おぎそんの日記
おぎそん



 MEMO

自分の心に嘘をついていた
僕はどんなに笑顔でいた時も
人の言葉に逆らえないでいた
僕はどんなに褒められた時さえ不安だらけな日々を過ごしていた

夢はなんだと人に聞かれたって
心の中は答えてくれない
自分を愛したことがあるかと
本気で言われて涙がこぼれた
人の言葉が初めて響いた夜

流れる雲をこの目で追いかけて
未来を感じたとしたなら
それは僕じゃない 怯えていただけの印
自分の弱さを言葉に出来たら
何かが吹っ切れていくだろう
そんな僕に会える日を僕は信じてきた


振りかえれば僕も偉そうなこと
君に言えた義理ではなかったけど
僕の心に残されていたMEMO
君のことに使えるならいいけど
僕は僕 君は君 あるがままで

まっ白な紙に自分の想い
自分の言葉で書きつめたら
月夜に屋上から飛行機にして飛ばせ
吹き上げる風に煽られながらも
星の川に落ちればいいね
僕の飛行機にめぐり会えるかもね


胸にやきついた
あの涙さえも
振りかえればほら
永遠の宝物


流れる雲をその目で追いかけて
未来を感じたとしたなら
それは君じゃない 怯えているだけの印
自分の弱さを言葉に出来たら
何かが吹っ切れていくだろう
そんな君に会える日を君は信じていて
そんな君に会える日を君は信じていて


    By 徳永英明

2003年04月30日(水)



 

今日はバイトがお休みだったので個展に行って来ました。
八重洲にある小さなところだったのですが逆に落ち付いた空間で行ってみてよかったです。
とゆーか一人で行動する時には少なからず勇気が要ります。
おぎそんはどっちかというと通学路もおんなじトコロを通ったり(それは遅刻スレスレか遅刻だから)、新しい道を開拓しなかったり(それは地図を見る手間がなんとなく面倒だから)と地理科にあるまじき日常(若林先生ごめんなさい!)なのですが。
だから、今回も結構どうでもいいというか(失礼な言い方ですな)行くまで行って、入るかどうかは様子見って感じだったのです。

ちょうど、会場となったところはビルの3階。昇ってみると、スタッフらしき女性とあと2人がいました。
引っ込み思案なものですからどうしようかと躊躇ったのですが「せっかく来たんだし」と(必要な用事は終わってましたし、なにせ使った電車賃が勿体無いので)思いきって入ることに。

入ってみると実にシンプルで気持ちのいいところでした。
少しスタッフの方ともお話したのですが(珍しいことに!)スタッフの方もよい方でした。
小さな画廊とかに入ると「なんか買わされるんじゃないか」とか「話しかけないで!!」みたいな自意識過剰な面があるので躊躇っていたのですが少し安心しました。

作者さんはいらっしゃらなかったのですが逆に安心したり。
やっぱ作品を見に行くわけですから本人がいらっしゃるとちょっと気を使っちゃいますよね。
前回(去年の4月かな?)、西脇唯さんの個展にも行ったのですが本人を目の前にしてなにも言えず寡黙にポストカードを買って帰っただけなのでちょっと心配していたのですが。
そういえば西脇唯さんは今年の5月にまた個展を開くそうなので行ってみたいものです。

さぁ明日からまた適度に働くとしますか。
たまのお休みだから貴重なんですよね。お休みの日を大事に使うのが最近の目標だったりして。

2003年04月22日(火)



 ひまわりのように

最近は掲示板に頻繁に登場してくれるなっち(那智丸)にも「おぎそんは元気がなさそうだけど大丈夫?」とされているおぎそんです。

なんだかなー。
いや、心配されるってことはなっちがおぎそんを気にかけてくれることだしある種嬉しいんですけど。

でもね。
なんだかおぎそんのパブリックイメージ(それほど大それたものじゃないけど)が一体なっちのなかではどのように捉えられているのかが微妙に心配です。

元気いっぱい、といったイメージなんでしょうか?なんか間抜けっぽいです。おぎそんも悩む姿が様になる人にはなってみたいですが基本的に悲観的な人なのでそれだと苦しいので・・・。

