おぎそんの日記
おぎそん



 バスがだめなら飛行機があるさ

進路の節目において自分だけが取り残されたように感じることがあります。
もちろん、それは試験の合否ということもさることながら自分のやることに対する苛立ち(自分がやってるくせに)・もどかしさを感じるからであります。

周囲の人や親しい人がバスに乗って目的地に行ってしまうのに、なぜか自分はバスに乗り遅れている。

そんな気がしてならないのです。

そんな鬱な時に牧田興一郎(元 三菱重工社長)はこういいます。
「バスがだめなら飛行機があるさ」

たしかにそうなんです。
次々に来るバス。でも、それが自分の行き先かどうか確認できないときに。
とりあえす乗ってみるのも手です。
あってるかもしれない。

次に来るかもしれないバスに期待をかけるのも手。
でも、そうやっていたらいつまでもバスに乗れない。

おぎそんの愛読書である「ななつのこ」(加納朋子・東京創元社)にも同じシュチュエーションがあったような気がします。なんとなく。
中島みゆきの「あのバスに」(アルバム「心守歌」収録)にも

選ぶほどたくさんのバスがあるわけじゃないから
目の前に来たバスに乗ることだけを考えた

あのバスの行き先を見もせずに急いでいた

とあって興味深いところ。


でも、もし違った時はどうすればいいのでしょう?引き返せるのでしょうか?
帰るバスがあるとは限らないのです。

別に急いでるわけじゃないのだけど皆と同じトコロに行けないのが悔しいだけなのかな。
最終目標が違うのは当然。
でも、どうして人と比べて一喜一憂したりするんだろう。
どうして人の目を気にしてしまうのだろう。

そんな自分が一番廻りに踊らされている。

2003年02月26日(水)



 ○○はじめました

新しいバイトを始めました。
時間的拘束はそう長くないのですが久しぶりに体を動かしているので(とはいえそうでもないかも)結構疲れるかも。
痩せると思えばいいんですけど。

学校がないのに8時に起きて、9時までに出勤ってのはなんとも健康的なのでしょう。昼過ぎに眠くなりますけど・・・。
そんなこんなでこのバイトのせいで前日は0時には寝るようにしなければ。

金が絡んでいれば頑張る気力がありますが、それでもたま〜に気力が打ち勝てないときがあるので注意注意。


2003年02月24日(月)



 コピーコントロールCD(CCCD)

詳しいことは、C堂さんのところにあるんで見ていただければいいのですが。

もう導入されて一年近く経つのですが、なぜこの問題を取り上げたかといいますと
大ファンである川村結花もレーベールゲートCDを導入したから
であります。
個人的なことで申し訳ないですが。

もちろん、C堂さんで取り上げあれている吉田美奈子氏の発言は耳が痛いです。

> 巷では、元音を聴いた事も無いし、聴く機会も無いのに、表現として一番断言すべきでは絶対無い「音質劣悪」といった言い方や、作業を行っているのはその道のプロフェッショナル達ばかりなのだと云う、根本的な事をすっかり忘れているかの様な暴言がありますが、そんな戯言は屁のカッパです。

>第一皆さんは「音質」を聴いているのでは無く、「音楽」を聴いて楽しんでいるのでしょう?私達も「音楽」を届ける為に百も承知で、その時代、そのハード、そのマテリアルに、(何度も言いますが)プロフェッショナルとして対応し対処している訳です。ただ、何故そうしなくてはいけなくなったかを考える時、皆さんと同様に残念でたまりません。(きっとそれだけ悪質な者が、出て来てしまったのでしょう)でもCCCDは、ケジメの無くなってしまった者への警鐘と、音楽家の権利を守る、まだ始まったばかりの術なのです。そうする事により、私達の糧も保証され、愛する音楽を続けて行けるのだと云う事を忘れないでください。

> 私は、今回初めてCCCD(私がお願いする前に、avex ioはコントロール「有り」と「無し」を事前にプレスしてくださいました。これは、音楽家への敬意を表わしてくださった事だと感謝しています)を経験し、色々な条件の許聴き比べを何度も致しました。その結果、確かに音質は変わります。が、それはアナログ・レコードから並行してカセットを通過し、一変してCDになり、そして気軽なMDになりと云った変化よりは、もっと些細な音質の変化でしかありませんでした。

