自分を受け入れてもらおう、なんておこがましいのは承知で、でもそう願ってしまう。
いつまでも変わらない関係なんてない、と分かっているのだけれども。

2006年08月06日(日)



 プロテクト

うちの職場に来るがキって、一応――建前上は――要保護性と矯正可能性ってことになってます。
で、矯正可能性はいいのよ。とりあえずの話。

でもね。
要保護性が解決されないのに(不十分なのに)出て行くってパターンが案外多い気がするんです。
これって、もちろん、更生保護施設とかあるから受け皿としてはあるんですが、やっぱり若年者だとしんどいうというか・・・。

このあたりの論議がされないのはなんででしょうね。
現場は手一杯。周辺は、厳罰化の話。

だれが、彼らに手を差し伸べるのでしょうね。善意の人?
でも、それだけじゃ不十分なのは明らかだし、その善意の人の負担が大きすぎる。
NIMBYの考えが多いからなのかなぁ・・・と思った次第。


あ、そうそう。
全然話は変わるんですが。

忙しいと、ホントにアレですね。人の誕生日とか平気ですっ飛ばせますね。
おぎそんって結構人の誕生日を気にかけていようって思ってメールとかしよっと思っているのですが、半月ほど友人にメールするのを忘れてました。
余裕がないんですね、きっと。
ふう〜。

2006年08月03日(木)
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