おぎそんが思うに。廻りを「元気にする」人って確かにいると思います。
それは、人の話をうなづき慰めてあげるといった「支持的面接」ではなく。
その人のパワーをもらうというか。
その人と話すとなんだか元気になれる、そんな人は格好いいなぁ、とは思うんですけどね。

まぁ、最近の日記を読み返してみてもかなり個人的にはなんつーか暗いというかいやはや。(煮詰まっているって感じなのかな?)

おぎそんだっていろんなこと考えているんですよ?こう見えても

知人の臨床心理家の方にも「車を運転すると結構自分が正しいって感じでしょ?」と言われてしまいました。
だから卒業式の時の送迎でなっちたちは脅えてたのね・・・。

結局そういう日常のぎすぎすした感じをせっかくのプライベート(楽しい時間)に持ちこみたくないものです。
だから我慢するっていうんじゃなく、それを他人に攻撃的になることで解消するんじゃなくて上手く付き合っていきたいんですけどねぇ・・・。


2003年04月20日(日)



 意味のある歌

先日、「世界に一つだけの花」についてグダグダ書いていたのですが、今日「我が意を得たり」といった意見があったので転記しておきます。

状況説明としては槇原君が前年(2002年)のコンサートにおいても「あの事件があったことで意味のない歌は作りたくないって思った。もちろん今までの曲が意味がなかったってわけじゃないんだけどより強く思う」と発言したことを踏まえていただけると幸いです。


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でも、「意味のある歌を作っていきたい」という彼のMCと反戦歌のような新曲にはちょっと違和感をおぼえました。「意味のある」って表面的な社会派ではないと思うんですよ。どこまで深く聞き手の心に入っていけるかが、音楽の「意味」であって、メッセージ色があるとか、教訓を暗示するとかいうことではないでしょう。だからぼくとしては「ラブレター」のような過去の楽曲のほうによっぽど「意味」を感じてしまったわけです。


   伏見憲明の不惑エッセイ「曲がり角を過ぎても」より




2003年04月19日(土)



 You are so beautiful

褒めてくれてありがとう。

貴方が私を褒めてくれるたびに私の一部が「チクッ」と痛むのです。

貴方は私を褒めてくれるけど、本当の私はもっと醜いところを含有しているのです。

でも、貴方が褒めてくれるたびに。やけっぱちになっていた私も「捨てたもんじゃないのかな」と少し自分が好きになる。

貴方が褒めてくれた私になれるように頑張ってみたいと思う。



きっと私が貴方の思っている人じゃなくても貴方は私を認めてくれるでしょう。

でも、私は貴方に褒められたい。


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心に嘘をつくことはなく
頑ななまでに自分に素直で
言葉は迷わず
まなざしは強く
その先には
必ず誰かの幸(さいわい)がある

You are so beautiful
美しい人に
You are so beautiful
ぼくは出会った




貴方のそばにいると
ぼくはこんなに
薄汚れて見えるけれど
いつか貴方のようになりたいと願う

You are so beautiful
美しい人に
You are so beautiful
ぼくは出会った

By 槇原敬之

2003年04月17日(木)



 私ってブスだったの??