> 今後、どんなハードやマテリアルが出て来ようとこれだけは言えるでしょう、私達は「音楽家として心から愛する「音楽」の為、常にベストを尽します」。


そうなんですけどね。
基本的におぎそんはCCCDは買わない!と思っていたのですが自分の欲しいものについたらどうしようといった不安が現実のものに。

店頭で見てもなんというか別に欲しくもないCDについている分はどうでもいいのですけどこのコピーコントロールのマークは暴力的というか攻撃的というか。
敵意丸だしって感じです。売られた喧嘩は買わねば
正直なところ、川村がCCCD(実際はレーベルゲートCDですがこの名称に統一します)にするなんてことはしりませんでしたし、雑誌にも特に明記されていないわけです。
公式サイトにもそんな表示ないし。
てかファンへのだまし討ちなのでしょうか?

先月末に発売になったCore of soulのニューシングル「花環」もCCCDで迷った末購入してないのです。
Core of soulはアルバムまで待とう(CCCDじゃなかったら)と思ったので我慢できましたがさすがに売れない(汗)Musicianを応援する方法としてはシングルなどの購入しかないわけです。
物凄く迷っています>川村を購入するか否か


不正コピーが横行する中で、パソコンによるコピーを防止する機能をもったCDがコピーコントロールCD。
問題は、コピー防止の方法として、パソコンにエラーを起こさせるデータを組み入れているということ。その結果として、パソコンのみならず、一般のオーディオ機器にも影響が出てしまう。各オーディオ・メーカーは、このコピーコントロールCDの再生については保証できないと言っている。
プラス音質の劣化は免れないということも言われるようです。まぁ、テイトウワ氏がいうように殆ど気にならないだろうけど。

ミュージシャンの権利は絶対に守らなくてはならないと思ってます。そうじゃなきゃおぎそんだって好きなミュージシャンの新旧を問わず音が聞けなくなってしまいます。

CCCDへの批判が増えているにもかかわらず(C堂さんのページもその一貫だと思います)、業界では少しづつではあるけれどCCCD化の流れは止まる気配がない。
で、実際に「CCCDだから買わなかった」ってケースもあると思うんですよね〜。

ですからささやかな抵抗として、ネット上でも多くのリスナーが宣言しているように、今後「絶対にCCCDは買わない」ということを宣言することにしようと思っていた矢先の出来事。

てかフツーにカーステレオで聞こうとして、壊れたらこっちの責任なんですよ?
変じゃありませんか。

PL法が施行されているのにリスナーが望んでいないものだけを押しつけてのうのうとしているのはどうなんでしょうか。

そんな中で、昨年リリースされた
「move best〜supuer hit tunes」
はエイベックスながらファンの動向を掴んでいるという意味で評価できますけど。
(moveてのはDQNがよく車でかけているシャカシャカと無駄に重低音・高音があり走り屋さんに大人気のユニットです)


そんなこんなでもうちょっと考えてからCCCDを購入するか決めます。
でも、Core of soulのアルバムはもう発売されてしまったのですけど・・・・。やっぱりCCCDだったし。



2003年02月20日(木)



 ほんの少しの背伸びで自分の未来が見えればいいのに

明日は東京都の中学生3年生が公立高校入試です。
皆が自分の志望とする高校に入れますように。

そのために必要なことをやってきた子はきっと受かるって自信を持ってください。その努力がたとえ明日に発揮できなくても無駄ってことはないから。
回り道とか挫折とか知らなかったり、しなくてもいいことは確かにあるけど心に余裕を。その余裕がきっかけになると思うよ。


もし、さぼっちゃったなーって思った子は「なんとかなるよ」って逃げないで。
もう自分の仕出かしたことは自分で責任を持ってもいい年です。
「○○のせいだから」なんて逃げないで。言い訳なんかしないで。格好悪いじゃん、そんなの。
自分を律するものは結局のところ自分でしかない。廻りのいうことなんてすぐに変わるかも。
きっと格好がいいっていうのは自分のしたことに関して(それはいいこと・悪いこと含め)責任を持てることじゃない?
安易に「大丈夫」なんて言いません。
でも、あなたが。その立ち向かう姿から自然と応援したくなることはあります。
だから足掻いて。
そして終わった時に、いままであなたを支えていてくれた人がどれだけいたかを思いだして。

