世界を股にかけて飛び回るビジネスマンになるとか、そんな選択肢はあったのか。あったのかなかったのかわからないけど、そういう選択はしなかった。
昔好きだった(男性ですが)担任の先生に憧れて教師になる、という選択肢はあったのか。最後まで大学生活を楽しみたいと思ったので、そんな選択肢はいつしか消えてなくなった。今の先生は大変だと聞いているので、そういう選択をしたとしてもきっと務まらなかっただろうと思う。
おれ自身いろいろあって少し考え方が変わって、自分の趣味とか好きなこととかを大事にしつつ仕事は生きる手段としてそれなりにがんばろう、という選択をしたつもりでいる。でもその選択は果たして正しかったのか。
人生は一度きりしかないわけだし、人生の分かれ道に出たときの選択は常に慎重にしてきたのだろう(多分)。だから3つ以上の選択肢が同時にあったとしても、きっと二者択一での選択を慎重に行って、それが積み重なって、今の人生があるのだろうと思う。
そうやって選んできた自分の人生、これは正解なのか不正解なのか。
まったくわからん(笑)
死ぬまでには正解が示されるのかな。
おれは幸せだ。そして不幸せだ。
現在の勤務地の営業エリアは基本的に江東区と墨田区。テリ侵して江戸川区や葛飾区・足立区、川を越えて浦安市や市川市に行ったりもしている。
事業所自体は江東区亀戸にあるが、亀戸自体はなんか半分墨田区みたいな雰囲気で江東区としてのアイデンティティは薄い気がする。もともと江東区は埋め立てによる開発が進んでいるところで、最近では豊洲の発展がめざましい。タワーマンションが林立し、街の作りも極めて都会的な雰囲気。同じ江東区内といっても亀戸とは雰囲気が真反対だよね。亀戸はなんか蒲田を思い起こさせるところがあるもんね。キレイな街とは言い難い。
そんな江東区であるが街中を車で走っていると、今は埋め立てられて完全に陸地になっているが以前はここが海に面していたんだろうなと思われる地名を発見したりする。
完全に街の真ん中にある「江東区海辺」は亀戸からも比較的近い。「江東区越中島」も中洲であった頃の面影はなく通常の市街地との区別はつかない。臨海部から何キロも内陸に入った普通の街中を走っていて、突然「袖ヶ浦」という名の交差点と出会う、など。江東区民にとっては普通のことでも、よそから来た人間にとっては結構フシギに思うのである。このまま何百年も経てば、「東京湾」は消滅してしまうのではないかなあ、と思ったりして。そんなふうに想像するとなんか楽しくなる(笑)
あーしばらく街ingメーカーやってないな…
以上。再見!(*´∀`)ノ
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