おぎそんの日記
おぎそん



 

逆らえないで流されていくけど。
常に意思を持って流れること。

大切なのはなれなかったことではなく。
何になろうとし、どこまでなろうとしたか。

負け惜しみと紙一重だけど心からそう思う。

2003年05月22日(木)



 SPIRAL

おなじようなところばかりを通っている気がする。
おなじ結論ばかりが出ているような気がする。
おなじことの繰り返し。

だれも昨日と同じ今日を望むはずもない。
今日と同じ明日を望むはずもない。

変わっていないように見えるけどじつは変わっていくように。
It's a spiral stairway.
ほんのわずかでいい、高いところへ。
昨日よりも、ほんのわずかでいい。高くあれ。

2003年05月21日(水)



 893なって・・・。

おぎそんはお仕事上一応ネクタイを締めてます。
でも、どっちかつーとスーツを着ていなかったり(ようするにYシャツ+チノパンとか)ラフなので結構上の人から文句を言われます。お髭のことも言われたし。
で、今日は気分的にYシャツが白だったので青いネクタイを締め、お仕事をしていると
「すごいね、そのネクタイ」
「なんか893がしめているようなのじゃん」

・・・・。
どんなネクタイだよ、それ。

おぎそんの所有しているネクタイは初めてスーツを買った時に同時購入した灰色地のニットタイ・100円ショップで購入の白と黒(っぽい)ストライプ・藍色地に抽象絵みたなのがあるもの・よくみると生物の細胞分裂みたいなもの・キャラクターっぽいの(というかよく見ると犬のイラストがとか)が3本くらいあります。
で、今日しめていたのは綺麗な青地に六分儀(わからない人は「大航海時代」をやってください)やべハイムの地図らしきものが描かれている爽やかなもの(おぎそん的には)。

まぁ、オーソドックスなものを締めていってもいいのですけど会話の掴みからするになんかのきっかけがないとね。
とゆーか生徒にはかなりネクタイは評判がいいのですけど。


先月の個展でも言っていたのですけど「色彩感覚って才能」には激しく同意です。
おぎそんの色彩感覚がおかしいのかもしれませんね☆なにせ塾内でおぎそんのみがピンク/赤のYシャツを着用しますし(でも、スーツを着てはできないよな)


2003年05月20日(火)



 ヴェンチャー産業

社会学事典を見ていると「ヴェンチャー産業」のところにこう書いてありました。


新しい産業分野や隙間産業に着目し・・・・

ははーん。
よーするに、モーニング娘。に対するZONEですね

なんだか最初はついうっかり売れてしまった感じなんですが、最近は確信犯的な気がしますし。
特に、ドラムの(なんつーかモーニング娘。の保田圭みたいな)空きとか。(SPEEDでいうならヒトエのような存在)

なんつーかavaxがdream(浜崎あゆみと同じくらい宣伝費はかけているのに全く売れない。3万人の中から間違って選ばれた人々)とかFolder5(やっぱり空きあり。MAXほどキャバクラ路線になりきれず)をHello!Projectにぶつけても崩せなかった(というか自爆?)壁を壊してくれるような・・・。
でも、あれか。
隙間産業だから崩しちゃダメですね、隙間隙間。


なんてことから同じ路線を辿った(間違ってブレイク)人々を考えると忘れてはならないホ○イトベリー

昼ドラマの主題歌から紅白出場と順風満帆に思えたのに空に消えていった夏花火のように消えてしまいました
この2組はお仲間のはずなんで、中途半端に生き延びない方がいいと思いました(投げやり)。

おぎそんはこんなことを考えているならさっさと勉強した方がいいと思いました。

2003年05月13日(火)



 ボランティア活動について

いつ書こうかと思いながら今週末にお世話になった(なっている)子どもまつりがあるということなので思いきって。(てか、この機会を逃すといつ書けるかわかりませんし)
とはいえ、今年は残念ながらバイトやら試験があるので前日・当日のお手伝いもできないので(親玉氏ごめんね☆叫部は参加したかったんだけど)適切かどうかわからないけど現時点でのおぎそんの考えを単に書くだけです。


おぎそんは予備校時代からボランティアに関してかなり斜に構えていました。
まぁ、おぎそん自身がその頃は(今もですが)かなりの自意識過剰だったため、人に席を譲るときも電車内に落ちている空き缶を拾ってゴミ箱に捨てるといったささいな事に関しても「おぎそんっていい人ぶってない?」と思っていたのです。
実際、募金とかしたいと思いませんし(それはケチなだけ)「ちょっと偽善ぽくない?」とか「好きでやってるなら、他人の評価とか考えなくてもいいんじゃない?」とかの思いを抱いていました。