つまづいた時にこそ、いままで何が支えだったかをおぼえていて。
そしてその過ちを繰り返さないで。
これからあるかもしれない長い未来。
あなた自身がその足を進めるために。

2003年02月19日(水)



 リクエストなんだか自分の希望なんだか

よくわかりませんが、YUZUKIさんの掲示板より
「おぎそん、マッキー(槇原敬之)のニューシングルってどうよ?」
との希望がありましたので早速やってみたいと思います。

誰がこんなわざわざ日記のスペースを使ってまでレビュー(というかひとり言)を期待しているのか激しく疑問ですが書き始めましたのでご勘弁を。

現在、槇原は全国ツアー中。
今月の14(金)には神奈川県民ホール。一瞬、その日の会場には・・・。と考えてしまいました。
そんな中でニューシングル「Wow」が発売されます。

このシングルは昨年リリース(復帰3部作)「本日ハ晴天ナリ」からのリカットシングル。まぁ、アルバムから考えてこの曲が大局的にはシングルとしてはいいかな(無難かな)、との印象が強いです。

-----------

まだなんにも話せないまま
君が生まれてきたのは
誰かの言葉に僕らはもっと
耳を澄ますべきと教えてくれる
まだ一人で歩けないまま
君が生まれたのは
どこへも行かない
一緒に居ると約束してくれているみたいで・・・

僕の腕に抱かれながら
君は僕を抱きしめてくれるよ

wow!
こんな事しか僕は言えなかった
初めて君を見た時の
この気持ち表せる言葉なんて無い
wow!
僕一人だけ 感じられるような
幸せなんて もう幸せと呼べない

こんな風になればいいとか
あれも習わせてみたいとか
君の未来のことを君なしで
話していた馬鹿な奴なのに
僕の指をぎゅっと握る手が
あまりにも小さ過ぎるから
元気でいてくれればそれだけでいい
それだけでいいよ

君が生きてゆくために
必要なら命も惜しくない

wow!
こんな事しか僕は言えなかった
初めて君を見た時の
この気持ちあらわせる言葉が見つからない
wow!
僕一人だけ 感じられるような
幸せなんて もう僕には要らない

wow!
こんな事しか僕は言えなかった
初めて君を見た時の
この気持ちあらわせる言葉が見つからない
wow!
僕一人だけ 感じられるような
幸せなんて もう幸せと呼べない
もう幸せなんて呼べない

--------------

彼の素直なポップ感がでていて好感触です。
ただねー(これを言うのがいけないのだけど)。
なんつーかおぎそんが例えば子どもができました、って時になにを思うかっていうと(仮想現実ですが)

なんかそれこそ産業廃棄物出してすみません、みたいな。

と今、思うんです。
もちろん、子どもが一個人であることはもちろんなんですがその一抹の責任があることが怖いのかも、と。

「産んでくれ」なんて頼んでない
って言われたらそれに対してきちんと向き合うことができるのだろうか、なんて思います。ホント。

天童荒太(「永遠の仔」がベストセラー)「家族狩り」に描かれた覚悟は必要なんだろうな、と思いますが。

今のこの混沌とした(ありきたりですが)時代において
子どもを産まない
選択も当然あるわけです。
で、自分たちの解決できないことを先送りにして(もちろん、現時点ではどうしようもないことがあることを知りながら)いいのかな、ごめんねという気持ちがあると思うんです。
自分たちだってそうだった、という論理もありますけどどうなんでしょうね?

まぁ、おぎそんはとりあえずマッキー(槇原)のシングルは買っておきます。

2003年02月03日(月)



 ちょっと嬉しい

高校の頃の友人から久しぶりに(多分2年ぶりくらい)メールがきた。

「俺っておぎそんからレベル7(宮部みゆき)借りたことあったっけ?」
しょうもない他愛のないメールだったけどじーんときた。理由なんかどうでもよくて話してなくてもやっぱりそのまんまのカッキーだった。親友だった。

2003年02月01日(土)
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