試験に提出する願書(今日が〆切)に引っ付ける写真を撮りました。

なんですか、この写真のおぎそん(自分の理想)に似ても似つかない人物は
昨年から「太った」だの「顔丸くなってない?」だの散々言われても気にしてなかったのですが改めて自分の顔を鏡で確認しました。

2年ほど前に取った証明写真・現在使っている学生証の写真・免許証・今回の写真を並べると今回の写真だけが妙に浮いています。
どうして?(泣)

しかも気になることにほっぺの辺りがふくよかになっているのは気のせいではないような・・・。

昨年に受けた試験の面接で「写真だと・・・」と言われたのはこのふっくらした顔のせいだったのね(勝手に思いこみ)・・・。


おぎそんはこのページをご覧になった皆様にお願いがございます。

どうしたら顔(特にほっぺのふくらみ)を誤魔化すことが出来るのでしょうか?
もちろん、小顔にするためのエクササイズ・ジェルでも構いません。
おぎそんを元のスリムな顔に戻してやってください(号泣)。

「これを試したら私は小顔になった」などの情報をおもちでしたら掲示板なりメール・本人に耳打ちするなり助けてやってください(切実)。

おぎそんは本気です

2003年04月15日(火)



 たった今、彼を振ったんだけど

と開口一番報告してくれたのは友人の規恵。

2年ぶりの電話がそれかいっ!と思いながらも彼女の主張を聞くと。

「あたしさ、なんかね。こんなことしてる場合じゃないよなって思ってさたった今「ごめん、別れて」って彼に電話しちゃった」
「相手は訳わかんないと思うけど、あたしこれから試験だしなんか「浪費してる」って感じがしたからさ」
「いや、これを誰に伝えようかと思ったんだけどおぎそんが適切かなと思ったから」
「デメや千江理でもいいんだけどなんとなく」

ありゃありゃ。
別れを告げられた彼の立場がないだろうに。

でも、恋愛ってなんつーかふっと目が覚めてしまうときがあるんですよね。
もちろん、覚める・覚めないでどうこうと言うわけではないけれども(サネスケの得意な<寝言は寝てから言え)、覚めてしまった時にどう対処するかが問われるのは確かでしょう。
この関係を続けるのか。続けないほうがいいのか。
それを決めるのはその当事者のみ。

恋愛中は廻りの忠告なんて聞けるはずはありません。
本人が言うのはノロケばかりですし。

規恵、彼にストーカーされないように気をつけてね☆

おぎそんもそうやって振ってみたいと思いました。

2003年04月13日(日)



 HOTMAN 第一話

今日からTBS系で始まりましたドラマ「ホットマン」。
原作を知っていたのでついつい見てしまいました。

ドラマを見ると素直に内容に入らないで突っ込みばかりが目立つのですが今回も「なんだかなー」と思うようなところも多々あり。
脚本の上手なところとまずいところが混ざっていてなんとも、といったところです。
まぁ、この漫画をドラマにしようと考えたこと自体が失敗だったといえばそれまでですが。

ところで。
この原作は既に連載を終了しておりまして、作者きたがわ翔は順調にその後2本ほど連載を打ち切られています
この漫画で彼の趣味がうまくマッチしたものの、その後失速気味かなぁと。
Perfect Twinとかもちょっと独り善がりな気がしますし。

もともと彼がヒットを飛ばしたのはすでに10年以上も前になる(バブル絶頂の)「Nineteen」でした。何を間違ったのかOVA化されたりCDドラマ化されたりと少女漫画家から少年漫画家に転進できたのですが・・・。

きたがわ翔の特徴としてはナルシズムが目に付くといったところでしょうか。
絵は見たところ綺麗ですし(最近は少しラフというか構図的にどうかなーとは思いますが)いいんですが内容的には微妙というか。

本題のドラマ。
キャストについてはなにも言いますまい。矢田亜希子の出番が少なすぎだろ、とか。やっぱり反町って教師役だからGTO入ってるよね。とか思いますが、ハイジや龍ちゃんを人気上昇中の双子タレント(キッズ・ウォーだかに出演したらしい)を使っているせいか思ったよりはいいです。
原作通りに姉の志摩がサザエさんカットかと期待したのですがそれは流石にNG。