でも、少しだけ関わって考えが変わりました(現金)。
口先だけでも「楽しかった」「ありがとう」と言われれば「やってよかった」と思いますし、「なんかイマイチ」なんて言われた日にゃ「貴様、東京湾に沈めるぞ」と思いますし。
こう考えると、関わっている人に対する感謝の念が全体的に(風潮的に?)軽視されているのかもしれません。

また、「他人に感謝をするどころか驚くほど要求をする人が多い」の事実があることを認識する必要があると思います。
「この部分が足りない」、「あのやり方はまずい」だの「ササビーはもう要らない」文句・注文の多いこと。
なんでもかんでもやってもらえるなんて思わないで下さい
大部分の人は仕事・家事・学生をやりながらボランティア活動をしているはずです。(なにせボランティアだけで食べて行けるほどの状況でないのは皆さん、ご存知のはず)
つまり手弁当で(むしろ出費)どこまでできるか。
文句を言うのならばまず手本を見せやがれ、となるのが本来のありかたのはずです。

が、不思議なことにそのことに誰も目につく形で意見を言っていない気がするのです。(日本的だから?)

いずれにしろ、30回以上続いているとはいえ特定の人に負担がかかる状態(ボランティアと言いながら義務にならざるを得ない状況)はどう考えても無理があるので(人数確保も怪しい)規模を縮小するなり、なんらかの対策が必要な気がします。

ただ。
結局は一人一人の意識問題のような気がしないでもないのです。(誤解のないように。地域の一人一人ということですよ)
この「子どもまつり」というイベント(もしくはそれを巡るコミュニティと言ってもよい)が○留にとって大事ならばそれぞれが労力なり金(うゎ)なり「他人への思いやり(というか想像力?)」なりを持ちよるべきではないか、とも思うのです。
それができないでイベント(ここでなら「子どもまつり」)が消滅してしまうのならそれも仕方ないのではないでしょうか?



2003年05月12日(月)



 おぎそんの思考

おぎそん、先日お財布を落としたんですね。

そのことを愚痴交じりに知人に話し、暗い雰囲気になるのも嫌なので「まぁ、買い物する前にお仕事をしてたしよくよく考えたら落とした金額とおんなじくらいの収入なんで寝てたことにしますよ」と締めくくったんです。

そうすると「そういう、寝てたことにするっていうのがおぎそんらしいよね」とのお言葉を頂きました。
他の知人には「パチンコですったと思えば」とのありがたいお言葉を頂きました
そういうもんですか?

おぎそんが思うにやっぱ悔しいですけど、それを嘆いても金額は戻ってこないじゃないですか。
そんだったら自分がどう考えたら一番ストレスを感じないですむかを考えてそういうことにしておいたほうがいいじゃないですか。
だって聞かされるほうもいやでしょ?
また、おんなじことを持ち出してぐちぐち言ってるよ、こいつって。

べつにおぎそん自身がその「positive thinking」というわけでは断じてないし。
やっぱ自分あり気だと思うから。

何を言っても愚痴に聞えてしまう時はあるのです。でも、それは自分の弱さを他人に吐露しているだけでなんの解決にはならないのです。
思い出したら哀しくなる、そんなこともあります。

黒柳徹子だったか、「悲しい時でもとりあえず笑ってみるの」と聞いたことがあります。
所詮は笑えるんです。まだ。

笑えないことを羞じることはないけれども、悲しんでいてもどうにもならないから。
おぎそんはまだ歩けるから。
まだやれるから。

2003年05月08日(木)



 徒労の試験

昨日は小田和正のライブで弾けて結局帰宅したのは午前1時。
今日は試験(しかも部屋を7時には出てないとまずい)なのになんも勉強もしてないし。
そんなこんなで睡眠時間は4時間を切りながらも「せっかく願書提出したしもったいないから行こ」と自分を宥めながら会場の東京農業大学へ。
最寄り駅が小田急の千歳某になるのですが1度も行ったことがないので駅からバスに乗ったほうがいいのか歩いたほうがいいのかわかりません。
まぁ、1時間くらいまえなら受験者でバスが込んでてても大丈夫だろ、と思ったのですが微妙に本数が少ない。
でも、知らない道ですしタクシーなど使えるブルジョワでもないので大人しく待つ。

実際にバスに乗ってみれば近かったものの下調べはしといたほうがいいなぁと。次回から地図持参でもしときます。

午前中は教養。
眠いし暑いし本命の試験じゃないしのやる気の無さで3時間のなんと苦痛なことか。試験慣れというよりこれなら家でだらだらしてたほうが精神安定上よさそうな気がします。