で、今回のテーマは「自分らしく生きる」ってことなんですが。
今週のテーマの一つの考え方の提示がなされていないんですよね。
これって予定調和でもなんでもいいので基本的に
冒頭で何か勃発→中盤にその解決策を探る→終盤はとりあえずの解決策の提示
とすることで視聴者にとって安心感を与えるはずなんです。
(だからこそ2時間ドラマ―火曜サスペンス劇場とか―が受ける訳ですよ)
それがなんだかなし崩し的になってその問題提示に対する回答がぼやけてしまった(もっといえばズレタ回答)だったかなぁ、と。

感心したのはハイジやひなたたちの円造に対する「なんでおれ/私たちがこんな窮屈な思いをしなきゃいけないの?!」と思いを吐露するところですかね。
この思いは思春期の頃に誰もが思っていたことをデフォルメしているけれども確かにあの頃抱いていた思いだったかな、と(綾辻行人が使いそうな言い回しですが)。

この原作ではこれでもか、というくらいドラマ(いわゆるささいな?事件)がおこります。
それをどれだけ飽きさせずに視聴者を引きつけられるのかなぁ、と心配ではありますが。

おぎそんはとりあえずHOTMANを応援しています!

2003年04月10日(木)



 

日常において嘘をつかないで生活をするのは皆無のような気がする。

自分で、少なくとも自分だけには嘘をつかないで生きよう、と思うのだがそのなんとも困難である事かに愕然とさせられる。いや、嘘というと強い感じがするので、誤魔化しとでもいうべきか。

おぎそん自身、この日記でさえも捏造や脚色をしないようにしているけれどもどうしても伏せておきたいことがある。
たいしたことじゃないのだけど。結局は自分のつまらない見栄やいわゆる自尊心によるものなのだろう。

事実をそのまま告げることが「正しい」ことは限らないし、その事実を公表することで周りに迷惑がかかることもあったり。
なによりもおぎそんという像―虚像ではあるけれども―を壊すのが怖いのだと、今は思う。

久しぶりに学校に行ってあたたかく迎えてくれた廻り(同輩・後輩・先輩・先生方)に感謝。
おぎそんはとっても自分勝手だけれどもあたたかく迎えてくれる場所があるから好き勝手なことができるのだな、と思う。

槇原敬之も言っていたけど「自分に嘘をつくのを辞めようと思ってからいろんなことに怒るようになった。いままでなんとも思ってなかったことにたいしても。それは、怒っていなかったというより怒ることを感じていなかったからなんだと思う」と。

いろんなことを感じているつもりだけど「気づかされる」ことと「気づく」こと。


2003年04月07日(月)



 ドキ(*゚Д゚*)ドキ

裁判所に用があって、行って来ました。
(うちの生徒にいわせると「セクハラで?」といわれました。んな、アホな。セクハラで掴まらないですよね?)
霞ヶ関で降りて向かうものの。
裁判所とあるのでとりあえず跳びこみます。

でも。
なんですか?この物々しい警備は。
空港じゃあるまいし荷物チェックですか?
携帯もとりあえず出してくれ(つまり金属探知で引っ掛るのか荷物と同じに出してくれ)っていうし。

とりあえず中に入るとここは高等裁判所と最高裁判所があるところなのだとわかります。
残念ながらここに用はないのだけれどもなんとなく―入る機会などそうないのですから―うろつき、出ます。

用があるのは家庭裁判所。
いえ、補導はされてないですし、おぎそんは成人です!

向かい側に簡易裁判所と家庭裁判所は併設されているのですがこちらは物々しい警備―先ほどの荷物チェックのようなこと―はありません。
なんなのでしょう?

もしや、今日は重要な裁判でもあったのかしら。
でも、家庭裁判所もイっちゃった御両親が乗りこんでくることも考えられるような・・・。(NHKの少年たち の見過ぎですかね)

と思った今日でした。
でも、ドキ(*゚Д゚*)ドキするのはやっぱ貴重だと思うこの頃。

2003年04月03日(木)
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