午後は専門試験。
ここではたと気づく。あれ?おぎそん、この受験区分で受験だっけ?ともうやる気なさ爆発です。
そっかー、この受験区分なんだーと思ってもわかる問題がマークシート方式なのに全然ありません。ホントに。
これで3時間30分も過ごすの?と途方にくれます。
正直な話、途中退室でもして(つまり適当に解答欄を埋めて)寝ようと思いました。
でも、途中退室をおぎそんより先にした輩がいまして。

なーんだ先を越されちゃった←この観点がおかしいんですけど

と思ってだらだらと。
なんつーか先を越されたのでその途中退室の意欲さえも奪われました。
まぁ、その頃にはすこしうつらうつらしてて微妙に寝ていたのですが。

例えば。
教育環境学で

{NO. 24}カリキュラムの社会学的研究に関する記述として最も妥当なものはなにか。

1.ヤング(Young,M.F.D.)はデュルケムの流れを汲む構造―機能主義の系譜を継承・発展させ、カリキュラムへの外在的統制に注目する巨視的社会学の立場から、カリキュラムの類型化を図った。そのため、彼は、「新しい教育社会学」の提唱者とされる。

2.バーンスティン(Bernstein,B.B.)は、人を社会化し、潜在的に統制する構造をコードとしてとらえ、類別(classification)と枠づけ(framing)という2つのコードが、カリキュラム、教授法及び教育評価の3つの伝達体系を条件づける原理として働いていると指摘した。

3.マートン(Merton,R.K.)は、教室の中で生起する日常的事象を「ありのままの姿」で観察し、教室での生活が、それ自体、「隠れたカリキュラム」として、生徒の社会化に不可避の影響を与えていると指摘した。そのため、彼は、潜在的カリキュラムの第一発見者とされる。
4.ブルデュー(Bourdieu,P.)は社会的再生産論の立場から、カリキュラムを文化的覇権(hegemony)をめぐる階級対立の問題と結び付けて検討し、活発なイデオロギー批判を通して、学校で隠蔽される様々な不平等の構造解明を試みた。

5.パーソンズ(Parsons,T.)は、構造的パラダイムに基づいて、個人が能動的な行為主体となってカリキュラムをコントロールする過程を究明することに努めるとともに、相互作用論の立場からカリキュラムによる内在的統制に注目する微視的社会学を提唱した。



とかなんて言われても困るんですよ。(ちなみに正答はです。)
おぎそんが知っているのはパーソンズだけ。
しかもそれを聞いたのは社会学概論ですからすでに4年ほど前のことになります。
誰がどんなことをいってるのかを知らないうえにたぶん、名前をとりかえてあるんでしょうね。いってることはおそらく正しいのでしょう。
なに言ってるんだかわかりませんけど

問題は欲しいし途中退室も先を越されたので仕方なく時間潰しの為に選択科目でもなんとなくわかりそうなほかの科目に手をつけてみます。
「教育経営学」とか「教育方法論」とかあったのでなんとなく解いてみました。結果はすべて×。選択しなくてよかったです。なんとなくあってると思ったんですけど・・・・。

まぁ、苦痛の試験が終わったので本命にむけてお勉強をしなきゃ。

2003年05月05日(月)



 Kazumasa Oda concert tour 2003 "kirakira"

というわけで行って来ました。
とりあえず曲目を。

opening theme of "kirakira"

 言葉にできない
 Yes-No
 春風に吹かれて(歌詞とちり)
  MC・バンドメンバー紹介 愛を止めないで
 夏の日
 Oh!Yeah!(イントロがピアノ)
  
弾き語りコーナー
  MC
 さよなら  MC
 僕らの時代
  MC
 勝手に寂しくならないで
  MC
 高校のために作った愛唱歌(ワンコーラスのみ)
  MC 明日(TX系ワールドビジネスサテライト4000テーマ曲・新曲)
  MC
 Woh Woh
    弾き語りコーナー終了

ご当地拝見ビデオ@早稲田大学

 だからブルーにならないで
 愛の中へ
 忘れかけていた思い出のように
 ラブストーリーは突然に
 伝えたいことがあるんだ
 キラキラ
  (以上6曲をフルコーラスメドレーで)
  MC
 生まれ来る子どもたちのために
 君住む街へ

EN)
 瞬く星に願いを
 Yes―Yes―Yes
 時に愛は
 I Love You
 Yes―No(今日は間違いが多かったのでお詫びとして)
 眠れぬ夜

EN2)
 キラキラ(concert tour "kirakira" version)

ending theme of kirakira




2003年05月04日(日)
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